日本重症心身障害学会誌
Online ISSN : 2433-7307
Print ISSN : 1343-1439
40 巻, 1 号
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第2報
巻頭言
  • 椎木 俊秀
    2015 年 40 巻 1 号 p. 1-2
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    第41回日本重症心身障害学会学術集会を9月18日(金)、19日(土)の二日間、東京で開催いたします。 1975年に島田療育園の小林堤樹会長のもと重症心身障害研究会が発足し、1996年に日本重症心身障害学会と改称され、今年は研究会・学会発足40周年の節目に当たります。そこで「重症心身障害支援の現在・過去・未来 −貢献と課題について考える−」をテーマに、現在を起点に過去を振り返り、未来を展望する大会にできたらと考えます。 現代における科学・技術、経済の発展は急激で、特に科学・技術は今後も加速度的な進歩を続けると思われますが、それに歩調を合わすように人々の価値観はますますマネーに象徴される経済原理に支配されつつあります。マネーは本来、生活を豊かにするための手段のはずですが、いつしかそれが目的化するという逆転現象が起こり、大きな問題を引き起こしています。このままでは、いずれ人類は急激に発展する科学・技術を制御できなくなり、いびつな経済発展の結果、貧困と格差が拡大し、環境破壊からテロや戦争まで様々な困難に対処できなくなり、やがて滅亡する危機にあると言っても決して過言でない状況になりつつあります。 しかし、社会は経済性や効率性だけで動いているわけではありません。寝たきりで一見反応もないように見える方たちを含め多くの障害者が存在し、そこには経済原理とは全く対極の世界が拡がっています。障害者との関わりによって、多くの歓びや励まし、勇気、学び、そして癒しを受けている人が無数にいるという現実があります。そこに人間性豊かな価値の創造に貢献できる大きな可能性があるのではないでしょうか。障害者を支援するという発想は経済原理ではなく人間存在の根源を問うものだと思います。人間の存在を中心に置いた価値観を人類共通の価値観にまで拡大することができれば、科学・技術、経済の発展は人類に真の福音をもたらし、自然や環境との調和も可能になるのではないでしょうか。 そのような観点から本大会では「貢献」をキーワードに、二つの側面から議論、検討したいと考えています。 一つは医学、看護、療育、福祉、教育に果たしてきた成果や貢献について総括し、今後の課題や目標を考えることです。重症心身障害児者(以下、重症児者)の中には超重症、準超重症と言われる濃厚な医療ケアを要する方がたくさんいらっしゃいますが、平均寿命はどんどん延び、QOLも著しく向上しています。それは関係する多くの施設や人々が、摂食・嚥下指導、栄養管理、姿勢管理なども取り入れた健康の維持・増進、病気からの回復、リハビリによる機能の維持・向上、豊かな生活への支援などに努力した結果でもあります。これらの成果は重症児者のみでなく老人を始め多くの分野へも還元できるものだと思います。優れた実践結果を全国で共有し、重症心身障害療育(以下、重心療育)の全体的なレベルをさらに向上させ、他分野にも参考にしていただく努力を続けていく必要があると思います。 もう一つは社会全体への貢献についても広く話し合うことです。障害者とその家族、支援者は障害者の権利や幸福を守り拡大することを最優先にして奮闘すべきと考えますが、それに加え、より良い社会を作っていく先頭に立つ必要があると思います。障害者とは社会をよくするために生まれてきた存在、守られる存在から社会を変革する先頭に立つべき大きな責務、使命を持った存在というように障害者観を発展させる時期に来ているのではないでしょうか。当学会においても生や幸福、生命倫理について研究を深め、暮らしやすい社会の実現に貢献することが必要だと考えます。 そこで次のテーマでシンポジウムを企画しました。 1.重症心身障害への医療的支援の現在・過去・未来 長年にわたって重心療育の分野を牽引して来られた一人である北住映二氏に、この40年間に重心療育が果たした成果や貢献、そして今後の課題や貢献について基調講演をしていただきます。最期まで豊かに生きるためにも楽しく食事が続けられることが大事だと考えられ、重症児者の特性に合った食形態の開発にも尽力されている浅野一恵氏、長年、理学療法士として重症児者の姿勢を重視し、療育に取り入れてこられた染谷淳司氏、小児外科医として積極的に重症児者の外科治療を行って来られた寺倉宏嗣氏から、それぞれ実践的なお話を伺います。 2.重症心身障害と生命倫理 新生児科医でありながら生命倫理に関しても造詣が深く、「あたたかい心」を育むのが「連続と不連続の思想」と考えられる仁志田博司氏、そしてALD(副腎白質ジストロフィー)のお子さんの母であり、家族会を立ち上げ全国、世界を駆け巡っている本間りえ氏から特別講演をいただきます。その後、医師であり生命倫理にも詳しい船戸正久氏、看護師として重症児者の療育に携わっておられる富永孝子氏、家族会の中心として奮闘されている大塚孝司氏に加わっていただき、フロアの方も交えながら十分な時間を取って生命倫理に関して様々な視点から話し合っていただきます。 3.重症心身障害に対する看護の成果と課題 有松眞木氏、島田珠美氏、鈴木真知子氏、木内妙子氏からそれぞれの立場で重症心身障害看護(以下、重心看護)にかかわる看護上の諸問題に対する成果および今後の課題(アプローチ方法も含む)について述べていただきます。その後、フロアの方々と意見交換を行い、重心看護の質を高めることを目的とした取り組みを共有し、参加者に多くの気づきや示唆を提供できればと思っています。 4.障害者虐待の現状と対策について考える 虐待は大きな社会問題になっていますが、2012年10月には障害者虐待防止法が施行されました。そこで医師として様々な虐待症例の診療に従事されるとともに、その社会的な解決にも精力的に取り組んでおられる山田不二子氏に虐待の実態について、大学のMSWとして組織的に虐待対策に取り組んでおられる加藤雅江氏に大学における虐待防止の実践的な取り組みについて、そして大学教官として人権擁護の観点から虐待の防止と解決に取り組んでおられる宗澤忠雄氏に人権擁護としての虐待防止について、それぞれ講演いただきます。 教育講演としては脳神経外科医の谷口真氏に脳神経外科治療について動画を使いながら分かりやすく、楽しく講義していただきます。 恒例の多屋淑子氏企画のファッションショーはより多くの方に楽しんでいただけるよう2日目の午前中に企画しました。 その他、ランチョンセミナーも興味深い演題になるよう企画中です。学会員の皆さまには全国の様々な経験や実践を一般演題としてたくさん発表していただければと思います。 多くの示唆と学びを得る大会になるよう準備を進めていますので、多数の方のご協力とご参加を心よりお願いいたします。
特別講演1
  • 髙谷 清
    2015 年 40 巻 1 号 p. 3-8
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    重症心身障害の特徴を「身体」「知能」「感覚」の障害と「こころ」の面から、その特徴を述べた。そのとりくみとして、身体面では三次元空間を経験する立位をプールでおこなっていること、感覚面では、「泡」「植物の種」「湯をいれたビニール袋」などを触れると、とても気持ちがよいという表情をすることを紹介した。ついで障害者をめぐる世界の動向を述べた。重い障害のある人を排除する傾向がある中で、日本のとりくみはとても重要であり、世界に発信していくことが大事である。最後に、重症心身障害児(者)を支援する「抱きしめてBIWAKO」の写真を載せた。
特別講演2
  • −ヒトの心の起源を探る−
    小西 行郎
    2015 年 40 巻 1 号 p. 9-14
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 赤ちゃん学会は2001年医学、心理学、脳科学のみならずロボテクスから複雑系まで、文理融合の新学術領域の創設を目指して造られた学会であり、同時に基礎研究の成果を育児、保育、教育の現場に役立たせようとして発足した。そのメインテーマは「ヒトのこころはいかにして生まれ、発達するのか」にあった。 今、重症心身障害児(以下、重症児)を取り巻く現状の中で、移植を前提とするなら重症児の命を奪えるというパーソン論1)が広がりつつあることに対して、命を守る側も情緒的対応をするだけでなく、まさにこころの存在についての討論を始めるべきであろうと考える。今回は赤ちゃん学の立場から「ヒトの心の起源」について私見を述べたいと思う。 Ⅱ.文部科学省科学研究費補助金「新学術領域研究(研究領域提案型)」、「構成論的発達科学−胎児からの発達原理に基づく発達障害のシステム的理解」から 2012年度から始まった新学術領域研究『構成論的発達科学−胎児からの発達原理の解明に基づく発達障害のシステム理解−』はロボテクス、人間科学(医学、心理学など)と発達障害当事者を融合した新しい学問領域の創設を目指すという大きな特徴を持っている。そして、もう一つの重要な特徴は胎児期の研究から始めようということであった。ヒトの行動の始まりは胎児期にあり、胎児の行動の多くは生後も連続して変化していく。発達とは連続する変化の過程であり、遺伝子によって造られる脳が環境によって相互作用を繰り返すことで脳そのものが変容し、そのために行動もまた変容して脳がさらに変わるという、いわばブートストラップ様の変化が発達である(図1)。 こうした連続する変化の中で、こころが生まれる過程を考えてみよう。まずこころの発達には自己の身体認知が重要である。そもそも、妊娠10週頃に出現する指しゃぶりは発達心理学的には自己の身体認知の方策であると言われていた2)。しかし、それを科学的に検証するのは行動観察だけでは限界がある。そこで國吉ら3)は解剖学に基づいて、骨格と198本の筋肉と触覚と体性感覚を埋め込んだ胎児モデルに脊髄、延髄、1次体性感覚野、運動野をモデル化した脳神経系を組み込み、非線形バネ・ダンパモデルと羊水、浮力、流体抵抗を組み込んだ子宮モデルの中で自発的の動きを起こさせ胎動の再現に成功した。そのうえで胎児モデルに埋め込んだ触覚センサーの分布を人に合わせたケースと均一の分布させたケースと、ヒトとは全く反対の分布にしたケースを作成し、自発運動の変化や脳に獲得される身体表象についてシミュレーションした。その結果ヒト型の分布をした胎児モデルでは胎動そのものがヒト胎児のそれとほぼ一致したが、それ以外のケースでは胎動とその変化は実際の胎児とは全く違ったものとなった。つまり、触覚の存在と自発運動との相互作用により、胎動が発達すること、さらに条件によって脳に獲得される身体表象の異常が生まれることを証明した4)。このことは胎児期に自己の身体認知が形成されることを明確にしたといえる。 今まで原始反射については生得的なものとされてきただけで、その発生メカニズムについては明らかにされてこなかった。國吉らの研究では胎児モデルに自発運動を10,000回繰り返させると、自動歩行のような反射が出現することも分かった。触覚を介して胎児の自発運動によって胎児の手足が子宮に触れるなどの相互作用を繰り返す中で、自動歩行などの原始反射が獲得されるという可能性を明らかになったのである。 この結果は実際の胎児観察によって、すでに妊娠11週から12週の胎児に原始歩行が見られることとも合致する。 Ⅲ.胎児研究から こころの起源を探るとき、まず対象となるものが運動であろう。