土木学会論文集D2(土木史)
Online ISSN : 2185-6532
ISSN-L : 2185-6532
71 巻, 1 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
和文論文
  • 野口 孝俊, 浦本 康二, 鈴木 武
    2015 年 71 巻 1 号 p. 1-10
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/03/20
    ジャーナル フリー
     第二海堡は,明治期後半に建設された東京湾中央部に位置する軍事要塞跡である.要塞はコンクリート,煉瓦,石材,土により建設された土木構造物(地盤構造物)である.築造100年を経過している近代遺産であるが,軍事施設であるため設計・施工や完成断面などの建設記録が残されておらず,耐久性の検討を行うことが難しい状況にある.本稿は,第二海堡における煉瓦の特徴をとりまとめ,周辺類似施設と比較することで,明治期の東京湾砲台群建設における煉瓦の調達の関係を考察し,材料の特定に必要な煉瓦構造物の建設年次および材料調達を推測した.
  • 村上 理昭, 山口 敬太, 川崎 雅史
    2015 年 71 巻 1 号 p. 11-24
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/06/20
    ジャーナル フリー
     堺大濱では,明治期半ば以降,堺市や阪堺電気軌道株式会社によって公園地経営が進められた.本研究では堺市会決議録・会議録や行政資料,大阪毎日新聞堺周報等の資料をもとに,堺市大濱公園における管理と経営の変遷と,作り出された海浜リゾート空間の形成過程を明らかにした.具体的には,堺市による官有地を借り受けての料理屋・茶店営業を主とした遊園地経営,内国勧業博覧会を契機とする水族館と西洋式広場の整備,堺市の財源不足や鉄道会社間の競合関係を背景とした阪堺電気軌道の公園経営への参画と公会堂や潮湯などの文化・娯楽施設の整備,市と阪堺電気軌道の考えの相違による契約解消,といった公園地経営の経緯を明らかにし,海浜リゾートとしての空間形成の実態を明らかにした.
  • 阿部 貴弘, 天野 光一, 内藤 充彦
    2015 年 71 巻 1 号 p. 25-38
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/08/20
    ジャーナル フリー
     群馬県甘楽町小幡地区には,生活用水や庭園の泉水として利用されてきた雄川堰小堰と呼ばれる小水路網が,分流と合流を繰り返しながら網目状に張り巡らされ,これが地域の歴史的風致の中核をなしている.本研究では,小幡地区の歴史的風致の維持向上に資するよう,現地調査に基づき小堰の現況と全体像を明らかにするとともに,絵図等の史料分析に基づき水路網の変遷過程を解明した.さらに,小幡地区住民等へのアンケート調査及びヒアリング調査の結果に基づき,小堰の利用及び管理の現状及び変遷を把握した.そのうえで,これらの分析結果を踏まえ,小堰の歴史的価値について考察した.こうした研究成果は,今後の小堰の適切な維持管理とともに,甘楽町の歴史的風致の維持向上に資する有益な成果であると考える.
  • 山口 敬太, 田中 倫希, 川崎 雅史
    2015 年 71 巻 1 号 p. 39-54
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/09/20
    ジャーナル フリー
     本研究は,戦前の大津における都市計画街路と湖岸埋立及び遊覧施設計画の内容と策定意図,実現過程を明らかにし,これらを通じて近代大津の都市建設の理念,実現の手段と主体のはたらきを明らかにするものである.大津では明治末年以降,市会を中心に湖岸埋立・道路整備構想が数度立案され,昭和初期には琵琶湖の風致整備を基軸とした近代的「遊覧都市」の建設という理念が確立し,このもとに都市計画街路網・埋立計画や遊覧施設計画が策定された.これらの計画は名勝地の連絡による遊覧交通系統の充実と,遊覧施設や湖岸の風致の整備を意図したものであった.湖岸埋立と逍遙道路は公有地の売却益による事業収入をもとに戦前から戦後にかけて実現した.これは市,県の遊覧都市建設という理念の共有に基づいた長期にわたる協働的推進によるものであった.
  • 村山 雅人, 松井 伸頼, 野口 孝俊, 内川 直洋
    2015 年 71 巻 1 号 p. 55-65
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/20
    ジャーナル フリー
     東京湾第二海堡は,東京湾要塞の一つである.明治33年から砲塔や倉庫などの上部構造が建設された.現在,露出している土中部のコンクリートや煉瓦構造物の外壁面に対してアスファルトまたはコールタールのような粘稠物質が塗布されているのが確認される.当時は,第二海堡全体が覆土され地下構造物となっていた.そのため,構造物の防水を目的に塗布したものと考えられた.本稿は,埋蔵文化財調査の一環として,明治期に建設された要塞に施工された防水材について外観調査および化学分析を実施し,現代の材料と比較した上で,過去の文献と照らして第二海堡に施された明治期防水技術について考察を行ったものである.
feedback
Top