日本図書館情報学会誌
Online ISSN : 2432-4027
Print ISSN : 1344-8668
58 巻 , 2 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
論文
  • 呑海 沙織, 綿抜 豊昭
    原稿種別: 論文
    2012 年 58 巻 2 号 p. 69-82
    発行日: 2012/06/30
    公開日: 2017/04/30
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿では,図書館マナーの社会的受容について考察を行うことを目的として,近代礼法書における図書館に関する記述内容の分析を行った。近代礼法書において,図書館が単独で取り上げられるのは昭和以降のことであり,図書館に関する共通記述は12種みられた。図書館に備え付けられている「もの」に関する記述が6種,(2)図書館における「ふるまい」に関する記述が6種である。「もの」に関する記述のほとんどが図書に関するものであり,特に図書を丁寧に扱うという記述は全ての対象書にみられた。一方,「ふるまい」に関する記述で最も多かったのは静粛であり,なかでも音読禁止は最も多く取り上げられていた。先行研究においては,明治期より図書館規則によって音読禁止条項が普及し,大正から昭和初期にかけて衰退する傾向にあったことが明らかにされているが,本稿では礼法教育によって「規則」から「マナー」へと変容した可能性を指摘することができた。
  • 須賀 千絵
    原稿種別: 論文
    2012 年 58 巻 2 号 p. 83-96
    発行日: 2012/06/30
    公開日: 2017/04/30
    ジャーナル オープンアクセス
    英国の自治体Wirralの公共図書館閉館問題に対し,2009年に,1964年公共図書館・博物館法に基づく中央政府の審問が実施された。本研究では,審問の過程を検証し,審問の制度の意義と課題について考察した。その結果,Wirralにおいては,審問によって図書館閉館の決定を撤回させることができ,緊急事態への対応という点で,一定の効果があったことが明らかとなった。同時に,課題として,第一に,審問は政治を超えた安定的制度ではないこと,第二に,問題を大臣に通報するにはロビー活動によるしかないことから,通報にあたっての市民の時間,労力,金銭的負担が大きいこと,第三に,適正な審問が実施できるかどうかは審問官個人の力量に左右される可能性があること,第四に,定期的なモニタリング等によって継続的に中央政府が介入しない限り,問題点を是正するという効果を持続させることはできないことを指摘した。
  • 宮田 洋輔, 安形 輝, 池内 淳, 石田 栄美, 上田 修一
    原稿種別: 論文
    2012 年 58 巻 2 号 p. 97-109
    発行日: 2012/06/30
    公開日: 2017/04/30
    ジャーナル オープンアクセス
    ウェブの規模が増大するにつれ,検索エンジンからアクセスできない状態,すなわち深層ウェブも増大していることへの関心が高まっている。マッカウンら(2006)とハーゲドーンとサンテッリ(2008)は,深層ウェブの規模をOAI-PMHを用いて収集した機関リポジトリに収録された文献のメタデータを用いて計測した。本研究では,2009年9月に,先行研究の手法を応用し,日本の機関リポジトリから収集した全文PDFファイルのURLを用いて,より大規模に深層ウェブの比率を計測した。その結果,Google, Yahoo!, Bingの3つの検索エンジンから検索できるウェブは72.0%に過ぎず,28.0%が深層ウェブとなっていることが分かった。1つの検索エンジンでは,最高でもGoogleの53.2%であった。また,PDFファイルとURLの特徴の調査から,動的なURLや長いURLが深層ウェブとなる要因であることが分かった。
  • 河村 俊太郎
    原稿種別: 論文
    2012 年 58 巻 2 号 p. 110-126
    発行日: 2012/06/30
    公開日: 2017/04/30
    ジャーナル オープンアクセス
    大学組織及び図書館組織の中における東京帝国大学附属図書館の役割について,そのモデルや実際の運営から検討した。当時の図書館組織のモデルとなるのは二つあった。一つはドイツの大学に代表される学問型であり,このタイプの図書館においては,中央と部局は切り離されており,価値のある図書だけを購入していた。もうひとつは,アメリカの伝統ある大学に代表される教育型であり,このタイプの図書館は,部局と中央が組織的な関係を持つことを意識し,また教育的な資料も収集していた。東京帝国大学は,研究型の図書館を望み,附属図書館の基礎を築いた三人の館長は教育型を重視していた。実際の附属図書館の運営を見てみると,部局図書館と附属図書館は別々に運営され,図書館員は大学図書館についての知識は十分に身につけていなかったが学問に関しての知識は持っていた。そして,少なくとも関東大震災ごろには図書館員を中心に選書は行われていたが,教員による選書や授業に関連した選書は十分に行われなかった。ここから,少なくとも1920年代後半には附属図書館の運営は研究型により近いと結論された。
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