動くものを見ると誰しもそこに何らかの意図を感じるものである。ここではまず胎動について考察してみたい。 そもそも胎動はいつどのようにして始まるのであろうか。胎動は妊娠7週頃から始まると言われ5)、 その発生は脊髄もしくは延髄に存在するcentral pattern generator(以下、CPG)によるとされている。このリズムについて九州大学の諸隈は胎動のリズムと心拍の揺らぎのリズムが妊娠38週頃には一致するという現象を発見した6)。NREM期の口唇運動の周波数と心拍変動の周波数が一致するのである。このことから心拍リズムと口唇運動のリズムの間に何らかの関係があることが示唆された。 胎児においてリズムが最初に出現するのは心臓であり、心臓が動き始めてしばらくすると様々な胎動が出現するようになる。そのリズムはどのようにして出現するのか不明であったが、諸隈の研究は心拍変動が胎動のリズム生成に何らかの影響をしている可能性を示したもので大変興味深い。 CPGも心臓のペースメーカも細胞の集団発火(同期現象)によってリズムができるというメカニズムを持っていることが分かっている7)。CPGでは脊髄などのニューロン群が同期発火をくりかえすことによって胎動が出現するとされており、そのためにCPGは別名リズム生成器とも呼ばれている。また、心拍はペースメーカ細胞の一群が同期発火することによってその他の心筋細胞を刺激し、リズムを生むと言われている。もちろん二つのリズムは周波数なども違うが細胞の同期現象によるリズムの生成という点で共通していることが興味深い。 そもそも胎動は自発運動と言われ、意識的な運動ではないとされる。しかしながら、この運動によって自己の身体認知ができるようになったり、自動歩行などの原始反射も胎動と環境との相互作用によって出現するとなると少なくとも自らをとりまく環境に気づいていると言える。ロシャーら2)も胎児の指しゃぶりの研究などから胎児期にawareness(気づき)はあると主張している。 超音波診断装置の進歩は胎児の3D画像を得ることを可能にし、今まで断層撮影であったために観察できなかった胎児の表情を撮影することを可能にした8)(図2、文献9より)。その結果、今まで分かっていた以上に複雑な表情(正確には顔面筋の運動)を胎児がしていることが分かった。秦らは胎児の表情の詳細な観察の中で、その発達過程も明らかにしているがそれによると今まで分かっていた微笑に加えて、泣きや困惑したような表情まで確認した。生まれたばかりの新生児が大人の表情を模倣して舌を出したり、口を開けたりすることは心理学研究の中で分かっていたが9)、なぜそうしたことができるのかについては結論が出ていなかった。しかし、胎児観察によって表情の模倣は表情を真似して作るのではなく、自分の中にあるパターンを選択し、他者のそれと合わせるだけではないかということが判明した。しかし、表情を合わせるということは単に同じ顔をするということではなく、表情を共有することによって感情も共有する、すなわち共感するといったことにつながるのではないかと考えられる。もちろん胎児期の表情については感情を伴うものではないことは明白である。 Ⅳ.新生児に意識は存在するか 新生児期にも自発運動は存在するが、それ以外に意識的な運動が存在するかどうかについては議論があり、意識の存在についてはその運動に目的があるかどうか、つまりゴールダイレクトかどうかの議論がなされてきた。 1980年バウワー9)が新生児のリーチングに意図があると発表してこの論争に一石を投じた。1995年のファン・デル・メアーら10)の実験では仰臥位にした新生児の両手に重りで重力を加えて伸展させたのち児が重力に抗して手を持ち上げるかどうか、暗くした実験室で児が向いた方の手に光を当てるとその手をどうするかなどを観察し、重力に抗して顔を向けた方の手を有意によく動かしたり、光が当たると手をよく動かすことなどから、新生児は手を意識的に動かすと結論した。しかしながら、こうした変化は運動すべてに起こるわけではない。嚥下運動に関しては生後1カ月の嚥下運動は規則的であり、呼吸を止めて行われる反射的のものであり無意識の運動と言われるが、生後2カ月にはリズムは不規則となり、呼吸運動がその間に挟み込まれるようになる。この時期飲むたびに吸啜力は変化し、飲む量も時間も一回ごとに変わってくる。いわゆるムラのみである。しかし、こうした飲み方は乳児の意志の表れとされ無意識の運動から意識的な運動の出現という変化と考えられる。  一方、ハイハイや歩行などの移動運動は生後数カ月以内には原始反射として出現しており、一旦消失たように見える時期を経て意識的な運動として出現する。この現象はU字現象と言われるが、U字現象の前と後の運動については細かな様式は異なるものの、意識的な運動の中には原始反射としての運動が組み込まれているとされる。さらにこうした運動は1~3年後には自動化され無意識にも意識的にもすることができるようになる。 (以降はPDFを参照ください)
教育講演
  • −神経変性疾患を中心に−
    井上 治久
    2015 年 40 巻 1 号 p. 15-16
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    2012年、山中伸弥博士は、皮膚や筋肉などの分化した細胞が、体のすべての細胞になる能力をもつ未成熟な細胞へと初期化できることの発見により、ノーベル生理学・医学賞を受賞された。誕生した「未成熟な細胞」はinduced pluripotent stem cell (iPS細胞)と呼ばれる。iPS細胞は、embryonic stem cell(ES細胞)を元に作られた。1980年代に誕生したES細胞1) 2)は、ほぼ無限に増殖することができ、あらゆる細胞へ分化することができる。ES細胞の誕生により、ES細胞を用いた再生医療の可能性がうまれた。しかし、ES細胞の再生医療への利用には、 他者の細胞として拒絶反応を生じること、倫理的な課題が伴っていた。そこで、自分自身の体細胞からES細胞を作製することが試みられた。その元になった仮説は以下である。たとえば、皮膚の細胞もES細胞も設計図は同じゲノムDNAであり、違いはその読み手である転写因子であること、転写因子がES細胞用であればES細胞になるので、皮膚細胞にES細胞用転写因子を導入すれば、皮膚細胞がES細胞になるのではないかという大胆な仮説である。この仮説に基づく実験により、皮膚細胞がES細胞様細胞iPS細胞になった。2006年、マウスiPS細胞が誕生3)、2007年、ヒトiPS細胞が誕生4)した。体細胞がiPS細胞になる過程をリプログラミングと言う。リプログラミング可能な細胞は、当初はマウス皮膚線維芽細胞であったが、現在はヒト単核球もiPS細胞へリプログラミング可能である。皮膚生検よりも侵襲が少ない通常の採血で単核球を採取し、iPS細胞を作製することが可能になった5)。 iPS細胞とその作製技術を用いることにより、3つの方向性の研究が進んでいる6)。(1)培養皿の中での疾患モデルを作製し病態解明を行い、治療薬探索を行うこと、(2) 細胞移植による治療実験や組織への直接的な遺伝子導入による再生治療実験、(3) 患者群の層別化による治療薬臨床試験へのiPS細胞の利用、等である。われわれは、神経変性疾患の中でも、筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis: ALS)やアルツハイマー病の研究を行っている。(1)培養皿の中での疾患モデルを作製し病態解明を行い、治療薬探索を行う研究については、ALS iPS細胞を用いてALSモデルを構築し、治療効果を有する物質(治療薬シーズ)探索を行っている7)。(2) 細胞移植による治療実験や組織への直接的な遺伝子導入による治療実験については、ALSモデルマウスに対して、ヒトiPS細胞由来グリア細胞(アストロサイト)移植が治療効果を有することを見いだした8)。 (3) 患者群の層別化による治療薬臨床試験への利用に関しては、アルツハイマー病 iPS細胞を用いた研究から、アルツハイマー病の病因に重要な役割を果たすアミロイドβの代謝の観点から、アルツハイマー病は層別化できることを見いだした9)。今後、この層別化技術を発展させることによりアルツハイマー病治療薬開発に利用できる可能性などを探る。 近い将来さらに、iPS細胞を神経変性疾患治療研究に役立たせることが望まれる。
シンポジウム1:障害者総合支援法からみた重症心身障害、その課題と方向性
  • 平元 東, 宮野前 健
    2015 年 40 巻 1 号 p. 17
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    障害者総合支援法が施行され、重症心身障害児(者)を取り巻く福祉施策や社会環境は大きく変わろうとしています。このシンポジウムは、4名のシンポジストの方からそれぞれの立場から、歴史や課題今後の方向性についてお話頂きました。 日本における重症心身障害の歴史は「全国重症心身障害児(者)を守る会」(以下、守る会)の活動抜きには語れません。秋山氏は設立から50年周年を迎えた守る会の歴史から、守る会の三原則の一つ「最も弱いものをひとりももれなく守る」に込められた想いと、その後の重症児福祉施策に対する運動について語られました。その活動の中から世界に類のない、「福祉と医療が表裏一体」の重症心身障害施策を日本にもたらしました。障害者総合支援法に伴う課題や提案にも言及され、在宅の重症心身障害児(者)とその家族への支援の必要性、重症心身障害児(者)入所施設は「いのち」を支える「最後の砦」である事を訴えられました。 また大西氏は福祉行政の立場から、障害者総合支援法や児童福祉法が目指す方向性を現在の制度の仕組みから講演されました。ポストNICU児の問題から在宅重症児への地域生活支援に関するモデル事業や、通園事業や短期入所の現状についても課題として取り上げ、また児童虐待についての取り組みも含めてご講演いただきました。 次に地域の重症心身障害児施設の立場で伊達先生が、公立法人立重症児施設の現状を紹介されました。福祉行政と連携した地域のニーズに合わせた取り組みや、施設運営の課題や入所利用者の高齢化・重症化の問題も提示され、地方によっては現場を担う看護師など人材確保や経営面の困難さも訴えられました。 国立病院機構の立場から宮野前は、旧療養所時代の閉塞した環境から平成16(2004)年独立行政法人国立病院機構に機構改革がされ、セーフティーネット分野と位置づけられた重症心身障害医療の取り組みを紹介しました。 当事者の守る会、福祉行政、重症心身障害の現場を支えている施設からそれぞれの立場で発表を頂きました。このシンポジウムを通じて、重症心身障害児(者)を支えていくご家族と多くの職種の方々が、「重症心身障害医療と福祉の原点」に立ち返る機会になったと考えています。
  • 大西 延英
    2015 年 40 巻 1 号 p. 19-22
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児(者)とその家族の「地域生活の継続・維持」について、様々な資源について、最新の情報に基づき、個々の資源について考察を加えた。様々な資源のコーディネートや、多職種協働の視点も重要である。その他、児童虐待に関する相談件数が増大する中、入所施設は、社会的養護の機能も重要な役割であることを指摘した。
  • 秋山 勝喜
    2015 年 40 巻 1 号 p. 23-27
