土木学会論文集D2(土木史)
Online ISSN : 2185-6532
ISSN-L : 2185-6532
68 巻, 1 号
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
和文論文
  • 阿部 貴弘, 篠原 修
    2012 年 68 巻 1 号 p. 1-10
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/01/20
    ジャーナル フリー
     近世城下町大坂の町人地は,堀川網や背割下水と呼ばれる下水路網などのインフラが実に見事に整備された,水系を骨格とする日本独自の大変興味深い都市構造を有していた.本研究では,こうした城下町大坂の町人地のうち,いまだ設計論理の解明されていない上町地区を対象として,近代測量図の地図計測による定量的分析という新たな方法論に基づく分析を行い,町割の基軸及びモジュール,設計単位,さらに開発過程を明らかにし,地区の設計論理を読み解いた.
  • 西山 孝樹, 知野 泰明
    2012 年 68 巻 1 号 p. 11-21
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/01/20
    ジャーナル フリー
     江戸幕府の河川技術流派である“紀州流”の出所である和歌山県,その北部を西流する紀の川両岸は河岸段丘が拡がり,近世初頭まで溜池と紀の川に注ぎ込む中小河川に堰を設けて灌漑が行われて来た.本研究では,“紀州流”の原点を見出すことを最終目的とし,紀の川上・中流域において荘園が形成された11世紀末以降から近世中期までの灌漑水利の変遷について研究を行った.本研究の結論として16世紀頃から荘園制度が消滅していき,近世初頭の応其上人による溜池の築堤や改修,紀州藩の事業として紀の川の堤防築堤や用水路開削が行われ,紀の川に対して横断方向の開発から本格的に大規模な縦断方向の新田開発へ転化していったことが明らかとなった.
  • 小川 徹, 真田 純子
    2012 年 68 巻 1 号 p. 38-48
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/06/20
    ジャーナル フリー
     国立公園などの自然風景地における利用と保護のバランスは,国立公園制度の開始前から現在に至るまで課題となっている.本研究では本多静六の風景利用策を取りあげ,風景利用策における個別の計画を整理した上で,本多自身が何を風景資源ととらえ,それを生かすためにどのような空間改変を考えていたのかを明らかにすることを目的とした.その結果,風景利用策の背後に4つの考え方があったこと,風景資源は,風景地全体のイメージ,風景地内部の眺め,その土地の特徴を良くあらわす植物や地形などのほか,本多自身が「こうあるべき」と思う理想像の場合もあったこと,しかしそれらを生かすための空間改変については相互に矛盾する部分もあったことを明らかにした.
  • 清水 英範
    2012 年 68 巻 1 号 p. 49-68
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/06/20
    ジャーナル フリー
     ジョサイア・コンドルが明治18年(1885)1月に立案した官庁集中計画は,霞が関を官庁街,日比谷を公園とすることを初めて示した計画であり,近代都市計画史上,重要な意味を持っている.しかし,この計画に関する既存研究は極めて少なく,計画に至る経緯やコンドルの計画意図については,これまでほとんど明らかにされてこなかった.本研究は,幾つかの新たな史料を用いて,この問題に初めて迫り,1)太政官による官庁集中計画の実施とコンドルの登用は,井上馨が明治17年4月に提出した建議により決定されたこと,2)コンドルの計画には二案あったが,コンドルの本意は,諸官庁を日比谷練兵場内西側及び教導団の土地に集約し,地質粗悪な日比谷練兵場内東側を大公園とする,第二案の方にあったことなど,幾つかの新事実を明らかにした.
  • 阿部 貴弘, 篠原 修
    2012 年 68 巻 1 号 p. 69-81
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/06/20
    ジャーナル フリー
     近世城下町の町人地は,水路網と街路網が複雑に入り組んだ,水都と呼ぶにふさわしい日本独自の大変興味深い都市構造を有していた.こうした城下町町人地の設計論理を解明しようと,諸分野において長年にわたり研究が行われてきたが,これまでに設計論理を説明する十分な研究成果が得られているとは言い難い.こうした背景を踏まえ,筆者らは,近代測量図の地図計測による定量的分析という新たな方法論を提示し,この方法論に基づき,近世城下町大坂及び江戸の町人地における設計論理を解明してきた.
     本研究は,筆者らのこれまでの研究成果を踏まえ,大坂及び江戸の町人地全体の設計論理について再考察するとともに,両者の比較により,それぞれの設計論理の特質を明らかにするものである.
