環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
19 巻
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特集 複合過酷災害への応答――加害・被害の観点から
  • 帯谷 博明, 土屋 雄一郎
    2013 年 19 巻 p. 3
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー
  • 平岡 義和
    2013 年 19 巻 p. 4-19
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    2011年3月,東日本大震災によって福島第一原子力発電所において未曾有の大事故が発生した。この事故は,東京電力が主張するような「想定外」の事象ではない。さまざまな報告書が指摘するように,津波のリスク,全電源喪失のリスクは,いずれも事故以前に指摘されていた。にもかかわらず,東京電力,経済産業省原子力安全・保安院,内閣府原子力安全委員会の多くの不作為が積み重なり,適切な対策が取られなかったことが,結果として事故につながったのである。その意味で,この事故は,「組織の逸脱(organizational deviance)」ないしは「組織体犯罪(organizational crime)」という観点から考察することができる。

    本稿では,この事故同様大きな被害をもたらした水俣病事件と対比しつつ,福島事故の経緯を検討する。そして,両者に通底する「組織的無責任(organizational irresponsibility)」のメカニズムを指摘することにしたい。それは,事業者と規制当局が相互依存関係の中で,経営リスクなどの外的圧力のもと,本来対応すべき「問題」を外部との「コンフリクト」として処理してしまうというものである。それを正当化するために用いられるのが,厳密な証明を求める実証科学の論理なのである。こうしたメカニズムは,組織においてつねに働く可能性があり,巨大技術の不確実性と相まって,根本的に事故のリスクをゼロにすることはできない。その意味で原発事故は不可避と言える。

  • 松本 三和夫
    2013 年 19 巻 p. 20-44
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    本稿は,天災でも,人災でもなく,社会のしくみから不特定多数の人に重大な不利益を招いてしまう構造災に注目し,環境社会学の加害者・被害者論に収まらない問題群がどのような姿をもつかを,東日本大震災・福島第一原発事故に立ち入って定式化する。そのうえで,それらの問題の解明,解決の手がかりを示したい。その際,公共政策が立案,実施,評価される過程における二重の決定不全性(underdetermination),とりわけ第2種の決定不全性が公共政策の内実にどのような影響を与えるかという側面に注目したい。

    具体的には,SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の運用指針,政府事故調の組織構造,高レベル放射性廃棄物処分地選定問題の個別分析に即し,法令にも人倫にも違反しないにもかかわらず,重大な結果を第三者にもたらしかねない「制度化された不作為」,第三者と利害関係者が抱き合わせになった組織構造のもとで問題が温存される「事務局問題」,超長期にわたる不確実性が集合的無責任につながりうる「無限責任」の問題を定式化する。

    それらの問題をふまえ,後知恵に訴えた専門知の評価や責任配分ではなく,事前に発信された専門知への評価や責任配分の重要性を指摘する。とくに,重大事故にともなう無限責任を有限化して社会的責任を適切に配分するための制度の再設計に向けた,立場明示型科学的助言制度と構造災公文書館の設置を提言したい。

  • 関 礼子
    2013 年 19 巻 p. 45-60
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    本稿は,原発事故によって避難を強制された福島原発20キロ圏内(旧警戒区域)の楢葉町を事例に,強制された避難がもたらした被害の特徴を明らかにする。そのうえで,「住み続ける権利」と「避難する権利」を手がかりに,避難当事者が求める復興のかたちについて考える。本稿で展望されるのは,避難の継続にかかわる議論ではなく,将来を見据えた生活を取り戻し,次世代につないでいくための「生活(life)の復興」である。それを,生存(survive)ではなく生活(life)を取り戻すための議論と言い換えてもよい。だが,「生活(life)の復興」は原発事故による放射線被曝リスクから自由になることを意味しない。今後,町に帰る/帰らない,どちらを選択して「生活(life)の復興」を果たすにしても,将来への不安は完全に払拭されえない。それゆえ,「生活(life)の復興」は,被曝リスクや将来不安を内包した議論として展開されねばならない。

  • 青木 聡子
    2013 年 19 巻 p. 61-79
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    これまでの「被害/加害」をめぐる議論が,「どのような被害/加害なのか」や「いかにもたらされるのか」(ファースト・オーダーの水準)を重視してきたのに対し,本稿は,「人々が被害/加害をどのようなものと観察し説明するのか」や「人々が加害/被害をどのようにもたらされたものと観察し説明するのか」という観点(セカンド・オーダーの観点)から,反対運動との関係性に焦点を当てながら「被害」と「加害」をとらえなおすことを試みた。

