環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
23 巻
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巻頭エッセイ
特集 人と自然のインタラクション─動植物との共在から考える─
  • 菊地 直樹
    2017 年 23 巻 p. 4-5
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー
  • 足立 重和
    2017 年 23 巻 p. 6-19
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    現代において「環境」という視点はあまりにも自明なことであり,言説レベルでは多くが語られている。だがその一方で,自然利用のアンダーユースによる獣害問題,高度な科学技術による人工化した食の問題など,現在の人と自然の距離は,かつてに比べて疎遠になっていたり,いびつであったりするのではないだろうか。そこで問われるべきは,「人と自然のインタラクション」である。そこで本稿は,このテーマに即してこれまでの環境社会学を概観した後,近年の文化人類学における人と動物のインタラクション研究や郡上八幡でのフィールドデータをたぐり寄せながら,今後の環境社会学が探求すべき人と自然のインタラクションとはどのようなものか,その一端を示してみた。

    より直接的かつ対面的なインタラクションに注目していえるのは,(1) 自然は,積極的に“人に働きかける”というインタラクションの一方の重要な項=行為者である,(2)人と自然のあいだになんらかの競合やトラブルが生じたとき,人間は,インタラクションの性格上,相手の出方を見越して手を打たなければならない,という点である。そのうえで,これらの延長線上には,人工的環境に馴らされたわれわれが漠然といだく自然観を鍛え上げるだけでなく,自然環境の豊かさを取り戻す際には,「自然の視点」を人間の内側に取り込んだうえで,あくまでも人間の暮らしを考える,という人間と自然が入れ子になった政策論がみえてきた。

  • 卯田 宗平
    2017 年 23 巻 p. 20-33
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,⑴中国の鵜飼におけるカワウの繁殖作業から漁での利用にいたる事例を取りあげ,漁師たちの一連の働きかけを記述・分析するための視座を提示することである。そのうえで,⑵新たに着想した視座を日本の鵜飼の事例に展開することで,ウミウに対する鵜匠たちの働きかけの論理を明らかにするものである。

    鵜飼とは潜水して魚類を捕食するウ類を利用した漁法である。鵜飼に従事する人たちは魚を獲るための手段としてウ類を利用している。一般に,動物を手段として利用する場合,飼い主である人間はその動物になんらかの介入をすることで人間に馴れさせ,生業活動に適した行動特性を獲得させる必要がある。その一方,人間が動物の繁殖や行動に介入し続けることで,その動物におとなしさや従順さ,攻撃性の減退といった家畜動物特有の性質を過度に獲得されても困る。このため,漁師たちは手段としての動物を馴れさせるだけでなく,逆に人間に馴れさせすぎず,野生性をも保持させなければならない。本稿では,これら2つの志向を併せもち,個々の局面に応じてその双方を使い分けながら動物とかかわることをリバランスとよぶ。そのうえで,本稿ではウ類の繁殖作業から飼育,訓練,鵜飼での利用にいたる過程に着目し,漁師たちの一連の働きかけをこの新たな視座から記述・分析をする。この作業により,本稿ではこれまで問われることがなかった鵜飼の現場における動物利用の論理を明らかにする。

  • 岩井 雪乃
    2017 年 23 巻 p. 34-52
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,現代アフリカにおける地域社会と野生動物のかかわりに対して,グローバル社会が与える影響を明らかにし,今後の人と動物のかかわりの将来像を展望することである。分析においては,アフリカの生態系の象徴であるアフリカゾウに着目し,ゾウと深くかかわってきた地域社会の事例として,東アフリカ・タンザニアのセレンゲティ国立公園に隣接して生活するイコマ社会をとりあげる。そして,これら両者に,グローバル社会が与えた影響を分析した。

    イコマ社会では,狩猟活動が動物とのかかわりの基盤を形成していたが,1980年代にアフリカゾウの密猟が激しくなり,それに連動して国際的な保護政策が強化されるようになると,イコマの狩猟活動は違法化され衰退していった。そしてそれに伴って,イコマ社会における多様な動物種との「かかわりの全体性」は希薄化していた。一方で,2000年代以降はゾウが引き起こす農作物被害が拡大しており,地域の生活を脅かしている。つまり,グローバルな価値である稀少種の保護や生態系サービスの保全を政府・国際NGO・観光企業が推進することによって,狩猟文化や獣肉食といった,イコマ社会における動物へのローカルな価値は否定され剝奪されており,そのうえさらに,ゾウとの共生に伴うリスク(被害)を被っていた。

    このような状況を,動物とかかわりの深い3つの地域の狩猟採集民社会と比較した結果,土地の権利および動物とのかかわりを自己決定する権利を求めて,イコマ社会で住民運動が活発化する可能性が展望された。