  • 山中 孝文, 田中 尚人, 星野 裕司, 本田 泰寛
    2012 年 68 巻 1 号 p. 82-95
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/08/20
    ジャーナル フリー
     熊本大学工学部の前身である第五高等学校工学部,のちの熊本高等工業学校は1897(明治30)年,1906(明治39)年に実業専門学校として設立された.上記の学校の卒業生は高等専門学を教授され,工学得業士の称号を授与された.本研究では,まず土木分野における五高工学部・熊本高工の位置づけを整理し,実社会における工学得業士の割合を示した.さらに,卒業時点の進路と勤務先の変遷に関するデータベースを作成することにより,工学得業士の主な勤務先が地方官庁だったことを明らかにした.最終的に,地方官庁の勤務者を抽出してその就業状況について分析することにより,その特徴を考察した.
  • 五十畑 弘, 鈴木 淳司, 上野 淳人, 尾栢 茂
    2012 年 68 巻 1 号 p. 96-106
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/09/20
    ジャーナル フリー
     旧江ヶ崎跨線橋200ftトラス(常磐線隅田川橋梁)は,錬鉄から鋼に切り替わった比較的初期の鋼橋である.鉄道橋から道路橋に転用され,もう一度道路橋に再生される過程で,鋼材性能等の調査がされた.イングランドのハンディサイドで製作され輸入されたことは,すでに知られていたが,再生加工中に,部材表面の陽刻から,鋼材はスコットランドの製鉄会社からのものであることが確認された.
     本論文では,部材再利用を通じて得られた知見や,新たに入手した19世紀後半における錬鉄,鋼材,製作工場等に関する文献によって,錬鉄から鋼へ切り替えが進められた時期における初期の鋼橋技術について考察を行った.この結果,錬鉄から鋼へ切り替わる時期における構造材としての鋼に対する当時の認識や,切り替えにおける技術的判断の過程が明らかとなった.
  • 馬場 俊介, 樋口 輝久, 山元 亮, 島田 裕介, 横井 康佑, 木田 将浩
    2012 年 68 巻 1 号 p. 107-122
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/10/19
    ジャーナル フリー
     著者らが2007年から実施してきた「近世以前の日本の土木遺産の総合調査」では,データ蓄積と現地調査,ならびに,WEB公開を同時並行で進める中,残存遺構の価値を,(1)保存状態と(2)本質的価値に分け,後者については試行的に判断・公開してきた.保存状態の評価基準の作成に比べて本質的価値の評価基準の作成が遅れたのは,基準作成にあたって相当数のデータ蓄積が必要であり,かつ,文献上の確認も数多く必要となったからである.この度,調査開始5年目にしてようやく基準を作成できる水準に達したと判断したことから,遺構の中で最もデータ数の多い道路遺産(道標・町石・常夜灯)について,本質的価値の基本的概念を,その背景となったバックデータとともに示す.また,各評価対象項目の1位に相当するものを個別に紹介する.
  • 西山 孝樹, 藤田 龍之, 知野 泰明
    2012 年 68 巻 1 号 p. 123-131
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/11/20
    ジャーナル フリー
     わが国では,10世紀をピークとして9世紀から11世紀にかけて,「土木事業の空白期」が存在していたことを本研究で指摘した.その背景には,10世紀における律令国家の崩壊が最も影響したと考えられる.そして更なる要因として,平安貴族を中心に,土の掘削を忌み嫌う「犯土」思想が,10世紀後期から11世紀に存在しており,その思想が「土木事業の空白期」に影響を及ぼしていたとみられることを示した.
     しかし,空白期における土木事業は,全く実施されなかったわけではなかった.わずかではあるが,僧によって行われており,文献史料を中心に彼らの事績をまとめた.そして,「犯土」思想が僧による土木事業に影響を与えたかについても迫り,平安時代における「土木事業の空白期」の実態を明らかにした.
和文報告
  • 中根 洋治, 奥田 昌男, 可児 幸彦, 早川 清, 松井 保
    2012 年 68 巻 1 号 p. 22-37
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/02/20
    ジャーナル フリー
     本稿では,静岡県の赤石山脈の南端にある,我が国の代表的な尾根を通る秋葉古道を研究対象とした.この古道について,中世以前のことがこれまで明らかにされていないので,その成立過程と果たしてきた役割などを研究した.秋葉古道は時代と共に黒曜石・巨石信仰・塩・修験道・秋葉信仰・戦いの道などに使われてきたが,文献調査,現地踏査及び聞き取り調査により,その成立過程とともに浜松市を代表とする遠州と飯田市を代表とする南信州を結ぶ古道の役割についても研究した.その結果,最古の道は兵越峠を越えていたこと,そして,時代が下がるにつれて利用されたルートが低い位置に推移していること,また秋葉古道の役割として,物や人の運搬に関することおよび信仰などのために使われてきたことを明らかにした.
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