環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
25 巻
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巻頭エッセイ
特集 環境社会学からの軍事問題研究への接近
  • 三浦 耕吉郎
    2019 年 25 巻 p. 6
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー
  • 熊本 博之
    2019 年 25 巻 p. 7-17
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    本特集は,2018年12月9日に開催された第58回環境社会学会大会シンポジウム「環境社会学からの軍事問題研究への接近」をもとに編まれたものである。特集の総説論文にあたる本稿では,それぞれの論文の概要を紹介したうえで,そこから析出された,環境社会学が軍事環境問題に取り組むにあたって留意すべき課題をまとめた。そしてこれらの課題の背景には国家による軍事の独占があること,それゆえに加害の主体である国家についての論及が不可欠であること,しかしそこには「統治の道具」となってしまう危険性が潜んでいることについて指摘した。

    そのうえで環境社会学は,「国家の論理」に対抗できるような「環境の論理」を,社会に生きる人びとの視点に立ちながら彫琢していくことで,脱軍事化した社会へと至る道筋を描き出すことができること,それは軍事問題研究への独自の貢献であり,そして環境社会学がもつ可能性を広げるものであることを提起した。

  • 林 公則
    2019 年 25 巻 p. 18-34
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    本稿では,軍事と財政・金融の密接な関係性を軍事財政論や日本経済論の成果から明らかにしたうえで,日本政府による基地維持財政政策の主要な対象となってきた沖縄で 2015 年に立ち上げられた辺野古基金の意義を考察している。沖縄県内外の多人数の資金的援助(寄付)を通じて辺野古移設反対運動を支えようというのが辺野古基金の取り組みである。

    税金を資金源とする各種の政府活動は軍事も含め,国家全体の公益のために実施されることになっている。にもかかわらず公共の利益のためとされている活動が軍需産業によって資本の利益に置き換えられていたり,自然環境や生活環境を破壊し各種の被害を出す軍事基地が各種補助金によって非民主主義的な形で維持されたりしてきている。また預貯金を中心とする日本の現在の金融システムも,軍事関連産業の発展のために利用されてきた。資金の出し手(納税者や預貯金者)と資金の受け手(軍需産業や基地受け入れ自治体など)との無関係性が,軍事優先の国家安全保障や辺野古新基地建設を推進することにつながっている。

    辺野古基金は軍事による国家安全保障政策への,寄付を通じての市民による異議申し立てである。そして,軍事を国家の専管事項にしないための取り組みである。軍事は中央集権的な財政・金融で 進められてきた。一方で,辺野古基金は寄付を含めた金融が市民関与の新たな可能性であることを 示しているし,中央集権的な財政・金融よりも正当性を有する可能性を示している。

  • 大野 光明
    2019 年 25 巻 p. 35-50
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    沖縄では沖縄戦,米軍占領期,そして日本「復帰」後から現在に至るまで,戦時と平時をわかたず,軍隊による事件・事故,人権侵害,環境破壊が生じてきた。沖縄に対する強権的な政治と基地の新設,軍隊の機能の変容が進む現在にあって,環境社会学の知見による現状への介入は喫緊のものとして期待されているのではないだろうか。だが,環境社会学はこれまで軍事基地問題に正面から向き合ってきたとはいえない。そこで本稿では,沖縄の基地・軍隊をめぐる諸問題を事例として,環境社会学が軍事基地問題をとらえるために必要な基本的視座を提示することを試みる。

    まず,沖縄の軍事環境問題の歴史をふりかえり,軍事的暴力の特徴が空間的・時間的に広がりをもっていることを確認する。そのうえで,軍事基地をめぐる諸問題をとらえるための概念や認識枠組みを批判的に検討した。すなわち,受益という概念や受苦を強いられる人びとへの受益の還流や配分という枠組み自体が軍事化されていることを考察した。そのうえで,環境社会学が軍事環境問題を対象化するためには,脱軍事化をつくりだしていく批判的な知と枠組みが必要であることを示し,その基本的な視座を整理した。