  • 山 泰幸
    2017 年 23 巻 p. 53-66
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    柳田国男を創始者とする日本民俗学は,その学問的性格において,本居宣長ら江戸期の国学者の影響を受けているとされる。特に,柳田の心意論は,本居宣長の歌論・物語論で展開された「物のあはれを知る」説の影響が指摘されている。本稿では,本居宣長の「物のあはれを知る」説に遡り,その発想を手がかりとしながら,「語り」や「物語」をめぐる環境民俗学の捉え方,認識論について考察する。

    宣長は,歌の発生を,事物に触れて「あはれ」を深く感じる人の心情に求め,人が「あはれ」を感じるのは,事物が「あはれ」であると認識できるからであるとし,「知」と「感」を一体とする認識論を提示する。また,人に語り聞かせることでみずからを慰め心を晴らすように,歌には「語り」と同様の意味がある点や,聞き手を前提とした歌の社会性を説いている。一方,物語論では,読者の立場から,今を昔になぞらえて,みずからの心を晴らすものとして,物語の意味を捉えている。さらに,作者もまた「物のあはれを知る」物語の享受者の立場から,「物のあはれ」を読者に知らせるために,物語を書き出すとする。宣長は,物語の作者,物語中の人物,物語の読者が,物語の享受者として「物のあはれを知る心」によって重なり合うものと捉えているのである。

    以上のような宣長の歌論・物語論を手がかりにして,本稿では,民話を活用したまちづくりの事例を検討する。それによって見えてくるのは,民話を通じて,今を昔になぞらえて,みずからの置かれた状況や心情を理解し,心を晴らす,「物のあはれを知る」物語の享受者としての生活者の姿である。

    民俗学者は,生活者の「語り」から,彼らの「物のあはれを知る心」に動かされ,彼らを登場人物とした物語(民俗誌)を描くことで,みずからが感じ,心を動かされた「物のあはれ知る心」を伝えるのである。

  • 閻 美芳
    2017 年 23 巻 p. 67-82
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    限界集落における獣害問題は,人と自然のインタラクションのもっとも典型的な「失敗例」の1つにされがちである。人と自然の共存関係を取り戻すためには,限界集落で暮らす人びとだけでなく,都市住民も新たな地域の担い手として加わるような仕かけが必要だといわれている。しかしこのような研究者の判断は,限界集落化している当該地域の人びとの価値観とは必ずしも一致していない。

    そこで本稿は,獣害の最前線に位置する限界集落で暮らす人びとが,「むらの消滅」が現実化するなか,外部の人を地域に呼び込みつつも,「集落ぐるみの獣害対策」をあえて選択しないことの“合理性”について考察を行った。限界集落化が進行すると,人びとは「むらに将来がない」ことを前提に生活を形づくっていく。すると,むらの人びとは,むらの永続性に縛られずに「むらの現在」をつくり上げる新しい自由を手にすることができるようになる。この新しい自由を活かそうとすれば,むらの永続性を前提とする獣害対策事業は,むらを生きる人びとにとって重荷になってしまいがちになるのである。

    本稿は,こうした村びとたちがみずから限界集落化にともなう困難な状況を引き受けて生活しているなかに,ある種の“合理性”を見いだすことになった。「人と野生動物とのインタラクションの“ある場所における今”」を分析しようとするならば,この場所で暮らす人びとが直面する現実を最大限尊重する姿勢が研究者にも求められるのではないだろうか。

論文
  • 佐藤 圭一
    2017 年 23 巻 p. 83-98
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    京都議定書第一約束期間中の日本経済団体連合会による自主行動計画を事例に,気候変動政策における産業界の「自主的取り組み(voluntary approaches)」の作動メカニズムを,聞き取りをもとに分析した。具体的には「自主的取り組み」をめぐるガバナンス論の枠組みを用いて,「産業界内部の統合力」と政府の暗黙の存在感である「政府の影」という観点から,自主行動計画を機能させる2つの要因を扱った。第1に,「フリーライダー」を防止する仕組みである。経団連・業界団体は「一番不利になる企業に合わせる」という慣行を敷くことで,離脱を防止する組織原理を採用していた。また業界団体が業界の利益を代表する代替不可能な存在である限り,業界単位での付き合いは長期的に続くため「繰り返しゲーム」状況になっていた。第2に,対策目標が限りなく低下するのを防ぐ仕組みとして,各企業の担当者たちのなかには気候変動対策に大きな関心を持つ人びとも多く,彼らの存在が実際の対策を推進していたこと,また政治的影響力を確保し続けるという組織の存在理由を維持するために,業界団体は対策成果を上げることへの誘因を持っていた。しかし自主行動計画を機能させるこれらの要因は限界も持っている。すなわち先進的対策を求める企業の声が表に出てこなくなること(「保守化フィルター」),業界団体の地位の低下には脆弱であること,主体的従属性という「政府の影」を利用した対策であるため,気候変動対策が経営戦略としては明確に位置づけられにくいことである。