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 重症心身障害児(者)(以下、重症児)を守る親の運動は、1961(昭和36)年島田療育園の開設とともに始まった。 1963(昭和38)年厚生省は、次官通達により重症児の定義を明文化した。これを契機として重症児(者)の親たちが相集い、重症児(者)施策の充実を求める運動体として、1964(昭和39)年に全国重症心身障害児(者)を守る会(以下、守る会)を結成し、重症心身障害施策の推進を願い、重症児への理解を深める運動を全国的に展開したのである。 守る会は、重症児とともに歩み続けて本年で創立50周年となった。  Ⅱ.重症心身障害施策の変遷 1.施設の整備と法律の改正 守る会は、入所施設の整備と特別法の制定を課題として国会議員や行政への陳情活動を行うとともに、社会への理解を深める運動を展開した。その運動はマスコミや文化人の支援を得て、国を動かし、1966(昭和41)年国立療養所の重症児病棟設置、42年の児童福祉法の改正となり、重症児入所施設が法制化、18歳を超えた者も入所対象となる。また、重度の知的障害や肢体不自由などで、家庭療育が困難な状態にあり、かつ、どこの施設でも受け入れてもらえない児童は、社会的要請を踏まえて付帯決議によって、施設入所が可能とされた。 以来、重症心身障害施策は社会の理解のもと児者一貫体制により実施されてきた。(表1) 2.障害者制度の改革と重症心身障害施策 1967(昭和42)年児童福祉法に重症心身障害児施設(重症児病棟を含む。以下「重症児施設」という)が位置づけられ、以来、重症児は、施設療育に守られてきた。平成10年に社会福祉基礎構造改革が示され、その後の障害者制度を大きく変革することになり、平穏に展開してきた重症児入所施策も措置から契約制度に変わった。 こうした改革の大きな流れが続く中で、守る会は、重症心身障害施策が後退することのないように、意見を主張し反映してきた。 2005(平成17)年、障害者自立支援法(以下、自立支援法)の制定に至る過程では、3障害の一元化、サービス体系や実施主体の変更、利用料1割負担の導入などの改革に対して、重症児の生活を守る立場で対処した。 2008(平成20)年の障害児支援の見直し検討会では、児者一貫制度の必要性と通園事業の法定化を強く主張した。 2009(平成21)年民主党政権の下で、障害者権利条約の批准に向け障害者制度の改革が行われることになり、障害者制度改革推進会議が設置され、論議の中で重症児施設入所は、人権侵害という意見が大勢を占めた。守る会は、危機感をもって重症児施設の入所支援を守るために、社会の理解と支援をいただく署名活動を展開して、3カ月の間に12万筆の署名を集めて内閣府に届け、重症児施設の必要性を強く訴えた。 2010(平成22)年「いわゆるつなぎ法」の成立により、児童福祉法が改正されて2012(平成24)年4月から、重症児施設の入所は、18歳未満は児童福祉法の医療型施設、18歳以上は自立支援法の療養介護の対象となり、児童福祉法による児者一貫の制度はなくなった。しかし、守る会は、重症児の特性に配慮した児者一貫の処遇体制の重要性を強く主張した結果、児者の併設型の施設では、法律を超えての児者一貫制度の維持継続が図られることになった。 2013(平成25)年には「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)」が制定され障害者自立支援法が引き継がれた。 これらは、障害者権利条約の批准に向けての必要な法律の整備として行われたもので、その他にも障害者基本法の改正、新たに障害者虐待防止法、障害者差別解消法の制定が行われたが、その過程でも、重症児のいのち豊かな生活を守るという観点で意見を述べてきた(表2)。 Ⅲ.施策の現状 2012(平成24)年3月まで、障害児施設入所児(者)は、年齢に関係なく児童福祉法の適用とされていたものが、2012(平成24)年4月の改正法施行により、18歳未満は児童福祉法、18歳以上は障害者自立支援法と適用法律が異なることとなった。18歳以上の障害児施設入所者への対応として、3体系に分類し、事業者は、平成29年3月までに、「障害児施設として維持」(成人者が入所している場合には、他に移行させること。)、「障害者支援施設への転換」(障害児の入所枠は廃止する。)、「障害児施設と障害者施設の併設」(児童福祉法の医療型障害児施設と自立支援法(後の障害者総合支援法の療養介護を併設)の3体系のいずれかを選択することになり、重症児施設を運営する事業者のほとんどは第3の体系を選択した。 この場合には、18歳を超える入所者は療養介護となり、障害支援区分の判定により5・6区分に該当しない入所者(いわゆる動く重症心身障害者など)は、障害程度区分(後に障害支援区分となった)判定の結果によっては、療養介護の対象とならないとして地域移行することになるのではないかと親は不安を持っていた。これに対して、厚労省は法律改正時に継続入所が認められた者は、引き続き5区分以上とみなす例外的取扱いによって、一方的に退所させられることはないとしている。 障害者権利条約は、個人の尊厳、平等、自己選択(どこで誰と住むか妨げられない。)を基本原理とするものであることから、今後、施設入所に対する厳しい風当たりとなることが想定される。 重症児の施設入所は、支える医療であり、障害が重くても生きる喜びを享受できるようにするもので、私たちは重症児が命豊かな営みをすることができるように、施設入所の必要性をさらに広く社会の理解を深めるために努力をして行かなければならないと考えるものである。 Ⅳ.重症児施設支援の在り方  重症児のための総合支援センターとして次の機能を整備する。 1.入所支援、在宅支援(外来、療育相談、短期入所、医療入院)などセーフティネットの機能 2.医療を必要とする重症児の命を支える最後の砦の役割 入所待機者は、2012(平成24)年2月調査で3,700人と推計 今すぐの入所希望     38.6% 将来に備えての入所希望  28.1% 将来に備えての理由は、障害の重度化・重症化、介護者(親・家族)の高齢化による介護力の低下、親亡き後を見据えての入所希望となっている。このため、入所施設の確保はもとより、これを支える在宅支援体制の整備が必要である。 3.児者一貫支援の体制確保 重症児の特性に配慮した一貫処遇は今後とも継続実施すること。 4.地域移行への対応 地域移行は、本人の意思が確認できる者に限定し、環境をアセスメントしたうえで、安全が確保できるケアーホームへの転出や、受け入れ可能な新たな施設体系について検討する必要がある。なお、移行者には、施設はバックアップの責任を持たなければならない。びわこ学園の例が参考になる。 5.超・準重症児(者)に対応する施設としての配慮 NICU退院児の後方支援(一時入院・訪問支援・短期入所に配慮すること)介護者の96%は母親であり、母親への支援として訪問看護・短期入所が重要な支えとなる。 Ⅴ.在宅支援施策の充実 親は、可能なかぎり在宅で共に暮らしたいと願いその施策の充実を望んでいる。そのためには、地域で安心、安全な生活が確保できる次の体制整備が必要である。 1.重症児の通園・通所事業の拡充 日常生活(日中活動)の支援のための通園、通所事業は身近なところに設置されるとともに、運営の安定化が図られる必要がある。 2.医療的ケアのある短期入所(緊急入所の空床含む)の確保 短期入所は、在宅を続けるうえで重要な支えであり、必要なとき(緊急時を含む)に利用ができること。 3.訪問看護・訪問介護の充実 濃厚な医療的ケアを必要とする重症児が増加している。またNICUからの退院児の増加に対応する体制として、重症児に対応できる資質を備えた訪問看護師等が確保されるとともに、重症児のニーズにそって弾力的に利用できるものとする必要がある。 4.重症児施設における在宅支援 施設の持てる機能を活用して、療育相談、短期入所、医療入院、訪問診療の実施 5.医療入院(緊急時)の確保   重症児は、急性疾患に罹りやすいという特徴がある。このため緊急に入院医療となることが多いが、対応する医療機関の確保に苦慮しているのが実態である。 Ⅵ.家族支援について 1.母親への支援 在宅重症児の介護の担い手は、家庭の中心である母親が主体(93%)となっている。家庭支援は母親支援を図ることが重要な課題であり、短期入所制度や日中支援などが有効に機能することが必要である。 2.障害者を持つ兄弟(姉妹)への支援 障害者の健常な兄弟(姉妹)は、母親からの愛に満たされない疎外感を感じている場合が多く見られる。   同じ悩みを持つ兄弟が交流することによって、共有する悩みを話し合い、お互いの体験を通して境遇を見直す機会を得ることで、家族の絆を深めることに役立つものと考える。 3.母親たちの憩いの場が必要 重症児を持つ母親たちが、定期的に日中安心して休息し、多様な文化的交流の場を持つことで介護の疲れを癒し、引き続き介護を担う励みとなるように支援するものである。石川県の「ハートぽっぽ」の集いが参考になる。 (以降はPDFを参照ください)
  • 伊達 伸也
    2015 年 40 巻 1 号 p. 29-32
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 2014年(平成26年)4月1日現在、公益社団法人「日本重症心身障害福祉協会」に加盟している全国の公法人立施設は123施設ある。これらの施設が法改正後どのような変化を選択し、どのような問題を抱えているのか、その実態について報告し、今後の課題と方向性についても述べる。 Ⅱ.公法人立施設の実態 1.法制度改正後の施設形態 前述したように公益社団法人「日本重症心身障害福祉協会」には2014年(平成26年)4月1日現在123施設が加盟しているが、その内訳は公立公営6施設、国公立民営17施設、民立民営100施設と圧倒的に民営施設が多くを占めている。 今回の法制度改正を受け、123施設のうち120施設は特例による医療型障害児入所施設と療養介護事業所併設の形をとり、児者一貫の支援体制を維持した。しかしながら、医療型障害児入所施設のみを選択した(せざるを得なかった)施設が1施設、療養介護事業所のみとした施設が2施設あり、児者一貫の支援体制をとることが困難になっているところもある。 2.入所児者の変化 入所児者の総数は2013年(平成25年)4月1日現在11,727名(男6,340名、女5,387名)、2014年(同26年)4月1日現在11,751名(男6,310名、女5,441名)と横ばいである1)2)。これは新たな施設の開設を認めないとする近年の政策により受け入れ定員の総数が頭打ちになったためといえる。しかしその一方で、施設入所を必要とする重症心身障害児(者)の数は特に大都市とその周辺部を中心に増え続けており、神奈川、千葉、愛知等では新施設開設の動きが加速しつつある。施設入所利用児者の現況は以下のような問題を生み、新たな課題を示している。 1)超重症、準超重症児(者)の増加 公法人立重症心身障害施設に入所する超重症児および準超重症児は近年、増加傾向が著しく、1998年(平成10年)の総数が1,041名であったのに比べ、10年後の2008年(平成20年)には2,290名と2倍以上となり、直近の2012年(平成24年)では2,802名に至っている。ポストNICUあるいはPICUの受け皿としてのニーズは高いが、受け入れベッド自体の不足に加え、医師、看護師等の医療スタッフ不足は続いており、多くの課題を抱えている。 一方、在宅生活を選択する超(準超)重症児も増加傾向にある。大学病院や基幹病院のNICU等長期在留者の増加は受け入れ可能容量を超え、慢性期病院や施設への移行も停滞している現状下で、訪問診療を行う開業医や訪問看護事業所に医療支援をゆだねながら家庭で介護することが選択されるケースも増えつつある。 