    ヴィール原発建設計画反対運動の分析から明らかになったのは,人々が原発建設計画を当該地域に共有されてきた「被害の記憶」と関連づけて理解していたことと,それにともない原発建設計画を「みずからの『決定』の帰結(=リスク)」ではなく,「自分以外の誰かや何かによってもたらされる帰結(=危険)」と意味づけたことである。「中央」の理不尽な決定によって危険がもたらされる経験はこれまでも繰り返されており,それらを重ねることで,人々は疑似的な受益を超えてなお苦痛や損害を感じとることとなった。さらに,「被害の記憶」とは異なる時代のものでありながら同様に人々のあいだで共有されてきた「抵抗の物語」をもちいて反対運動が展開された。

    これに加えて原発計画に賛成した人々の現状も踏まえたうえで,決定に翻弄されたことに対して社会運動という手段で抗う際の出発点となるという意味で,人々によって構築される「被害」の範囲を最大限にとらえることの意義を指摘した。

  • 森久 聡
    2013 年 19 巻 p. 80-95
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    石炭から石油,そして原子力へと展開させた戦後日本のエネルギー政策史は社会的災害の歴史でもある。これらのエネルギーを生産/消費する場面では,三池炭じん爆発CO中毒事故(三池大災害),四日市ぜんそく,そして原子力関連施設の事故といったように,幾度となく社会的災害が発生してきた。とくに福島原子力災害は,今後の日本社会のあり方を問い直す転換点としなければならない。本稿はこのような現状認識に基づき,労働災害研究を源流にもつ環境社会学に残された研究領域として,三池大災害の事例から社会的災害の保安・防災という論点を掘り起こすことを目指した。

    用いた方法は,飯島伸子が収集した三池大災害の質的調査データの二次分析である。まず飯島の労災研究の到達点を確認し,被害-加害論として展開された環境社会学の軌跡を辿った。そのうえで飯島データを検討すると,労働者側も保安管理の形骸化を下支えし,大災害の後に保安意識がふたたび低下したという証言が得られた。これは三池大災害を鉱山研究の蓄積と炭鉱産業の特殊性を踏まえて労働の現場から捉え,労働者の保安意識や安全管理の社会学的分析が必要であることを意味する。しかし,環境社会学は飯島の労災研究を十分に継承せず,社会的災害の保安・防災は残された課題となっている。社会的災害の保安・防災は3.11以後の環境社会学が取り組むべき課題の1つであり,その意味で労災研究の社会的意義は決して失われていないのである。

論文
  • 椙本 歩美
    2013 年 19 巻 p. 96-111
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    本稿ではフィリピンの参加型森林政策における地図を事例として,形式知と暗黙知の関係について議論を深める。これまで科学的管理などの形式知にもとづく国家政策は,地域が有する暗黙知を無力化すると指摘されてきた。たとえば,地図は多様な地域の文脈を記号化・形式化していくため,長らく国家統治の手段であった。対して参加型森林政策で国家が住民に権利を付与することになると,住民個人に対する地図作成の必要性が生じる。この場合,地図は国家統治の手段にとどまらず,住民の実情に即したものになるよう求められる。事例では現場森林官が,形式知だけでなく住民の森林利用の経緯や社会関係なども盛り込みながら住民個人の利用区画地図を作成していた。現場森林官は政策規定だけでなく,住民による問題解決を前提に業務を執行する。住民たちの実情に配慮する程度は現場森林官の経験上決まる暗黙知の領域といえる。つまり現場では,形式知と暗黙知が交流するなかで地図がつくられている。この知の交流は,地図をめぐる社会的関係のなかで獲得されていく,暗黙知の領域といえる。環境社会学における知のガバナンス研究は,階級性をふまえた異なる知の対立だけでなく,知の交流についても議論を深めていく必要があろう。

  • 新垣 夢乃
    2013 年 19 巻 p. 112-126
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    本稿では,資源利用のために必要な空間を外的資産,資源利用のために必要な諸個人の個人的な技能を内的資産として整理した。そのうえで,外的資産を管理する地域社会の社会的制度と,各個人ごとに大きく異なる内的資産とがどのような関係性にあるかに注目した。

