保健医療社会学論集
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28 巻 , 2 号
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特集 第43回大会(2017年度)佛教大学
大会長講演
  • 村岡 潔
    2018 年 28 巻 2 号 p. 1-10
    発行日: 2018/01/31
    公開日: 2019/02/26
    ジャーナル フリー

    本稿は、近代医学における「健康と病理」/「正常と異常」をめぐる下記の諸観点・諸要素についての概説である。I)では19世紀の細菌学と特定病因論並びに自然治癒力について;II)では健康の定義の3つのあり方:健康=病気の不在、日々の生活で不自由のないことや身体内外全体でバランスがとれていること;III)心身相関の立場では、患者には人生に楽観的と悲観的の2タイプがあるが、前者の方に回復傾向が強いこと;IV)集団の連続性では平均から遠ざかるほど病気度が高いこと(切断点で健康か病気か分別);V)「未病」と「先制医療」バーチャルな医療戦略は予防医学の最高段階にあり、未来を先取りした病気(未病)に先手攻撃を仕掛けること;VI)余剰では、相関があっても因果関係はないこと;サイボーグ化とエンハンスメントの関係、並びに「言語の私秘性と公共性」をとりあげ、認知症の人が私秘的で内的な言葉の世界で生きている可能性について論じた。

教育講演
ランチョンセミナー講演
  • 佐藤 純一
    2018 年 28 巻 2 号 p. 20-24
    発行日: 2018/01/31
    公開日: 2019/02/26
    ジャーナル フリー

    本稿は第43回日本保健医療社会学会大会の「ランチョンセミナー」での口演(語り)の内容を原稿化したものである。本稿の目的は、日本の医療社会学関係の研究の問題点を指摘することを通しての医療社会学批判である。本稿で指摘する「日本の医療社会学の問題点」は、近代医療・近代医学の多様性・多相性を認識しないでの研究が多いことである。本稿では、その問題点を次の4つの落とし穴(pitfall)をもって説明する。

    (1)「医療=医学」とする誤謬、(2)近代社会における多元的医療の無視、(3)「近代医学=科学的一枚岩」の幻想、(4)「近代医療=病院(臨床)医療」という思い込み。

    これらの落とし穴の指摘を通しての本稿の医療社会学批判は、医療社会学の現場から今、立ち去ろうとしている老兵の、現場に残る医療社会学徒へのエールになればと思っての語りでもある。なお、実際の「ランチョンセミナー」では、この内容では口演は行われていないので、本稿は「医療社会学批判―語られなかった語り」の原稿化でもある。

特別講演
  • サックス マイク
    2018 年 28 巻 2 号 p. 25-35
    発行日: 2018/01/31
    公開日: 2019/02/26
    ジャーナル フリー

    現代の新自由主義社会においては、伝統的に、医療専門職は高度に道徳的品性を有する存在、自身の利益よりも公益を優先させる存在とみなされてきた。そのような見方は、保健医療領域の典型的な専門職だけではなく、他の分野の専門職においても当てはまる。しかし、1960年代から70年代にかけての反体制文化の影響を受けて、医療専門職が利己的であり、利他主義的イデオロギーの見せかけの下で、実は国民の利益よりも医療専門職自身の利益を優先させているといった異議申し立て(contestation)や論争が起こってきた。帝国主義的に医療化の範囲を拡大することから代替医療従事者への不当な迫害にいたるまで、医療専門職はすべてのことに有害に関与していると見なされてきた。この背景には、社会理論の主流における[医療専門職に対して——角括弧は訳者による補足、以下同じ]より支持的だった特性・機能主義的アプローチから、[医療専門職に対して]より批判的であり、今や支配的となった新ヴェーバー主義的パースペクティブへの転換という影響がある。

    本講演では、実証的事例に基づき、医療専門職が利他的あるいは利己的のいずれとみなされうるのかについて、この問題を判断するための明確な方法論的枠組みを用いることの重要性と同時に、度々誤認される議論の複雑性——自己利益と公共の利益は必ずしも対置されるものではないという事実に集約される——を強調しながら、利他–利己論争に光を当てる。また、この議論は、新ヴェーバー主義が他の視点、とりわけフーコー主義やマルクス主義パースペクティブによってこれまで挑戦を受けてきたという理論的観点から批判的に取り扱われる。フーコー主義やマルクス主義パースペクティブにも弱点はあるが、医療専門職を単に島[孤立した存在]としてみなすことができず、医療専門職が統治性と資本主義の広範な社会–政治的構造に結びついたものであるということを強調している。

    しかしながら、もし医療専門職が利他的であるという主張がより広い文脈において検証されなければならないとしたら、それは新制度主義者アプローチによって最も強調される。新制度主義者アプローチは、医療やその他の専門職を、制度形態の生態学(an ecology of institutional forms)における他制度との生存競争下のひとつの制度とみなす。この環境下における医療専門職の利他–利己的志向を理解することは、社会学的にのみならず、健康政策の観点からもきわめて重要である。医療専門職の規制という観点から言えば、国家が承諾した自己規制から、公衆保護のため医療者に対するより公的で外的なコントロールがみられる規制された自己規制(regulated self-regulation)へと近年の移行が起こっているいくつかの新自由主義国家においては、上記のことはとりわけ事実なのである。

シンポジウム「病をめぐるContestation――本態・病因・治療法を論点として」
  • 齊尾 武郎
    2018 年 28 巻 2 号 p. 36-43
    発行日: 2018/01/31
    公開日: 2019/02/26
    ジャーナル フリー