2)入所者の高年齢化 入所者の高年齢化は顕著で、協会加盟施設の実態調査によれば、2014年(平成26年)4月1日現在、123の公法人立施設入所利用者11,751名のうち、18歳未満は1,244名(10.6%)、18歳以上は10,507名(89.4%)と成人の占める割合が多くなり、年代別ヒストグラムも高齢側にシフトしてきた(図1)。入所児者数の最も多いのは40歳代であり、最高齢は男84歳、女102歳に達している。 高年齢化に伴い骨粗鬆症や脆弱性骨折、癌などの悪性新生物、あるいは骨関節の変性疾患等が増加傾向にあり、小児科や小児神経科以外の多くの診療科や専門職種による包括的、集学的な対応が求められる時代になりつつある。 3)被虐待児の増加 重度の障害がある児童を養育する上での介護負担や日常生活上の制約は養育者による虐待や育児放棄を招きやすく、施設入所により保護されるケースも多い。また健常児が虐待を受けた結果、後遺症として永続的な重い障害をもつこととなる児童も、増加傾向にある。 すべての重症心身障害施設における正確な数は把握されていないが、旧肢体不自由児施設59施設における2010年(平成22年)の調査では、2,015名の入所児のうち241名12.0%が虐待に関連しており、2000年(平成12年)の調査に比べ2.7倍に増加していた。虐待の内容はネグレクトが最も多く58.5%を占め、以下、身体的虐待29.5%、心理的虐待1.7%、性的虐待その他0.3%であった。  これらの被虐待障害児にとって施設の持つセーフティネットとしての保護機能はきわめて重要である。児童の生命が守られ、安全で愛情に満ちた環境の中で生活することは児童の健全な成長のためには必要不可欠のものであり、発達保障の観点からも確実に維持継続されるべき重要な役割である。また、そのためには医療機能のみでなく、児童の療育や心理的ケアにも対応できる専門職種の充実、親子関係の修復あるいは再構築にあたる社会福祉士やケースワーカー等の福祉職の機能もきわめて重要であり、人員配置にかかる被虐待児受け入れ加算等の拡充が必要と思われる。 3.在宅支援ニーズの増加 近年、在宅生活を選択する重症心身障害児(者)は特に都市部を中心に増加し、今や全国で推定2万数千人いるといわれている。これに対応すべくモデル事業で始まった重症心身障害通園事業は、いわゆる「つなぎ法」を経て総合支援法に至り法定事業化されたが、いまだ多くの課題を残している。 1)短期入所(ショートステイ)ニーズの急増 在宅で重症心身障害児(者)とともに生活する家族にとって、入所施設の提供する短期入所サービスは介護の身体的負担や心理的ストレスを軽減する効果が高く、自宅での生活を継続していく上でなくてはならないサービスである。施設側もそのニーズの高さを認識しているが、受け入れ枠の拡大は決して容易ではない。 図2は2000年(平成12年)からの公法人立施設における短期入所利用者の推移である。年々利用者は急速に増え続けてきたが、この1~2年で頭打ちとなっており、もはや受け入れ能力の上限に達していることがうかがえる。障害の内容や程度とともに、必要とする医療的ケアや日常の関わり方が多種多様な在宅障害児(者)に対し、一定レベルの安全性を担保しながら、利用者の利便性を重視し、いつでも受け入れ可能な病棟の態勢を維持することは施設側の負担が大き過ぎ、現行の法制度と給付費のもとではきわめて困難である。 短期入所の需要は大都市部とその周辺では特に顕著であるが、関東地方では複数の病院と施設が共通的な支援計画のもとに協働で受け入れベッドをつないでいく「ローリングベッド」という試みが毛呂病院光の家療育センターを中心に行われており、多くの需要に応えながら施設側の過重な負担を軽減する方策のひとつとしても、その成果が注目されている。 2)通園利用の変化 法改正によりこれまでの通園系のサービスは18歳未満の児童を対象とする児童発達支援センター、放課後等デイサービス、そして保育所等訪問支援と、18歳以上の成人に対する生活介護事業等に再編された。 全国で在宅重症心身障害児(者)の支援サービスを実施する事業所の多くは全国重症心身障害日中活動支援協議会に加盟しており、2014年(平成26年)3月現在、216事業所がその会員となっている。われわれ公法人立施設も123施設のうち92施設が同協議会に加盟し、通園等の在宅支援サービスを実施しているが、そのうち約3分の2にあたる60施設(65.2%)は児童に対する支援サービスと成人に対する生活介護事業を合わせて実施する多機能型事業所の形態をとり、在宅支援においても児者一貫的サービスを提供できる体制をとっている。その他の32施設のうち30施設(32.6%)は成人を対象とする生活介護事業のみ、2施設(2.2%)は児童を対象とする児童発達支援のみとなっており、本体施設が主として対象とする入所利用者の年齢層に合わせているものと思われる。 一方、公法人立重症心身障害施設以外で、同協議会に加盟している事業所は216から92を引いた124事業所であるが、そのうち67事業所(54.0%)は成人を対象とする生活介護事業のみを行っており、児童と成人の両方を対象としているところは44事業所(35.5%)、児童のみを対象としているところは13事業所(10.5%)で、児者一貫の支援体制をとっているところは約3分の1である。 施設入所支援のみではなく在宅支援サービスも提供できる体制をとっている施設は、通常は通所や訪問による在宅支援を継続しながら、緊急時や特定の治療目的などにより必要に応じて柔軟に入所支援を組み合わせることができるのが強みである。とりわけ入所支援、在宅支援ともに児者一貫のサービス提供体制をとっている施設は、在宅重症心身障害児(者)やその家族にとって最も包括的かつ重層的な支援機関であるといえ、いわば「総合発達支援センター」としての機能を果たす役割を担っているといえる。 4.地域差の拡大 我が国は急速な少子高齢化の時代を迎え、地方における若年~青壮年人口の減少は加速している。総合支援法に謳う「住み慣れた地域で…」に反し、その地域自体が存続の危機にさらされる中、施設のもつ機能を維持することが困難になりつつある地方もある。 (以降はPDFを参照ください)
  • −国立病院機構の課題と方向性−
    宮野前 健
    2015 年 40 巻 1 号 p. 33-37
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
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    Ⅰ.はじめに 重症心身障害児を持つ親たちや小林提樹先生などの先駆者たちが中心となり、昭和30年代に民間の重症心身障害児施設の運営が始まった。その活動の流れの中、昭和39(1964)年に高い理念を掲げ「全国重症心身障害児(者)を守る会」が設立された。その後「守る会」の活動は国の施策を動かし重症心身障害福祉の提言・推進の原動力となってきた。旧国立療養所は戦後国策とて「国民病」と恐れられていた結核のみの診療を行っていたが、社会環境の改善や抗結核薬の開発など医療の進歩により、昭和40年代には結核患者数の大きな減少を成し遂げた。重症心身障害児施設の設置の流れのなか、昭和40年代旧療養所に結核の後継医療として重症心身障害医療が取り入れられ、さらに施設によって筋ジス医療、神経難病や小児慢性疾患に取り組み今日に至っている。重症心身障害児の生命的な予後が悪い当時、「守る会の三原則」の一つ「最も弱いものをひとりももれなく守る」の考えのもと、対象となる重症心身障害児全員の入所を目指し、旧療養所80施設、8,080床が昭和50年代にかけて整備された(表1)。その後福祉施策の拡大・充実に伴い、公立・法人立重症児施設がそれぞれの理念を掲げ各地に設立されてきた(図1)。また在宅の重症心身障害児(者)の増加に伴い通園事業や短期入所事業など在宅支援も充実させてきたが、旧療養所は四半世紀の間施設数、病床数に変化はなく、国のモデル事業は国立施設では実施できないとの立場で、新たな福祉施策の取り組みが遅れた。また官庁会計制度の基、本来人件費相当の措置費(児童指導費等)の使途についても曖昧なままにされ、必要な人員配置が公立・法人立施設のそれに比べて少なく、大きな課題となっていた(表2)。 Ⅱ.独立行政法人国立病院機構への組織改革 旧国立療養所は平成16(2004)年に国立病院と統合して、“政策医療”を旗印に独立行政法人国立病院機構として全国144施設で再スタートを切った。平成10年代に入り6施設が法人立施設や済生会病院に委譲され、独立行政法人化された時点で重症心身障害病棟を持つ施設は73カ所(約7,400床 国立精神・神経センター 旧武蔵病院は除く)になっている。経営面においては官庁会計制度から施設ごとの独立採算制(企業会計制度)となり、機構本部主導の経営・運営方針が現場医療の改善や意識改革に大きな変化をもたらした。この国立病院機構の特徴として19の医療分野ごとにネットワークを構成して、多施設間の連携の基で共同研究や専門研修が実施できる体制を作ったことが挙げられる。福祉の構造改革のもとで、障害者自立支援法(現 障害者総合支援法)施行で福祉の視点での対応も求められ、病院機構が掲げるセーフティーネット分野である重症心身障害医療の在り方・体制作りが大きな課題になった。 Ⅲ.現場の課題と取り組み 1.入所者の実態とマンパワーの変化 旧療養所に重症心身障害病棟が設置され半世紀近くが経過した。この間、周産期・新生児医療をはじめの多くの医療分野の進歩により重症心身障害児(者)の生命的予後が改善された1)。その結果、現在国立病院機構の重症児病棟入所利用者の平均年齢は45歳前後となっており、公立・法人立施設と同様に毎年確実に高齢化が進行している(図2)。また超重症児・準超重症児の割合は低年齢ほど高く18歳未満では約70%に及び(図3)、入所者全体でも確実に重症化が進行してきている2) 3)。更にポストNICU児の受け入れなど対応する医療ニーズも変化し、それを担う小児科医師の確保は多くの施設で次第に困難になってきた。そのため利用者の高齢化と相まってこれまで主に小児科医が担ってきた現場を、神経内科や整形外科などその専門性を活かして担当する施設も増加している。また看護師確保に関しては地域差が大きく、利用者の医療ニーズの増加に伴いその確保が困難な施設も出てきているが、一方で「7:1」の上位基準の看護体制導入で対応する施設も増加している。 2.重症心身障害医療への理解と人材育成 複雑な病態生理を示す重症心身障害児(者)は一般医療・臓器別医療の延長線上だけでは対応が困難である。また多くの合併症が複雑に絡み合う病態を見据えた医療・看護や社会・福祉的側面を考慮した対応が必要である。自施設では担えない様々な疾患・合併症に対して急性期、一般病院での治療依頼も増加しており、医療スタッフの重症心身障害医療への理解が不可欠である。そのため医学部の学生教育や初期・後期研修の中で、重症心身障害医療の研修の場を提供することが重要であり、医師向け研修プログラムの作成など少しずつではあるが実施の方向に向かっている4)。また看護の分野において国立病院機構では重症心身障害分野ばかりでなく、神経難病や筋ジストロフィーなど障害者医療の裾野は広く、多くの施設で看護実習を受け入れている。現在国立病院機構の重症心身障害ネットワークを活用した日本看護協会の「重症心身障害分野」の認定看護師制度構築の取り組みも始まっている。このような地道な取り組みは将来を担う人材育成や確保にも繫がると期待される。 3.セーフティーネットと療養介護事業移行への取り組み セーフティーネット機能として、通所事業や短期入所受け入れなど在宅重症児者への支援、ポストNICU児の在宅移行への橋渡し機能や療育施設としての対応も徐々に進めている。