シンポジウム「この20年で医療はどう変化したか?―生活モデル/セルフケア/自己決定」は、医療という営みにおいて生活という概念を重視した変化が生じたことを示したと考える。この20年、医学が基準とされる医療という社会的営みに、個人の固有性に応じる仕組みを強化し、人間が自分で自分をケアすることを重視し、かつ、自己決定の重要性を増した変化が生じた。そして、それは同時に、一人ひとりの固有性に呼応する多様なアクションを医療提供者に求め、標準化のベクトルで進む医療政策と相反する複雑な仕組みづくりを要求している。この変化は、看護職が、医療の中で、ケアの受け手との関係というミクロ社会レベルで実現しようとしてきたものと重なる。しかし、わが国における看護学は、生活概念を重視してきたものの、それを自明視したまま経過している。看護学は、保健・医療・社会の知の創造に貢献するような学際研究に参加しなければならない。
高齢出産は女性の生き方の多様化により増加している。近年、高年初産を経験しているのは第二次ベビーブーム世代であり、またその母親は第一次ベビーブーム世代である。この二世代のベビーブームの間ではイエ意識や結婚・出産に関する規範が大きく変化し、少子化・高齢化にも影響していると考えられる。本研究の目的は高年初産を経験した娘をもつ母親にとって、娘の妊娠・出産・育児を経験して娘との関係がどのように変化したのか、またこれからどのような関係を築いていきたいのか、サポートの授受や価値観の違いが母娘関係にどのような影響を与えたか、について母親の語りから明らかにすることである。結果として、母親は娘との関係を良好と捉え、年齢が上がるにつれ心理的な距離は離れるが、娘の高齢での妊娠を機に、心理的・物理的に近接し、積極的にサポートしていた。母親はこれからも娘との良好な関係の維持を望み、娘からのサポートを期待する意識も示唆された。
出産の医療化は戦後の現象として語られる傾向にあったが、都市部においては戦前、戦中期の段階からある程度医療施設出産が普及していたことも明らかにされつつある。しかし、従来の研究では戦前、戦中期の医療施設出産は十分な根拠をもって論じられてこなかった。本稿では、東京府の著名助産取扱医療施設に注目し、その運営状況を、戦中期に行われた助産取扱医療施設に関する調査や施設史などから検証し、戦前・戦中期東京府でどのような医療施設でどの程度出産が行われていたか検討した。その結果、1930年代中盤から40年代初頭にかけての東京府では、産婦人科取扱施設自体は多数存在していたにも関わらず、大部分の医療施設出産は一部の低所得者向けに設立された助産取扱医療施設において行われていたことが示された。したがって、この時期の東京府の医療施設出産は集約型と特徴付けられる。
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