    1990年代後半から2000年代にかけてEBM(根拠に基づく医療)がわが国の医学界を席巻した。これは「多数の患者に対する客観的な臨床的医学データ(エビデンス)を集積し、個別の患者の治療のために用いよう」という医療改革運動・思潮・医学的方法論であり、従来の人体機械論的医学に一石を投じるものとして、「医学的なパラダイムシフト」であると盛んに喧伝された。しかし、EBMは現代科学論的にはパラダイムシフトではなく、科学的医学の範疇のものである。初期のEBMには原理的な弱点があり、わが国の医学界でEBMへの関心が高まり、さまざまな思惑が噴出するにつれ、EBMはその気高い理念とは逆の混乱した状況に陥っていき、ついにはごく短期間でEBMは終焉を迎えた。本稿では、わが国のEBMの歴史を概観し、EBMの輸入にまつわる諸問題を検討した。

  • 井上 芳保
    2018 年 28 巻 2 号 p. 44-53
    発行日: 2018/01/31
    公開日: 2019/02/26
    ジャーナル フリー

    HPVワクチン接種被害事件では、それまで健康そのものだった女性に必要性が疑わしく、副反応の危険性の高いワクチンが打たれた結果、重篤な被害に見舞われた女性たちの苦しみが続いている。国が公認して接種を進めていったことの責任が問われなければならない。このワクチンは、国会の議を経て2013年4月に定期接種化されたが、2カ月後に中断された。しかし日本産婦人科学会をはじめ医学系の多くの学会が定期接種再開を求めている。膠着状態の続く中、2016年7月には被害者たちによる、国と製薬会社を相手どっての集団訴訟も開始された。本稿はそのような経緯を踏まえつつ、このワクチンの接種が強行されてしまったことの背景にあるものを探ってみる。「病」が医療側の都合でつくられている現実がある。先制医療に対して無防備になってしまう我々の中にある、「正常」への過剰な志向性、すなわち「正常病」の兆候、そして予防幻想が視野に入ってくる。この問題は何も医療だけに限らない広がりを有している。

  • 美馬 達哉
    2018 年 28 巻 2 号 p. 54-64
    発行日: 2018/01/31
    公開日: 2019/02/26
    ジャーナル フリー

    本稿では、1980年出版の米国精神医学会による診断マニュアルの第3版(DSM-III)以降に明確化した米国精神医学パラダイムをDSM的理性として分析し、その歴史を2013年の第5版(DSM-5)登場まで概観する。とくに、精神疾患の診断名をめぐるcontestationをたどることで、作成・改訂過程のなかでcontestationが生じやすいのはどのような場合かを明らかにする。その結果、診断名や診断基準を多数決で決定すること、精神医学コミュニティ以外の多様なアクターの関与(アイデンティティ承認や経済的利害)、操作主義的な精神疾患の定義であるため正常と疾患の境界があいまいであること、生物医学モデルとは異なっていること、などのDSM的理性の特徴がcontestationを引き起こしていることが示唆された。医学は決して一枚岩ではなく、多様な社会的力関係のなかに組み込まれている。

原著
  • 中村 和生, 浦野 茂, 水川 喜文
    2018 年 28 巻 2 号 p. 65-75
    発行日: 2018/01/31
    公開日: 2019/02/26
    ジャーナル フリー

    本稿は、当事者研究、すなわち日常生活を送っていくにあたり何らかの苦労や困難を持つ人々による自分たち自身を対象とした共同研究(我々のデータでは、精神障害を持つ人々のグループセッション)という実践を主題とする。そして、このグループセッションという相互行為において、ある者が当事者をする中でファシリテーターを担っていることに注目し、このことの意義ならびに、そのような担い手によるいくつかのやり方を解明することを目的とする。ときに、この担い手はファシリテーターから離れた参加者としてもふるまうが、これがいかにして可能であり、また、その可能性の下でどのように首尾よく成し遂げられているのかを検討し、プレセッションにおいてすべての参加者が行う、自己病名の語りを通した自己紹介によって当事者としての共成員性が確立することを見いだす。また、このファシリテーターはどのように発言の順番をデザインしているのかを分析し、ファシリテーターはほぼすべての順番を自己選択で取り、またしばしば次話者選択をする一方で、次話者選択しない場合にも、状況に応じた適切な指し手を繰り出していることを見いだす。

  • 笹谷 絵里
    2018 年 28 巻 2 号 p. 76-86
    発行日: 2018/01/31
    公開日: 2019/02/26
    ジャーナル フリー

    日本の人工乳や育児用調製粉乳については多くの分野で研究が行われてきたが、先天性代謝異常症の治療に用いられる特殊ミルクについては、医学の分野を除いて、主題的に取り上げられたことはなかった。日本では1977年に新生児マス・スクリーニングが導入され、さまざまな視点から論及されてきたが、導入の目的とされた早期発見・早期治療による障害発生の予防についての実情を研究するものはほとんどなかった。本稿は、特殊ミルクによる治療と予防の実情を特殊ミルク開発の歴史も参照しながら解明し、新生児マス・スクリーニングの研究に対して新たな基礎を提供するものである。本稿は、主として、特殊ミルク事務局の広報誌『特殊ミルク情報』を中心に、関係医学学会誌の論文を検証した。結果、新生児マス・スクリーニングの導入後、追跡調査から特殊ミルクでの治療に限界があることが示されたが、広く知られないまま、制度が拡張されてきた経緯が明らかになった。

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