国立病院機構の入所利用者の死亡率は年間約2%で、毎年160名から200名が死亡退院し、これとほぼ同数の新規入所者を受け入れていることになる。平成24(2012)年の新規契約者248名の年齢分布を見ると、20歳未満が57%(10歳未満が34%)を占めており(図4)、ポストNICU児などの医療ニーズの高い重症心身障害児を積極的に受け入れていることが伺える2)。また精神医療の立場で対応している強度行動障害児(者)は、従来重症心身障害の一分野として取り組んできた。しかし療養介護事業移行に伴い、その位置づけが不明確となり、新規対象者の療養介護事業受け入れに関して、自治体による対応の地域差のため混乱が生じており、早急に制度上の改善が必要である。また施設が持つ障害者医療のノウハウを地域に還元していくため、医療的ケアや障害者看護などの情報発信や研修受け入れなどの取り組みも始まっている。地域行政や福祉施設との連携、日中活動や社会参加支援では、国立病院機構では“療育指導室”が福祉担当としてその中核を担っており、専門性の向上とマンパワーの充実を図っている。またこれまで国立病院機構の重症児者病棟では看護職が中心で病棟業務が行われていたが、利用者の日中活動や社会参加などを支援する療養介護職員や生活支援員の導入も進んでいる。 Ⅳ.これから 国立病院機構病院の病床数は約5万5千床で、障害者総合支援法に基づく療養介護事業の対象である重症心身障害、筋ジストロフィーや神経難病などの病床数は全体の2割弱を占めている。この分野は国立病院機構が掲げるセーフティーネットと位置づけられており、療養介護事業が求めるサービス管理責任者の配置や個別支援計画の作成・評価、外部監査にも対応した福祉の視点での体制整備や施設運営が不可欠となった。また障害者総合支援法が求めている「生活支援、社会参加」活動にはマンパワーの確保が不可欠であり、施設の運営状況を見据えた充実が必要である。在宅重症心身障害児(者)への地域支援として、短期入所や通園事業などへの取り組みは徐々に拡大してきているが、地域のニーズを十分満たせる状況ではなく今後の大きな課題と考える。国立病院機構では施設間の重症心身障害ネットワークを活用したデータベースの構築5)や情報交換、臨床共同研究にも力を入れ、少しずつその成果をあげている(表3)。 福祉的視点も含めた病院運営、重症心身障害医療研修の場の提供、利用者の日中活動・社会参加の推進や、地域の実情に応じた短期入所など在宅重症児(者)の支援拡大、施設が有する機能の情報発信、73施設のネットワーク機能を活用した臨床研究などを通じて、地域から支持される国立病院機構が掲げるセーフティーネット医療の充実が可能となると考える。
シンポジウム2:重症心身障害児(者)を支える職種の専門性向上
  • 三浦 清邦, 松葉佐 正
    2015 年 40 巻 1 号 p. 39-40
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    今回のシンポジウムでは、リハビリテーション分野から金子断行先生、看護分野から西藤武美先生、特別支援教育分野から郷間英世先生、そして医学教育分野から三浦清邦先生にご登壇いただいた。三浦先生には座長の任も果たしていただいた。 まず、重症児者療育の大きな柱である理学療法の専門性について、金子先生からご発表いただいた。重症児者の療育の一環を支える理学療法士には、理念と技術の両方が求められる。しかし、理学療法士の卒前教育では、求められる理念・技能に比して時間数が極端に不足している。卒後にしても、最大の職能団体の日本理学療法士協会は重症児者の理学療法の教育システムを持ち合わせていない。重症児者の理学療法の体系化や標準化にしても、国内、欧米諸国のいずれでも確立されていない。そのような現状の打開のために、2009年に重症心身障害理学療法研究会が立ち上げられた。設立の理念は、重症児者の個性の尊重と生活障害の改善、理学療法の体系化、症例検討の蓄積、そしてコモン・センスのもとでの活動であった。これをもとに、「側彎への対応」、「重症者の生活機能の評価」、「動く楽しみの提供」などの実践的支援を含めた全国的セミナーを展開した。この間の経緯と、少人数によるグループ学習での症例検討の実際を提示いただいた。 次に西藤先生に看護の立場からご発表いただいた。公法人立重症児施設(旧称)への調査で、重症児看護の現場ではマンパワー不足が大きな問題であることがわかった。背景には重症児看護の困難さがあった。改めて困難さと魅力について調査すると、困難さの第1位は重症児のニーズの把握で、魅力の第1位は重症児とのコミュニケーションであった。このことから、困難さを魅力に変え、さらに魅力を高めることが必要と思われた。現在、協会認定(日本重症心身障害福祉協会認定)重症心身障害看護師の養成が行われている。目的は中堅職員の育成で、全国の8つの認定教育機関で研修が行われている。認定看護師は現在までに172名にのぼる。認定制度の成果としては、受講生同士の交流、受講生の自発性や意欲の向上、自施設の良さの認識と他施設からの学びなど、課題としては、研修参加者の確保、適切な研修内容、研修終了後のフォローアップなどであった。さらに今後の課題としては、他施設や関係機関との連携、認定者の活用、研修内容の統一化、認定更新のあり方が挙げられる。認定教育機関の更新制度や認定制度の広報活動、この教育システムの効果の検証も課題である。重症児者の入所期間の長期化と在宅重症児の増加で、求められる支援の幅が広がってきている。地域に出て行く必要もある。こうした状況に鑑み、専門性のある職員の育成と確保が今後も重要となる。西藤先生はこのように述べられ、看護教育機関においても基礎教育に重症児看護が取り入れられることが望ましい、と締めくくられた。 郷間先生は小児科臨床と障害児教育の現場でのご経験をもとに、「教育の現場での医療的ケア」、「重症児の理解とコミュニケーション」、「重症児のQOL」について述べられた。昭和57(1982)年から平成5(1993)年までの間に、肢体不自由支援学校の生徒は年を追うごとに重度化が進み、医療的ケアも昭和57(1982)年の0%から平成5(1993)年には9.7%に増加していた。教員の半数以上が「医療的ケアは教育の一環」と考えていた。その後の制度改正を経て、現在では、学校に勤務する看護師と研修を受けた教員によって医療的ケアが行われている。コミュニケーションについては、微笑行動に着目して生徒の発達段階を推定した。微笑行動を観察していると、発達検査の結果を超える段階の微笑行動が見られることがあった。このように、健常児の段階的な発達と異なり、重症児では精神活動の発達的年齢幅が広いため、関わる側は児の興味や関心に対して焦点化しにくく、コミュニケーションが困難になっていると思われた。QOLについては、親へのインタビューによって推定した。微笑行動の見られない子でも口元や目の感じで感情が推定できた。植物状態の子でも緊張状態の変化や口や舌の動きで推定可能であった。そして、子の喪失体験を通して、養育体験が意義あるものであり、子は周囲に深いものを与えていたことがわかった、という意見があった。これらの結果をもとに、重症児のQOLの構造を提示された。そして、重症児の教育は多くの課題を抱えており、彼らの心の理解やコミュニケーションの確立がいっそう望まれる、と結ばれた。 最後に三浦先生にご発表いただいた。在宅重症心身障害児(者)の医療には、障害児医療専門機関とかかりつけ医、基幹病院の間の連携が必要である。愛知県内の4カ所の基幹病院の勤務医師へのアンケート調査で、半数の医師が、重症児者の診療については、自分の守備範囲で診てもよいとの回答であった。これは、障害児医療専門機関で地域医療ワクでの研修を受け入れた成果と思われた。大学医学部小児科への重症児者医療教育についての調査では、回答のあった大学の半数で教育が行われていることが判明した。22%で講義および臨床実習が行われていた。また、回答の88%の大学で早期体験学習が行われており、うち半数余は重症児施設・病棟で行われていた。名古屋大学小児科の実践で、家族参加型の重症児医療教育が行われている。5年生の小グループでの臨床実習で、講義の後半で医療的ケアが必要な重症児と家族が参加する。実習後のアンケートでは、多くの学生が実習を肯定的にとらえていた。重症児者医療は全人的医療であり、生命・人間の尊厳を学べる。このような教育で、様々な立場から重症児医療に関わる医師が増えてくることが期待できる。今後、多くの大学において重症児者医学教育が実施される体制作りが必要である、と述べられた。 4名のシンポジストのご発表のあと、活発な質疑応答、討論が行われた。本シンポジウムは、多くの参加者にとって、重症児者のケアにおける専門性に思いを致す手がかりとなったと思われる。
  • 金子 断行
    2015 年 40 巻 1 号 p. 41-47
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 重症心身障害児(者)(以下、重症者)の療育の一貫を支える理学療法士には、療育に対する理念と確かな医療知識を備えた実践的治療技術の両輪が求められる。 糸賀一男先生、小林提樹先生、高木憲次先生など多くの先人たちが提唱した理念を深く理解し継承すると同時に時代に合わせた最新の医療情報と包括的理学療法技術を会得し、重症者の生活障害を改善し、快適な生活の実現をはかることが理学療法士の責務と言える(図1)。 しかしながら、重症心身障害に対する理学療法の卒前教育においては、たとえば大学4年間の教育課程で数時間程度といった単位時間数の絶対不足が否めない。また卒後教育においても、最大の団体である日本理学療法士協会は、重症者の理学療法教育システムはもちあわせていない。民間団体などの不定期開催にすぎず、重症者教育はきわめて乏しい状況と言わざるを得ない。この背景は、日本の全理学療法士の従事場所は一般病院、老人介護施設などが多数を占め、歴史的に古いにもかかわらず重症者の治療従事者は少数派という現状や老人のリハビリテーションに重きをおく国策も少なからず絡んでいる。 いずれにしても、このような状況で本邦における重症者の理学療法の体系化や標準化はほとんど確立されていない。残念なことに欧米諸国にもその標準化は見出せない(図2)。 Ⅱ.重症心身障害理学療法研究会の設立 そのような現状を打開し、重症者の理学療法の体系化や理念の啓蒙、医学情報の学びを視野にいれた重症心身障害理学療法研究会を、われわれは2009年に北海道から九州までの15名の理学療法士、3名の相談役の医師とともに発足した。約5年間で会員数は279名、相談役医師は4名(2015年1月現在)に達した(図3)。 本研究会の設立の理念は①個性を尊重し生涯を通じて理学療法の対象とすること ②多様な障害から生じる生活障害が如何に良好となるべく理学療法サービスの英知を集めて最大限援助していくこと ③現存の理学療法アプローチでは対応しきれない重症児(者)に対して、理学療法サービスの体系化を目的とすること ④多様な障害像に対して、一人ひとり異なったアプローチが必要とされ、体系化とともに個々の重症児(者)に対応できるような症例検討を積み重ね、それを会員全員で共有すること ⑤一部の偏った考え方にならないようコモン・センスのもとに活動すること、の5項目である。 設立の理念を実現させるため、そして最新知見の共有、理念の啓蒙をはかるべく現在まで全国的なセミナーを計6回、図4の如くに開催し毎回全国より200名超の出席者を得てきた。 