公権力による監視型情報収集の普及に伴い、「プライバシーの合理的な期待」の保護に関する修正4条の解釈論(プライバシー合理的期待法理)は揺らいでいる。その主因は、監視型情報収集の対象となる個々の情報に各人が当該期待を有するか否かという問題と、当該収集が対象者のプライバシーを害するか否かという問題との間のずれにある。プライバシーの内実を自己情報コントロール権と捉える通説的な思想は、その保護のあり方を社会的な文脈等に依存し、プライバシー合理的期待法理と通底している。しかし、「合理的な期待」の内実が技術革新の状況等に応じて変容し得る中で、収集・取得される個々の情報に対して当該期待が存するか否かを都度問うことは有意ではない。よって、かかる情報を集合体的に捉えつつ、収集・取得の規模や監視能力に照らして、監視型情報収集が個人の私生活を丸裸にし得るほどの水準に達しているか否かを客観的に問うことが求められる。
欧州連合は、域内産業の競争力の強化及び文化の多様性の維持を図るため、コンテンツ政策を積極的に推進している。これまで、視聴覚メディア・サービス指令に基づき、放送等のリニア視聴覚メディア・サービスに、欧州製の作品、いわゆる欧州作品(European works)に対するクオータ制が講じられてきたが、2018年には同指令が改正され、Netflix等のOTTサービスを念頭に、ノンリニア視聴覚メディア・サービスに対しても適用されることとなった。本稿においては、クオータ制の経緯等を振り返るとともに、価値財の観点から余剰分析を行う。その結果、欧州作品の要件を、単に制作者の居住地といった外形的なものとする場合には、多様な価値観を受容するという便益を享受できず、社会的余剰が損なわれるおそれがあることを指摘する。
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