土木学会論文集D2(土木史)
Online ISSN : 2185-6532
ISSN-L : 2185-6532
70 巻, 1 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
和文論文
  • 西山 孝樹, 藤田 龍之
    2014 年 70 巻 1 号 p. 9-19
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/07/18
    ジャーナル フリー
     わが国では,10世紀をピークとして9世紀から11世紀に「土木事業の空白期」が存在していた.その背景には,平安貴族を中心に土の掘削を忌み嫌う「犯土」思想が影響していたとみられる.そこで本研究では,空白期の存在をより明確にするため,当該の時代に設置された官職に着目した.土木と関わる官職が設置されていなければ,社会基盤整備を実施できなかったと考えられるからである.
     わが国の律令制度が倣った中国の唐および空白期と同時期に成立していた宋には,土木と関係する官職が設置されていた.一方,わが国の中央政府には土木事業を行う官職は設けられておらず,地方では災害発生時など臨時に設置されていたに過ぎなかった.9世紀から11世紀には,社会基盤整備に通じる事業を専門に掌っていた官職は存在していなかったことを本研究で示した.
  • 野口 孝俊, 浦本 康二, 鈴木 武
    2014 年 70 巻 1 号 p. 20-29
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/08/20
    ジャーナル フリー
     第二海堡は,軍事要塞として明治32年に人工島が竣工し,建設後100年が経過している.その間,第二海堡は1923年の関東大震災によって被害を受け,長年の風浪等により劣化・損傷・崩壊が進行している.現在,護岸の保全を行い,その一部は当時の護岸を復旧させることを検討している.本稿は,工学的立場から,国内で初めての海上人工島築造に対する海堡建設計画,建設技術,設計技術など明治期土木構造物の建設技術をとりまとめ,現代技術への展開について考察を行った.
  • 宮下 秀樹, 山浦 直人, 井上 公夫
    2014 年 70 巻 1 号 p. 30-42
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/09/19
    ジャーナル フリー
     弘化四年に発生した善光寺地震は多くの土砂災害を発生させている.このうち特に甚大な被害を発生させたものに,岩倉山の崩壊による犀川のせき止め湖決壊洪水がある.これらの災害に関する古記録は豊富で,既往の研究が精力的に実施されているが,煤花(裾花)川のせき止め湖決壊災害に焦点を絞った研究は少ない.本研究は,河川災害史研究の見地より,地震後に発生した土砂災害とその後,明治初期までの間の河川災害と川除普請について時系列的に俯瞰し,善光寺地震と煤花川河川改修の関わりを論述する.下流域左岸の文政期御普請堤は壊滅的な被害を受けたが,流域農民による20年余に及ぶ川除普請により二線堤構造が復旧されたことが分かった.
  • 橋本 政子
    2014 年 70 巻 1 号 p. 43-52
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/11/20
    ジャーナル フリー
     哈大道路は,満洲国において計画整備されたハルビン(哈爾濱)-大連間を結ぶ約1,000kmの高速道路である.本研究は,哈大道路の計画整備の経緯及び計画内容の特徴を明らかにするとともに,高速道路計画史における意義について考察することを目的としている.研究の結果,以下3点を導出した.1) 1938年から1945年にわたって推進された哈大道路の計画整備の経緯を明らかにした.2) 哈大道路は,戦前に日本人技術者らが計画整備を推進した最初期の高速道路事業として位置づけられる.3) 哈大道路の設計思想には,同時代に先行整備されていたアウトバーンと共通する内容が確認された.哈大道路は,日本人技術者によって計画整備された本格的アウトバーンとしての先駆をなすものであったといえる.
  • 簗瀬 範彦
    2014 年 70 巻 1 号 p. 53-65
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/11/20
    ジャーナル フリー
     我が国の代表的な都市計画ツールである土地区画整理の起源は1899年制定の「耕地整理法」から始まり,関東大震災と戦災の復興事業の経験を踏まえ,現行の「土地区画整理法」として完成を見た.その後の現場での技術的な工夫の積み上げや1975年制定の「大都市地域における住宅及び住宅地の供給に関する特別措置法」の諸規定を踏まえ,1995年制定の「被災市街地復興特別措置法」として,災害復興への制度的な対応能力を発展させて来た.本研究は土地区画整理制度の骨格をなす「換地処分」を中心に制度の形成過程を体系的に整理,考察したものである.
     また,制度前史として,江戸期の慣行が耕地整理法に与えた影響,先行法とされる「土地区画改良ニ係ル件」の再評価,法令用語の定着過程等において,従来の見解に幾つかの修正を求めることができたものと考える.
  • 安井 雅彦
    2014 年 70 巻 1 号 p. 66-82
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/12/19
    ジャーナル フリー
     大正末期に開始された用排水幹線の改良に対する農林省の府県への助成は,中小河川改修の場合にも実施されるようになり,内務省の河川管理権限との調整を必要とした.その後内務省の補助制度が成立するが,府県の側からすれば,いずれの補助費も荒廃する中小河川の水害減少に有効なものであった.愛知県内での当時の中小河川改修の経過を調べていくと,両省間での河川管理権限に関する調整の影響は小さく,計画手法の違い,流域・沿川の状況などから棲み分けが行われたことが確認される.この時期の同県には,双方の補助費を効果的に受け入れ,中小河川の改修を積極的に推進しようとする姿勢が見られる.
和文報告
  • 布施 孝志, 大矢 紀之
    2014 年 70 巻 1 号 p. 1-8
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/06/20
    ジャーナル フリー
     陸上と海底の地形を表現する標高と水深の0m基準は異なっている.これらの基準に関係する事績は,明治期の近代測量開始時まで遡ることができる.その後,それぞれ個別に変遷を遂げるが,その関係については十分に明らかにされていない.本報告では,定義が異なる基準について,それぞれの決定経緯の調査・整理を行った.特に,水深基準の決定経緯については,水路測量担当機関により発行された一次史料にあたり,その変遷を整理をした.水深の基準については,単純な低潮面平均から始まり,調和分解法による最低水面の導入,呼称の矛盾期間の存在と解消,調和分解法に必要となる常設験潮所の設置という経緯を確認できた.また,標高の基準に関する統一化の流れを示し,標高と水深の基準決定経緯を比較することにより,両者の関係性を抽出した.
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