このセミナーには、早期乳児医療の魁であり新しい側彎装具を開発された大阪発達総合療育センターの梶浦一郎先生、「リハビリの夜」の著者で当事者研究をなされている東京大学の熊谷晋一郎先生、重症者の生命倫理を説かれた東北大学の田中総一郎先生、小林提樹先生の理念のもとチームワーク医療を実践なされている島田療育センターの小沢浩先生など錚々たる講師を招聘し、多くの学びを得てきた。またセミナーの特徴として、テーマ毎の各分科会を設け聴衆がすべて参加者となり、討論に加わる工夫をしてきた。われわれは、これらに一定の手応えを感じている。また各回のセミナーはすべて活字におこして冊子にまとめて会員すべてへ配布している。さらに研究会ホームページのアクセス件数は1万6千件を超えている。 Ⅲ.さらなる発展へ 糸賀一雄先生が1963年に述べられた「身体的、精神的な不幸を一身に担って生まれてきたこの子どもたちにも、幸福に生きる権利がある」、重症児の父である小林提樹先生の座右の銘「この子は私である。あの子も私である。どんなに障害が重くともみんなその福祉を守ってあげなければと深く心に誓う」、療育の父である高木憲次先生が1926年に提唱された「療育とは現代の科学を総動員して不自由な肢体をできるだけ克服し自活の途の立つように育成する」理念をわれわれは重く受け止めている。 彼らの障害は、本邦の多くの障害者の中でもきわめて少数派であり、そのことをして彼らが理学療法サービスの恩恵を他の障害者と等しく受けることが脅かされることに、私たちは危機感を抱いている。さらに、彼らの障害の理学療法を研究し実践するために、全国の志ある者たちが協力し発展させることが、彼らの豊かな未来を切り開くとともに、この時代のリハビリテーションにも大きく寄与していくと考えている。 このような基本的理念を根底に前述した全国的セミナーを展開し、「側彎への対応」「重症者の生活機能評価」「動く楽しみの提供」などの実践的支援を含め、理学療法士の専門性向上をはかってきた。 しかしながら、多くの出席者が参加できるセミナーで広く理念の踏襲と知識の共有はできるが、深い討論によるさらなる知識理解や包括的治療技術向上のためには、少人数によるグループ学習が有効であると考えた。これは理学療法の治療技術は、「口から口へ」伝えるものではなく、「手から手へ」伝える特徴が強いためである。また参加者の専門的意識を高める有効な手段として、少人数性オープンカフェ形式によるディスカッションもとりいれ、参加者10名程度のミニ研修会を2013年より企画した。 このミニ研修会はさらなる教育的配慮として、研究会よりいくつかの題材をあらかじめ提示し、その題材に対し会員チームからミニ研修会計画書と趣旨を提出させ、主催・企画を応募したチームで運営を任せた。講師は役員でまかない原則自弁とした。これにより、会員の学ぶ姿勢が参加型から主体型となり、専門教育意欲がさらに増すと期待した。図5に2014年のミニ研修会の実施状況を掲げる。 このような研修会の実践において、多様な障害像を示す重症者に対して、一人ひとりに対する詳細な評価やアプローチは常に必要とされ、個別的評価が大切となる。そのため個別的評価による症例検討が重要な核となることがわかってきた(図6)。 症例検討は、多種多様な障害を呈する重症児に対し個別的な対応方法を模索でき、治療を集団で討議できる合理的な機会となる。参加者各々の主観を少人数で討論することにより客観的思考に修正し、ひとを対象とした個性を重んじる理念も学べる。そのため教育的なチャンスが高い。そして、こまやかな症例検討は、理学療法士の治療実践技術を向上させる最良のトレーニングの場となる。 Ⅳ.症例検討の紹介 理学療法士4名が参加した症例検討場面の一部を紹介したい。 症例:男児 5歳 診断 脳症後遺症 重度知的障害、在胎37週 体重3,554g 自然分娩 生後10カ月に脳症診断。 発達:定頸・寝返り・座位不可  事前情報  保育士より介助しても保育活動時に身体が丸くなる(図7)。 看護師より座位で体幹屈曲・下肢屈曲外転となり、座位がうまく取れずに寝たきりになりがちである(図8)。 事前情報をもとに参加者で、治療目標は介助による体幹伸展した座位の日常的汎化とした。 現症:背臥位で腹部周囲は低緊張を示し、体幹や骨盤は不安定であった。腹部周囲筋の腹直筋・腹斜筋・腹横筋は選択的な活動ができず一塊であると伺えた(図9)。これらが座位で体幹を伸展できない一因と考え、まずは治療的介入として、体幹や骨盤の安定性の発達が必要であると確認した。一塊になっている腹部周囲筋群を解離して、筋活動を促通し低緊張と安定性の改善を試みた。これには腹斜筋と腹直筋の境目にセラピストの指をいれ、腹斜筋と腹直筋を分離させながら長さを引き出し活性化を試みた(図10)。 現症:背臥位で大殿筋の低緊張・低活性・短縮と大腿筋膜張筋の短縮が評価できた(図11)。大腿筋膜張筋の短縮は過度の股関節外転外旋の一因、大殿筋の低活性は体幹伸展を妨げる一因と推察した。治療介入として、腹直筋から骨盤を後傾位で安定させ、大殿筋を尾側方向に伸長しつつ活性化を促した(図12)。同様に腹直筋を支えて大腿筋膜張筋を腸骨外側から把持して、大腿筋膜張筋の長さを引き出し短縮の改善を試みた。 現症:背臥位で上部胸郭の屈曲と胸郭の樽状化、肩甲骨の外方変位が評価された。上部胸郭の屈曲は、座位での体幹屈曲の一因と考えた。上部胸郭屈曲の蓄積が胸郭の樽状化と肩甲骨の外方変位を導いたと伺えた。そのため治療的介入は、胸郭拡張と体幹伸展を促し、胸郭の樽状化の軽減と肩甲骨の内転による肩甲骨のセッティングとした。胸郭を両側方から把持し、背面部は胸背筋膜から多裂筋を促通し、上部体幹の伸展を試みた(図13)。背部より肩甲骨を直接把持し、肩甲骨下角が脊柱に接近するように操作し、肩甲骨の位置の修正をはかった(図14)。この過程で、胸郭の左右経が広がりわずかに樽状化の改善がみられた。 現症:腹臥位では緊張した胸背筋膜(脊柱起立筋群)の脊柱への癒着による脊柱の後彎と不動が評価された。また軽度左凸側彎変形が観察された。いずれも体幹伸展の発達を阻害すると伺えた。治療的介入には、脊柱を支えて脊柱起立筋群を脊柱から引き離しながら緊張を緩和し、深部筋であり脊柱の分節的伸展に関与する多裂筋を活性化させた。徐々に対称的な脊柱前彎を促した(図15)。 症例検討後は検討前に比べ、背臥位(図16)や腹臥位(図17)で体幹の対称性伸展が得られた。 (以降はPDFを参照ください)
  • 西藤 武美
    2015 年 40 巻 1 号 p. 49-52
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 重症心身障害看護の専門性向上に取り組んで7年になり、現在、日本重症心身障害福祉協会の看護専門研修委員会の委員を務めている。重症心身障害の看護分野において、水準の高い看護実践のできる看護師を育成することにより、看護ケアの向上を図る「日本重症心身障害福祉協会認定 重症心身障害看護師(以下、協会認定 重症心身障害看護師)」制度への参加施設が全国的に広がってきた。 そこで、これまで取り組んできたことを報告するとともに、今後、重症心身障害看護に携わる看護職が取り組むべき課題について述べる。 Ⅱ.「協会認定 重症心身障害看護師」制度の創設までの経緯 重症心身障害看護の専門性向上に取り組むきっかけとなったのは、2007年の看護師不足であった。入院基本料7:1看護加算導入の影響が大きいが、看護の原点があるといわれる重症心身障害看護の魅力を積極的にアピールしてこなかったことも一因であると思われた。また、入所者の加齢や重症化に対応できる職員の育成も急務であった。 そこで、実態を把握し根拠のある対策を見出すために、2008年6月~7月に都内の看護管理者達とともに全国調査を行った。 1.調査概要 対象は、日本重症児福祉協会(現日本重症心身障害福祉協会:以下、協会)に加入している全国118施設の看護師である。人材確保や人材育成等に関する実態を明らかにし、われわれが抱える課題と解決の方向性を明らかにすることが目的である。調査内容は、看護管理者には、看護職員需給状況や人材育成の状況について、一般看護職員には、自らが考える重症心身障害看護の困難さ・魅力・専門性について回答を求めた。回答率は高く、多くの看護職員の協力を得ることができた。 2.調査結果からわかった課題 1)看護職員需給状況と人材育成状況 看護職員需給状況等調査結果1)からは、①年度当初には前年度退職者数の半数程度しか確保できないマンパワー不足があること、②そのため、病棟の一部閉鎖や入所者の制限を行わざるを得ない施設があること、③退職理由は他施設への転職が最も多いこと、④新卒常勤職員離職率が非常に高いこと、⑤その背景には重症心身障害看護の困難さがあることがわかった。全国の看護管理者からは研修の充実を求める意見が多数寄せられた。 重症心身障害児(者)(以下、重症児)施設は小規模施設が多く、研修を充実させようにも一施設で行う研修には限度があるが、施設の垣根を越えて共同研修を行えば、職員のモチベーションアップにもつながり有効だろうと考えた。 2)看護の困難さ・魅力・専門性 看護の困難さ・魅力・専門性の調査結果2)からは、新人・中堅が挙げた困難さ・魅力・専門性に大きな差異がないことがわかった。困難さの第1位はともに“重症児のニーズの把握”であり、魅力の第1位はともに“重症児とのコミュニケーション”であった。しかし、新人と中堅では困難さの内容が違うと分析されている。困難さは専門性を高く感じている内容とも一致しており、専門性の第1位はともに“重症児の病気や障害の理解”であった。専門性の上位には看護実践能力を必要とする内容が多く挙げられていた。 これらのことから、困難さを魅力に、魅力をより高い魅力に変えていくことが、重症心身障害看護の専門性を高めることにつながること、特に中堅職員には、段階的・系統的に専門性を高められる研修の構築と機会を与えることが必要であることがわかった。 3.取り組んだこと 以上の調査結果から、これまで実践してきた看護ケアの暗黙知を形式知として体系化し、一つの専門分野として内外に認知させていく仕組み作りが求められていると感じた。この調査結果を根拠に、都立施設と民間施設の連携による研修制度を東京都に要望し、2009年5月、全国に先駆けて「東京都重症心身障害プロフェッショナルナース育成研修」が開講した。 われわれの思いは協会にも通じ、2009年4月、協会に看護専門研修委員会が設置され、2011年4月、「協会認定 重症心身障害看護師」制度が誕生した。看護専門研修委員会の役割はこの制度の運営である。 Ⅲ.「協会認定 重症心身障害看護師」制度とは 当制度の概要を表1に示した。目的は“中堅職員の育成”である。 日本看護協会は現在21分野にわたる認定看護師制度を持っているが、われわれの制度とは全く異なる制度である。日本看護協会の研修時間は660時間、一方、われわれの研修時間は標準カリキュラムで180時間である。当制度は、多くの中堅職員を育て、重症心身障害看護全体の底上げをすることが目的である。認定は所定の研修修了と研究論文または課題レポートの審査で行われる。 看護専門研修委員会では、全国を大きくブロックに分け、地域ごとに共同で研修を行うという考え方で参加施設の拡大を進めてきた。現在、研修を行う認定教育機関は8つに増え、多くの施設との共催で研修が行われている。8つの認定教育機関の運営方法や費用負担は様々である。研修修了までの期間も、月1回開催で2年間を要するところから、連続した研修を行うことにより7カ月で修了するところもある。研修生も協会加入施設だけではなく国立病院機構や訪問看護ステーションからの参加もある。 各認定教育機関の開講日と現在までの修了者を表2に示した。これまで受講した看護師は230名、協会認定による重症心身障害看護師はすでに172名誕生している。 Ⅳ.これまでの成果と課題 現時点での成果と課題は以下のとおりである。 