  • 竹峰 誠一郎
    2019 年 25 巻 p. 51-70
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    環境社会学の知見を踏まえ,マーシャル諸島民に対する核実験被害の実態にどう迫っていくことができるのだろうか。本稿は「グローバルヒバクシャ」という新たな概念装置を掲げて,米核実験が67回実施されたマーシャル諸島に暮らす民に焦点をあて,住民の証言を引き出していった。そのうえで,飯島伸子が提起した「加害 - 被害構造」という概念を想起し,米公文書を収集した。

    核開発を主管する米政府機関が,⑴ 核実験にともない放射性物質が周囲に放出される問題性を,実験前から把握していたこと,⑵ 被曝した住民を,データ収集の対象としてのみ扱い,非人間化してきたことが,米公文書から明瞭となった。

    そうしたなかでも,⑶ 異議申し立てをしたマーシャル諸島の人びとの抵抗が,米政府をも揺り動かしていたこと,⑷ 米政府が核被害を公には認めていない地域でも,「影響がある放射性降下物を受けた」と避難措置を米核実験実施部隊が検討し,健康管理措置の導入なども一時期検討していたことなどが,米公文書上で明るみになった。

    くわえて,⑸ マーシャル諸島の米核実験は,太平洋の小さな島の話で完結する問題では決してなく,米政府の問題であるとともに,さらに日本社会とも密接な関係にあることが,米公文書から浮かび上がってきた。

    本稿は,軍事がもたらす地域社会の人びとへの被害に迫っていくうえで,国家権力の動向を見据えて,被害の内実だけではなく,加害の内実に迫っていく重要性を,指摘するものである。

  • 朝井 志歩
    2019 年 25 巻 p. 71-87
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    本稿では,軍事被害が社会に何をもたらすのかを環境社会学の観点から明示した。岩国基地への艦載機移駐問題を事例として,岩国基地沖合移設事業や住民投票が実施された経緯について考察し,岩国市で空母艦載機部隊の移駐への賛否を問う住民投票が実施された背景について明らかにした。艦載機移駐に反対の意思を示した岩国市で,住民投票後に生じた新市庁舎補助金凍結問題や,愛宕山新住宅市街地開発事業の廃止と米軍住宅建設計画などの諸問題について考察し,基地関連予算に基づいた諸政策が地域社会にもたらした影響について検討した。そして,地域社会の変容が住民投票後の住民運動や訴訟に何をもたらし,いかにして声を上げ続けることが困難な状況が生じていったのかを明らかにした。岩国基地への艦載機移駐問題の事例を踏まえて,軍事環境問題の加害構造の特徴として,環境規制を遵守させる機能の不在,法的な正当性の根拠が疑わしい政策決定の横行,意思決定権限の非対称性と意思決定過程の閉鎖性,情報が隠蔽や秘匿されやすいという4点を提示した。そして,それらが地域社会の将来を自己決定できなくなることや軍事化の進展,将来に対する怖れや不安や懐疑心を抱え続けること,諦めの広がりといった,軍事基地を抱えることによる被害を作り出していると結論づけた。最後に,環境社会学が軍事環境問題研究に果たすべき課題を提示した。

  • 吉川 秀樹
    2019 年 25 巻 p. 88-92
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー
小特集 震災をめぐる暮らしの連続性/断絶と環境社会学のまなざし
  • 黒田 暁
    2019 年 25 巻 p. 93-108
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    小特集「震災をめぐる暮らしの連続性/断絶と環境社会学のまなざし」では,環境社会学会震災・原発事故問題特別委員会(2011年設立)がこれまで取り組んできた研究例会の内容と,そこから明らかとなった知見に基づいて,3名の論者が議論を展開する。本稿は,これらの議論に先駆け,3本の論考において焦点となる「震災をめぐる暮らしの連続性/断絶と環境社会学のまなざし」を位置づけようとする。環境社会学の視点は,震災ならびに原発事故によって各地の暮らしの現場で断ち切られたこと/ものの存在を明らかにしてきた。またその一方で,震災の構造変動に巻き込まれる前から人びとによって営まれ,維持され,継続が試みられてきたもの/こととは何なのか,について注意深く汲み取ろうとする。こうした複眼的な視点から,小特集では以下の3つの論点を検討することによって,震災後の社会とその現在を読み解こうとする。すなわち①大規模複合震災による「被害」の中身に分け入るとともに,「被害」をどのように可視化,抽出するべきなのかを問う②「被害」が時間とともに表出・変容していくことをどのように捉えるか③今これから,