  • 富井 久義
    2017 年 23 巻 p. 99-113
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    都市住民による森林ボランティア活動は従来,主としてその社会的意義との関連で議論されてきた。しかし活動参加者自身は,そうした位置づけにとどまらず,多様な関心にもとづいて活動に取り組んでいる。こうした状況において本稿は,活動参加者自身の活動の語りかたを手がかりに,都市住民はどのように活動を組織し,森林の利用・管理をおこなっているのかを検討する。

    事例に取り上げる鳩ノ巣フィールド(東京都西多摩郡奥多摩町)において,活動参加者は,社会的意義への関心にもとづく実践という意味づけから距離をはかって,自身が活動に取り組む意味を語っている。この語りの「型」は,鳩ノ巣フィールドの活動を維持してゆくための非明示的な利用規制として活動参加者に共有されている。それは,活動体の水準では,活動をつうじたフィールドへのアクセス権を広く都市住民に開く効果をもち,個人の水準では,継続的に活動に参加するための重要な契機として意味をもつ。このような活動体の構成によって,活動参加者は,認識の水準で多様な関心にもとづいて活動を意味づけ,行為の水準で活動の理念や計画にしたがって活動に取り組むという重層性をともなって活動に取り組む。鳩ノ巣フィールドは,このようにして,都市住民に広く開かれたコモンズを意味論的に形成し,都市住民を主体とする森林の適正利用・管理をこれまでおこなってきている。

  • 谷川 彩月
    2017 年 23 巻 p. 114-129
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,長期的な里地里山保全に向け,農地全体での資材投入量を削減する手法のひとつとして慣行農家による減農薬栽培の導入プロセスに着目し,彼らがどのようにして減農薬栽培へ取り組むに至ったのかを明らかにすることである。

    持続可能性に関わる問題では,長期的・累積的な行為の集積結果として問題が発生しうるため,長期的に里地里山を保全していくには,農地全体で投入資材を削減していくことが必要である。そのため,現状で圧倒的多数をしめる慣行農家に投入資材の削減を促すようなしかけが必要となってくる。本稿では,変革志向性が弱い農家を取り込んで減農薬栽培が普及している宮城県登米市を事例として,それを成立させたしくみと農家による取り組みへの意味づけを明らかにした。くわえて,減農薬栽培の学習プロセスによって,当該地域では慣行農法や転作作物を含めた田畑全体での減農薬化が進んでいること,多くの農家の参加を許容できる環境保全米のあり方が,多様な動機の集積による「結果としての環境保全」と呼べる状況を作り出していることを確認した。

    明確なイシュー志向を持たない層の行動変容を促すには,行動変容を促すような技術・思想あるいは施策と,彼らの生活世界との接合点を見いだすことが重要であるということが明らかとなった。

  • 三上 直之, 山下 博美
    2017 年 23 巻 p. 130-145
    発行日: 2017/12/20
    公開日: 2020/11/17
    ジャーナル フリー

    英虞湾では,湾奥に点在した干潟の70%以上が水田干拓によって消失したとされ,戦後の真珠養殖の増加とあいまって,赤潮や貧酸素水の問題を引き起こしてきた。今では,湾内に約500か所ある干拓地の大半が遊休地化しており,そこに海水を導入して干潟を再生する国内初の事業が2010年に始まった。水門開放や堤防の一部開削などの小規模な改変で,多額の費用を要さずに干潟を飛躍的に増やしうる試みだが,開始から7年,着手されたのは湾内で4か所にとどまる。本論文は,参与観察と地元住民1,500人を対象とした質問票調査から,この事業が拡大しない原因を探った。調査の結果,大多数の住民が干潟再生事業について意見を聞かれれば賛成と答え,強い反対はほとんどなかった。一方で,事業が実施されている再生干潟では水質浄化や生物量の増加などの効果が出ているものの,「アサリがとれるようになること」を成功の基準と考える多くの住民にとって,事業の価値はいまだ実感しにくいままである。再生事業を実施するためには,関係者間の調整や,農地転用の手続きなどの手間がかかることが予想されるほか,再生後の維持管理や利用の主体も定まっていない。こうした負担に見合う価値が干潟再生を通じて得られるのかについての認識のズレが,事業が順調に拡大しない原因であることがわかった。その背景には,事業の価値を評価するうえでの時間軸のズレが存在することも示唆される。こうした進捗の緩慢さは,事業自体の継続を難しくする危険性もはらむが,異なる時間軸を調整すべく柔軟性が発揮される過程でもあり,干潟再生に対して多元的な価値づけを生み出しうる可能性も示している。

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