1.認定教育機関が挙げた成果・課題 8つの認定教育機関が挙げた共通する成果としては、①受講生同士の交流が図られていること、②受講生の自発性や意欲の向上が認められるようになったこと、③自施設の良さを認識すると同時に、他施設からの学びも得られていること、④実習指導者、研修講師、役職者への登用など認定者の活用が図られていること、⑤研修運営を行うことにより看護管理者の連携が図られていることであった。 その他としては、後輩の育成指導で根拠を持った指導ができていること、一期生のスキルアップを身近で感じる職員が増えて受講の増加につながったこと、認定者による研究会が発足したことを挙げた認定教育機関もあった。 一方、問題点・課題としては、運営面では研修参加人数が減少している地域があること、研修内容では内容の見直しや充実を図る必要があること、また、研修修了者のフォローアップ体制整備の必要性も挙げられた。 2.看護専門研修委員会としての成果・課題 1)成果 現時点では5つの成果があったと考えている。 第一は中堅職員のキャリア支援につながっていること。第二は研修で学んだ内容が院内研修に反映され、院内研修内容の向上につながっていること。第三は施設間の連携強化につながったこと。第四は看護に対する理解やキャリア支援の必要性を他の職種にも発信できていること。第五は看護管理者自身の学びや意識の変化につながっていることである。 2)課題 一方、今後の課題としては7つ挙げられる。 第一は他施設や関係機関との連携であり、重症児施設以外の施設との連携が必要である。第二は認定者の積極的活用や指導者としての育成である。第三はシラバスの統一化およびテキスト・教材などの共有化である。第四は認定者の認定更新である。認定期間は5年であり、すでに準備を進めているところである。第五は認定教育機関の更新制度の導入である。常に一定レベルの研修が行われるよう更新制度は必要である。第六は広報活動であり、協会ホームページにある重症心身障害看護師のページの活用やタイムリーな更新が必要である。第七は当教育システム導入が及ぼした影響を調査し、客観的データにより効果の検証を行うことである。 以上の課題は、今後取り組んでいく予定となっている。 Ⅴ.これからの重症心身障害看護 現在、重症児の加齢も進み、超重症児の入所期間も長期化している。また、在宅重症児も増えている。従来は呼吸管理や栄養管理が生命維持に欠かせない支援であった。現在はそれらに加えて、骨粗鬆症の対応、婦人科疾患の対応、悪性腫瘍の対応というように求められる支援の幅が広がっている。 一方、看護基礎教育における重症心身障害看護は、主として“小児看護学の障害を持つ子どもの看護”として教育が行われてきたが、小児看護学だけでは対処できない問題も多く、今後は幅広い看護領域の看護職との連携が必要である。さらに、増えてきた在宅重症児がより適切な支援を受けられるように、施設に勤務する看護職は、施設内だけの看護ではなく積極的に地域に出て行き、様々な関係者と連携しながら支援を進めていく必要がある。 これからは、そのような環境の変化にも対応できる専門性のある職員の育成・確保が重要となってくるであろう。他の施設や他の職種と連携・協働していく能力の育成は、基礎教育の早期の段階から必要であり、重症心身障害看護は大学全体のカリキュラムとして構築されることが望ましい。 学校教育や現場の看護職がこれらを行うことによって、支援者の専門性が向上し、人材育成は人材確保につながることから、専門職の確保にもつながっていくものと思う。
  • 郷間 英世
    2015 年 40 巻 1 号 p. 53-60
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 重症心身障害児(者)(以下、重症児)病棟勤務を含む小児科医としての臨床の後、教育大学で障害児教育(特別支援教育)に携わり22年が経過した。その間、特別支援教育を目指す学生の授業、および教育委員会から大学院や特別専攻科に派遣されてきた現職教員の研究指導などを行ってきた。大学での重症児についての授業の内容は、はじめは医師としての経験をもとにした障害の原因、病態、合併症の治療やリハビリテーションについての講義、および重症児の施設に赴いての関わりの体験が主なものであった。しかし、肢体不自由養護学校(現特別支援学校)からの院生が課題としてもってきた、教育の場における「医療的ケア」「定頸を促す指導方法」「呼吸障害への対応」「リラクセーション」「重症児の精神活動の理解」「重症児とのコミュニケーション」「健常児とのインクルーシブ教育」などについて一緒に考えていくうちに、それらの結果をあとの学生へ講義の中で伝えるようになった。その中には、学生から触発され自分自身の課題として研究してきた「重症児のQOL」についてのもの1) 2)もある。本稿ではその中から「教育の場での医療的ケア」「重症児の理解とコミュニケーション」「重症児のQOL」の3つの内容について振り返りながら、今になって思うことも含め述べたい。 Ⅱ.教育の場での医療的ケア 重症児は教育の場では重度・重複障害児と呼ばれる。1979年(昭和54年)の就学義務制に伴い、それまで就学免除や就学猶予であった重度の障害のある子どもたちが肢体不自由養護学校(現特別支援学校)を中心に多数在籍するようになった。私が教育大学に勤務するようになった当初は、学校での医療的ケアを医師法との関連の中でどのように行っていくべきかが模索されていた。教育現場でも、教員や養護教諭が実施している学校、保護者が付き添って実施している学校、保護者や教育委員会が訪問看護ステーションに依頼している学校、医療的ケアを受けられないため自宅での訪問教育になっている学校、など地域により様々であった。そこで、大阪の教育委員会から派遣されてきた大学院生と、肢体不自由養護学校における子どもの障害の重度化の実態や医療的ケアのあり方についての教員の考えなどを調査し修士論文にまとめた3)。 重度化についての評価は、当時の国立療養所重症児病棟で使用されていた個人チェックリストを用いた。結果として、「姿勢」の項目では「首のすわりなし」の子どもの割合は1982年(昭和57年)度の10.8%が1988年(昭和63年)度21.6%、1993年(平成5年)度が30.1%と増加していた。排泄や食事などの日常生活の機能、理解やコミュニケーション能力の重度化も同様であった(図1)。大島分類の1から4の重症心身障害児の割合は、1982年(昭和57年)度の43.4%から1993年(平成5年)度の62.4%に増加した。このうち大島分類の1に該当する者が最も多く1993年(平成5年)度では全体の38.7%であった。また、医療的ケアの必要な者の割合も、1982年(昭和57年)度はいなかったが、1988年(昭和63年)度5.4%、1993年(平成5年)度が9.7%と増加した4)。したがって、昭和50年代後半から平成はじめにかけて、養護学校の重症児が著明に増加した時代であったことがわかる。 医療的ケアに対する意識は、教職員・保護者・医療関係者を対象として1994年(平成6年)に調査した。その結果、障害の程度にかかわらず学校で教育を受けることに意義があると回答した教員は88.2%、吸引や経管栄養などの「医療的ケアは教育の一環」と考える教員は53.5%と半数以上あった(図2)5)。私は医療的ケアが教育に含まれるとは考えていなかったのでこの結果に驚いた。しかし、私が重症児の医療相談を行っていた肢体不自由児支援学校で、教員が子どもの喘鳴や呼吸状態にあわせて吸引をしながら授業を行っている姿を見ているうちに、重症児にとって医療的ケアと教育は切り離すことができないものであることを実感した。そしてその頃から自分の研究テーマにしていた重症児のQOLから考えると、医療的ケアが生活の基盤としてのQOC(quality of care)として重要であり、教育を支えるという意味で教育の一環であることに同意するようになった。医療的ケアの方向性についての調査結果では、教職員・保護者・医療関係者とも「医療関係者が学校に常駐して医療的ケアを行うことが望ましい」と答えたものが多かった。われわれの調査の後も様々な議論や検討がなされ、現在では学校に勤務する看護師と教員により医療的ケアが行われている。 私が毎月の医療相談として10年以上関わっていた学校でも、現在数人の常勤の看護師が配置され、看護師および研修を受け試験をパスした教員とで、ケアが行われている。そのため、それまで訪問教育であった人工呼吸器が必要な子どもも安定して通学できるようになった。しかしながら、重度の子どもへの対応は現在でも不十分と考えているものは89.5%と多く、通学バス内や校外学習などの際のケア(表1)6)、支援学校でなく地域の学校を希望する子どもへのケア、医療的ケアの必要な重症児が増加しつつあることへの対応など、いくつかの課題が残されている。 Ⅲ.重症児の理解とコミュニケーション それまでの私自身は、重症児の理解や重症児との関わりについて漠然と難しいことだと思っていたが、教育的視点から重症児と関わる期間が長くなるにつれ、重症児の生きている世界の理解や彼らとのコミュニケーションが大切な課題だと考えるようになってきた。そして、重症児の理解を妨げる要因について表2のように重症児自身の持つ障害のみならず、関わり手が重症児を理解する手立てがないことの両面があることに気づきdouble mutual handicapとして整理していくうちに、教育的対応の中で何かきっかけが見つかれば理解やコミュニケーションがすすみQOLの向上に役立つのではないかと考えるようになった。 そこでまず、兵庫県から派遣されてきた大学院生と一緒に微笑行動を評価の手がかりとして検討することにした7)。微笑を取り上げた理由として、重症児との関わりの中でも確かな手応えとして伝わり、その状況を分析することで彼らの興味や関心、好き嫌い、快不快など、様々な思いや要求を理解することができると思われたからである。方法は3例の大島分類1の重症児を対象に、子どもの生活する家庭、学校、施設において日常の遊びや生活、保育、授業などに参加し、食事や着替えなどの介助もしながら観察しVTRに記録するとともにエピソードを抽出した。取り出した反応は主に微笑や笑い、その他の微かな表情変化、それに伴う身体の動き、注視、微笑の対極にある泣きの表情なども含めた。評価はまず微笑行動を、運動や生理感覚による「身体」、周囲の状況やその変化の理解の表情や行動などの「認識」、声や顔刺激など対人関係に関する「人との関わり」の3分野に分け8)、それぞれの分野でスピッツ、高橋らの研究や健常乳幼児の観察をもとに作成した「健常乳幼児の発達段階ごとの微笑行動の特徴」(表3)をもとに発達段階を推定した。 1事例(遠城寺式発達検査結果:移動運動1~2カ月、対人関係5~6カ月、言語理解3~4カ月)に見られた微笑のエピソードについて、VTR記録とともに解釈し、表2にもとづいて微笑行動の発達段階を推定した結果を図3に示した。身体分野では「散歩に出るとそよ風で髪がなびき、緩やかに微笑んだ」など、春の風や光、歌声など緩やかな生理感覚刺激が心地よいと感じていることや上体を倒したり起こしたりされる運動感覚を好んでいることが伺えた。認識分野では「機関車に布をかぶせるとそれまでの笑顔が消えた。次いで布を取り去るとまじまじと機関車を見つめて一瞬力んだ後、笑みがこぼれた」など、おもちゃへの関心が見られた。また「保育士達が片づけをしている様子を車椅子に座ってリラックスして見ている。まもなくアーアーウと長く声を出したりエーエーと叫ぶように張り上げたりしては他児の行動を見てひとりで笑っている」と、他児が保育士を真似ている光景を見つけての微笑は、いつもと違うことを認識したおかしさの主体的表現と思われた。人との関わりの分野では「観察者の方を見ることを避け、左横を向いて食べている。観察者が正面を向けさせると瞬きを繰り返し頑強に左を向いて口を開けた。数回繰り返した後、徐々に正面を向き瞬きしながら笑みが漏れた」と、久しぶりに会った観察者を受け入れるか否か審査している様子が見られ、意識し真正面から見ず斜めから観察している様子が見られた。 (以降はPDFを参照ください)
