我が子が病の終末期に至ることは, 親にとって想像を絶するような体験であろう。この状況において, 医療者が親の苦痛を軽くすることは容易ではない。終末期の子どもを持つ親を前にした時, 医療者にできることはあるのだろうか。本稿では, このような状況にあったある母へのかかわりを報告した。
母Aの息子Bは, 胎児期に腹壁破裂と診断された。出生時は腹壁から脱出した腸管が壊死し, 超低出生体重に伴うさまざまな症状がみられた。治療を開始したが, 状態は悪化した。Bが生後7カ月時, Aは筆者のもとを訪れた。
Aは看護師であり, 気丈にBの看病をしていたが, 語られる内容は苦悩に満ちていた。筆者は圧倒され言葉を失いながらAの心情を聞き続けた。不安を軽くしたいと考えたが, Aは話をすると落ち着くと語り, 筆者はAが語りを必要としていることに気づいた。以降, 筆者は, Aの語りを聴き, 沈黙を共にすることを続けた。これは, 痛みを痛みとして受けとめる体験であった。
その約1カ月後, Aと夫は, 危篤状態のBを連れて帰ることを決意し, 自宅で父母と親族とでBを看取った。Aの苦悩と哀しみは深く, その後も筆者はかかわりを続けた。
本例へのかかわりにおいては, 一定の枠組みを持ちながらも柔軟に対応すること, 精神医学的アセスメント, 受動的かつ能動的に語りを聴きながらAを含めたその場を安定させること, 沈黙, Aへの注意と関心を保つことに意義があったものと思われた。
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