    「復興」と生活再建はどこへ向かうか,を明らかにする。これら3つの論点を通じて,これまでの環境社会学の調査研究や,その視点から得ることができた「被害の可視化」の試みと,その可能性について論じる。環境社会学が,大規模複合災害に対して,研究・実践を通じて独自の切り口を示すことができるのかどうか,3本の論考の道筋をつけようとした。

  • 山本 信次
    2019 年 25 巻 p. 109-123
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    福島第一原子力発電所事故の発生に伴い,東日本の広範囲にわたり放射性セシウムを中心とする放射性物質が拡散し,いまだ多くの人びとが避難生活を余儀なくされている。また,放射性物質の拡散は,農山漁村の自然資源に大きく影響を与え,ムラでの暮らしを継続する人びとの「農的な営み」にも大きな影響を与えている。しかし「ムラに暮らし続ける人びとの『農的な営み』をめぐる被害」は「国民の多数を占める都市住民には理解しがたく」「避難のように明白に可視化しやすくもなく」「被害の金銭換算が難しく」「技術的解決になじみがたく」「被害者による『防衛的被害隠し』が起きやすいためさらに不可視化が進みやすく」,そして他の原発事故被害に比して「記述されている個別事例数が少ない」という特徴をもち,被害の可視化はいまだ不十分である。こうした暮らしに伴う被害の可視化は,本来,環境社会学の得意分野であり,一層の貢献が求められる。

  • 植田 今日子
    2019 年 25 巻 p. 124-141
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    福島第一原発事故の後,原発から20km圏内の警戒区域では,乳牛,肉牛を含めてすべての牛を安楽死させることが政府から通達された。他方で葛尾村や飯館村のような20km圏外で全損避難を被った畜産農家の牛は,放射線の検査をパスさえすれば,出荷や移動が可能であった。しかし結果的に,両村の20km圏外の農家の約9割(飯館村97%,葛尾村88%〔2018年11月時点〕)が,経営を継続することを選ばなかった。本稿は家畜の移動が可能であった大多数の畜産農家の人びとが,なぜ避難を挟んで廃業を選ぶことになったのかを問い,移動や避難が何を要件とするものだったのかを明らかにした。

    畜産農家は事故前まで,牛の生存環境である《i.畜舎》《ii.牧草地》《iii.水源》《iv.糞尿の行き場》と,農家が自身の生活を営むうえで必要な環境である《v.家》《vi.農地》《vii.家畜市場》《viii.畜産仲間》《ix.集落の家々》《x.学校・病院・店舗》に隣接して暮らしてきた。しかし突如牛を移動させて経営を続けるか,廃業するかの選択を強いられた人びとは,移動するのであれば事実上,なじみの地域から「孤立」し,上記のような牛の生存環境を新たに「開拓」する必要があったことが明らかとなった。

  • 除本 理史
    2019 年 25 巻 p. 142-156
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    2011年3月の福島原発事故によって,周辺自治体は避難を余儀なくされ,9町村が役場機能を他の自治体に移転した。避難者は避難元の地域から切り離され,そこにあった生産・生活の諸条件の一切を奪われた。この「ふるさとの喪失」被害は,当事者の実感としては大きいにもかかわらず,第三者の目にただちにはみえにくい被害の典型である。

    原発事故によって奪われたものの総体,つまり日々の暮らしを成り立たせている条件を可視化するのは容易ではない。地域丸ごとが避難した場合の被害は比較的わかりやすいが,避難指示が出されなかったり,現在のように避難指示の解除と帰還が進むと,被害がみえにくくなる。

    本稿では,「ふるさとの喪失」被害の全体像を可視化するために少なくとも不可欠と思われる4つの着眼点,①生業と暮らしの複合性・多面性・継承性,②マイナー・サブシステンスの被害,③コミュニティ破壊と「地域生活利益」の侵害,④避難指示解除地域の被害,を提示する。また,「ふるさとの喪失」被害の回復措置と賠償の位置づけを整理するとともに,賠償と復興政策のあり方を問う集団訴訟の取り組みについて概観する。