    この視点によって,高い内的資産をどの程度社会化することが可能であるのかという問題意識を,フィールドデータに立脚した研究のなかに導入することができる。

    そこで本稿では,瀬戸内海A村落におけるタコツボ漁に注目した。このA村落のタコツボ漁には,社会的制度によって管理された漁場と,そのなかで個人的技能を成長させていく個人という双方の姿がみてとれる。そこからは,地域社会のなかの個人と社会的制度の関係が象徴的にあらわれてくる。

    この関係性に注目し,そこから,①個人の技能がどのように地域社会に還元されるのか,②地域社会の仕組みはどのように個人の動きを規定するのか,③個人はどのように社会の仕組みを超えた活動を行うのか,という点について考察した。

  • 目黒 紀夫, 岩井 雪乃
    2013 年 19 巻 p. 127-142
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    環境社会学における人間-野生動物関係に関する重要な議論として,野生動物と「近い」関係をもつ住民は被害を許容し,「害獣」との「共存への意志」を抱きうるという主張がある。ただし,その意義が地球上の人間-野生動物関係の歴史的・地域的な多様性を視野に入れて検討されてはこなかった。本稿の課題は,先行研究に見られる「距離の近さ-被害の許容-共存への意志」という連続性がつねに成立するのかどうかを,その理由も含めて東アフリカの2地域社会を事例に検討することである。本稿は地域社会・野生動物によって人間-野生動物関係は多様であり前述の連なりがつねに成立するとは限らない点を示すとともに,その多様な連続性を理解するうえでは広義の「社会的」関係の影響下で動的に(再)生産される「関係の〈意味〉」が重要であること,そして,時代や種類によって異なりうる野生動物との「かかわり」のすべてが住民によってつねに支持されるとは限らない以上は,「かかわり」をアプリオリに肯定したり,特定の野生動物から自然へと「共存」の議論を安易に接続したりすることは問題であることを指摘する。

  • 髙崎 優子
    2013 年 19 巻 p. 143-157
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    現在,さまざまな理由から資源管理主体としての地域社会に期待が高まっている。これまで多くの研究が地域社会による資源管理の合理性を実証し,管理の場における地域社会の重要性を後押ししてきた。これに対し,本稿で扱うのは,一見合理的ではない地域社会による資源管理の事例である。沖縄県今帰仁村古宇利島で行われているウニ漁は,地域社会による資源管理の成功例という評価を受けながらも,実際は意図的な失敗や後退を含んだ不安定さ(ゆらぎ)のなかで行われており,かつそのようなゆらぎを許容する態度を見せていた。しかし彼らはまた,資源が危機に陥るたびに回復する力(資源管理の弾力性)も備えることで,資源とのかかわりを持続している。考察を通して明らかになったのは,人びとは互いのさまざまな事情を考慮したり,資源との間に経済的動機だけではない強いつながりをもっていたり,刻々と変化する自然の状態を受けたりしながら,資源管理のおとしどころを探っているということであった。このような「おとしどころ」は,彼ら自身にしか見出せない。ここに地域社会が資源管理の主体となるべき理由がある。

  • 開田 奈穂美
    2013 年 19 巻 p. 158-173
    発行日: 2013/11/10
    公開日: 2018/11/13
    ジャーナル フリー

    本稿では,2007年に工事が完了した諌早湾干拓事業における泉水海漁民と彼らが属する漁業協同組合に注目し,事業による漁業被害を受けている彼らがなぜ事業推進を表明していたのか,その理由を分析した。先行研究において,被害を受けるにもかかわらず事業推進を唱える人々の主張は,多くの補償を得るためという功利的側面からのみ説明されるか,個人や共同体の生活を再建するためというアイデンティティのよりどころとして理解されていた。筆者は先行研究の事例が補償のスキームと生活再建のための論理が補完的な関係にあったことを指摘したうえで,本事例においては泉水海漁民にとって補償を受けることと被害回復のための方策を取ることが両立不可能な状態にあったことを明らかにした。そして漁協が補助事業等の補償的受益から抜け出せなくなり,事業が完了した後にも漁場回復のための方策が取れなくなってしまうロック・イン状態に陥った状況を分析した。さらに,漁協の方針に逆らうかたちで事業完了後に事業見直しを求めて訴訟を起こした漁民たちは,事業が実施される前の豊かな海をアイデンティティのよりどころとして,自らの海を元に戻すように企図していることを指摘した。本稿は,事業完了後も被害を受け続ける人々にとって,補償を受けることと被害からの回復が両立しえないような状況で生活を再建することが困難な場合が存在することを示すものである。

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