    被害の総体を捉えつつ救済を広げていくには,制度的枠組みにとらわれず,みえにくい被害を明らかにしていくアプローチとともに,制度の側から裾野を広げていくアプローチが不可欠である。この両面からの接近によって,被害の可視化と救済が可能になるだろう。そのためにも,学際的な協働が強く求められる。

論文
  • 保坂 稔, 渡辺 貴史
    2019 年 25 巻 p. 157-170
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    環境保護意識の促進にあたって,子どもの頃の自然体験が効果を持つことが指摘されてきた。本稿は,一般市民調査に基づく量的データを用いて,環境保護意識と子どもの頃の自然体験の関係について,権威主義,家族関係,さらには環境保護行動といった視点を交えて明らかにすることを目的とする。家族関係の点でいえば,環境保護意識を促進する自然体験は,家族人数が多い方が増えるという結果が得られた。家族の少人数化は自然体験の機会を奪い,環境保護意識の形成を阻害する可能性がある。また,自然体験の多さは,母親と会話する機会の多さと関係が見出された。権威主義については,環境保護意識とは関係がみられなかったものの,環境保護行動を促進する効果があることが明らかになった。

  • 渡邉 悟史
    2019 年 25 巻 p. 171-185
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    本稿は1970年代日本の昆虫採集擁護論を検討しながら,昆虫保護のために発言する集団を形成しようとする試みが直面した課題を明らかにする。昆虫は人類の生存に関わる多くの生態系サービスを提供しているが,急激な減少傾向にあるうえ,注目や優先度が低い傾向にもある。では昆虫のような小さな,場合によっては気持ち悪がられるような生き物の状況に関心を持ち,その保護のために尽力する人びとをどのように生み出すことができるだろうか。このとき1970年代の日本で展開された昆虫採集論争は注目に値する。これはアマチュア愛好家による昆虫採集を自然破壊の元凶として批判する声が上がったことをきっかけに展開された論争である。1971年創刊の『月刊むし』の編集者たちは「虫をより知っている,またより知ろうという者」「虫の味方」といった意味を「虫屋」というアイデンティティに込めることによって,昆虫愛好家が昆虫保護のために発言する資格を担い,自然保護や開発政策の形成過程における存在感を高めようとした。この試みは政策形成過程において小さな生き物の利害について語るという行為を,どうすれば昆虫採集の地続きとして「楽しみ」・「喜び」をもって行うことができるのかという問題を提起するものでもあった。

  • 吉村 真衣
    2019 年 25 巻 p. 186-201
    発行日: 2019/12/05
    公開日: 2022/10/18
    ジャーナル フリー

    あらゆるものが文化遺産となりうる現代,国内でも遺産制度の拡大や新設が相次いでいる。文化財保護法の重要無形民俗文化財に 2004 年に追加された民俗技術というカテゴリーは,モノや環境だけでなく生産活動までを文化財の対象とする契機であった。本稿の事例である三重県鳥羽市の海女漁は,2017 年に国重要無形民俗文化財に指定されたほか,地域資源として「振興」が目指されている。先行研究では遺産化による価値やかかわりの序列化の危険性が指摘され,いかに対象と地域社会との社会経済文化的な「つながり」を再構築しうるか,地域社会はいかにかかわりのレジティマシーを獲得しうるかが検討されてきた。本稿では高度に身体化された人間の生産活動が文化遺産や地域資源の対象となるとき,この問題にいかなる論点を加えられるのかを検討した。示唆されるのは,文化遺産や地域振興の文脈において生業システムが組み換えられ,外的介入によってレジティマシーの複数性やその矛盾,生業従事者の社会的分化が生じた結果,ガバナンスのしくみが変容しつつあることだ。身体化された生業においては,日常的な生業や社会生活のレベルでの共同性のありようや,遺産の客体であると同時に主体でもある海女の「変化の社会的コントロール」の可能性を探りながらガバナンスのありかたを探ることが重要である。

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