  • 三浦 清邦, 長谷川 桜子, 吉田 太, 松葉佐 正
    2015 年 40 巻 1 号 p. 61-66
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    医学部における重症心身障害児者(以下、重症児者)医療教育の現状を調査したところ、小児科教育の中で、重症児者医療について講義または臨床実習の両者またはどちらかを実施し、すでになんらかの教育を行っている大学が約半数あり、重症児者医療教育の必要性はすでに多くの大学小児科で認識されていた。また、early exposure(早期体験学習)についても、半数以上の大学で重症心身障害児施設(以下、重症児施設)で、1、2年に対して実施されていた。一方、3年間の名古屋大学の教育の実践の評価から、重症児者医療教育においては、学生が重症児者や家族に接すること(家族参加型の教育)で、短時間の教育であっても、「将来何科になっても医師として重症児者に関わること」への意識付けは十分できたと考えられた。以上の調査や実践から、医師に対する重症児者医療教育のモデルを提案した。医学部1、2年の重症児施設でのearly exposureに続き、臨床教育(主に小児科)で講義、重症児施設をはじめとした療育機関等での臨床実習をカリキュラムに組み込み、繰り返し、学生時代に重症児者と関わる機会を提供する。さらに講義や臨床実習では家族参加型の教育がより効果的だと思われる。また、卒業後の初期臨床研修、後期臨床研修でも重症児者医療に触れる機会を作るべく、重症児施設研修を必須としてぜひ組み込みたい。全国で医学生と医師への重症児者医療教育・研修が発展することを期待したい。
シンポジウム3:利用者の権利・最善の利益と治療方針決定 -重症心身障害医療における家族・医療現場の思いとディレンマ-
  • -重症心身障害医療における家族・医療現場の思いとディレンマ-
    小沢 浩, 髙谷 清
    2015 年 40 巻 1 号 p. 67
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    重症心身障害児(者)施設では、長期にわたる医療と生活の経過の中で、重症・重度化、高齢化もあり、手術や経管栄養などの医療行為が必要となることも多く、また悪性腫瘍に罹患することも増え、終末期の問題もおこってきている。 医療行為に対する意見や同意が本人から得られることが難しい重症心身障害児(者)の場合、治療の選択をどのように行ったらいいのか対応に悩む例も多くみられる。 その際に大切なことは、お互いの立場を理解して、ともに考えていくことである。また治療および治療に対する考え方は、時代とともに変化していくので、その流れを理解していくことも大切である。たとえば、18トリソミーにおいては、以前は積極的な治療は行わずに経過観察をしていたが、現在では積極的に治療を行う病院・施設が増えてきた。 このシンポジウムでは、医療、患者、倫理学、法律のそれぞれの立場から解説してもらい、治療の決定について考えていきたい。
  • 麻生 幸三郎, 吉田 太, 山田 桂太郎
    2015 年 40 巻 1 号 p. 69-70
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    侵襲的医療行為は、本来、人を傷つける「違法行為」である。しかし、国家資格のある医療従事者が十分な説明のもとに施行し、医療行為をうける側もそれを十分理解し、判断し、同意した場合に限り、その違法性が阻却される。ところが、重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))医療においては、最大限の意思決定支援を行っても、本人の確実な同意が得られることがまれである。このことによって重症児(者)施設において生ずる医療同意の問題を、3例の実例を提示しつつ、その背景、対処法も含め述べた。 第1例目は胃食道逆流に対する手術を24年前に行った大島分類2の63歳女性である。このときの手術はうまくいかず、逆流が残存、術後の管理も含め家族は手術というものに深い不信感を抱くようになった。その後、食道と胃の拡張による気管の圧迫変形によって、食事のたびに喘鳴がみられるようになり、ついには、呼吸困難を来すようになった。再手術、胃瘻造設を提案したが、家族は手術に同意されず、今も食事ごとに呼吸困難がみられている。 第2例は、細菌性髄膜炎の後遺症で重度精神運動発達遅滞が残存した在宅の14歳男児である。思春期に入り、経口摂食が困難となり、経管栄養を提案したが、母親が拒否、結局、自宅で死亡した。亡くなった後届いた母親の手紙には、この男児への愛情、母親の障害観、死生観、母親としての責任感が綴られていた。 第3例は52歳の裂脳症の男性である。43歳までに両親が亡くなり、兄弟もおらず、身寄りのない状態になった。その後、親の生前の希望に添い、施設長が最終判断し、胃食道逆流整復術を行った。 本人の同意が得られない場合、日本では、通常、家族が同意を代行している。しかし、これには問題もある。まず、第1例や第2例のように家族の考えが本人を医療で護る方向とは異なっていることがまれにみられる。もちろん、家族は重症児(者)に深い愛情をもっていることが多いが、ネグレクトとして児童相談所に通報しなくてもいいのか、悩むこともある。また、家族の間で考えが異なっている場合も困惑させられる。さらに、どこまでを家族とみなすかも問題である。本人の日常を知らない家族には承諾代行能力に疑問が生ずることが少なくない。 一方、第3例のように身寄りのない重症児(者)には、医療同意の代行者がいないのが日本の現状である。身寄りのない重症児(者)には、通常、第三者後見人が指定されているが、少なくとも第三者成年後見人は被後見人に対する医療行為の承諾はできないことになっている。これは、後見人制度が開始された時点で、医療行為に関して後見人の承諾代行権が付与されなかったためである。これに対し、さまざまな団体から第3者に医療同意を認めるべきのと意見がだされているが、いまだ、法改正は行われていない。 こうした問題について施設として対処する場合、1)直接担当者が単独で悩み、決定するのではなく、複数の人間が議論し結論をだす、2)決定に至る経緯を文章に残し、必要があれば、関係者、関係機関に報告して公開性を確保する、という2点が必須要件であろう。具体的には施設内倫理委員会などで、議論し、記録に残す方式が想定される。委員会には法律家などの外部委員の参加が必要であるが、緊急時には、外部委員にすぐに議論に加わっていただけない可能性もある。その場合、なんらかの工夫によって機動性を確保する必要もある。 しかし、小規模施設が多い重症児(者)施設は、重症児(者)の生活の質、取り巻く環境、周りの人々の思いを考慮にいれ、きちんとした理由good reasonsに基づいて適切な医療倫理的判断を下すことができるだけの人的リソースに乏しい。おそらく、こうした問題に自信をもって対応できる施設は少ないであろう。その解決策として、事例の集積と集中検討が考えられる。具体的には学会の委員会などで各施設において問題となった事例を集め、家族会の代表の方に加え、法律家、臨床倫理の専門家などもまじえ、検討することが考えられる。その討論内容が事例集のような形で公開されれば、これらの問題に関して、施設としても、もう少し自信をもって対処できるようになるかもしれない。 しかし、そのようにしても、「重症児(者)の意向」という正解がえられない問題の解決は重症児(者)施設にとって重荷である。ドイツには世話法という日本の後見人制度に類した制度があり、医療行為の同意代行を、まずは、本人が指定する代理人が行うことになっている。そして、代理人がいない場合、日本の後見人に相当する世話人が代行するという制度設計で、この世話人に一般的な医療の同意権が与えられている。ただし、侵襲性の高い医療行為の同意は後見裁判所が判断することになっている。医療倫理も含め、医療同意について施設で議論し、結論を出す必要性、重要性は十分承知しているが、ドイツのような制度が施設側にとって羨ましいものであることも事実である。
  • 児玉 真美
    2015 年 40 巻 1 号 p. 71-72
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    麻生先生のお話をうかがうと、双方のジレンマが分かり、それだけにその間にあるギャップが切ない。施設長としての率直なお話を受けて、親の思いをなるべくありのままに語り、そのギャップを埋められる可能性を探ることが自分の役割かと思う。 まず自分自身が感じてきたギャップとして、医師にとって重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))施設は「病院」であり「医療の中に生活がある」という印象。本人と家族にとっては「生活の中にその一部として医療がある」ので施設はまず「生活の場」であってほしい。そこに最初のギャップがある。 意思決定が問題になる際にも、医師がその「(時)点」の「医療」の問題を見ているのに対して、子どもが生まれてからの出来事の連なりの中で意思決定を捉えている親にとっては「親子の人生」という「線」の問題を見ている。その「線」において、親にとって障害は常に「我が子から奪っていく」存在であり、同時に「痛苦をもたらす」存在だった。それらの体験を共にしてきた親の中にも、いくつもの「傷つき体験」が重ねられている。 私にも娘のイレウスの転院体験が未だに大きなトラウマになっている。そのために、去年、娘が体調を崩して転院を打診された際にも良い返事ができなかった。医師は「助けるために転院させる」という「点」で目が止まるが、親子はその先で「転院によって、一般の医療職の重症児(者)に対する無知・無理解が生命のリスクになる」という体験をした。そのトラウマのために、親にはいずれも選択不能な「インポシブルな選択肢」。惑い続けて「決心できない」。親がそんなふうに立ちすくんでしまう姿が、医師には「医学的に正しい医師の判断に親が理不尽に抵抗する」と映っているのでは。そのギャップを乗り越えるためには、正しさの「判定」ではなく、まず親の傷つき体験とその痛みを知り理解しようとする「共感」の姿勢を持ってほしい。そこで初めて、意思決定に向けた本当の意味での「話し合い」のスタートに立てるのではないか、と思う。 障害告知や入所、支援開始の段階から「共に考え共に決められるパートナーを育てる」という視点を持ち、丁寧な説明と意思決定の共有をお願いしたい。日常的な医療という「線」のところで小さな意思決定をめぐって「共に悩み共に考え共に決める」という体験が積み重ねられていることが、いざ大きな意思決定が問題となる「点」のところに必要な信頼関係を築いてくれる。 自分たち夫婦が死んだ後で娘のことを誰にどのように決めてほしいかを考えると、娘のことを一番よく知っている人(これが誰かを決めるのは職種でもポストでもないはず)の声が一番尊重されるチームで、「医療の問題」としてだけでなく「人生の問題」として、共に悩み共に考え共に決めてもらいたい。そのためには、①日常的な医療において、多職種の観察や意見が柔軟に尊重・反映されるチームが機能できていること、②そのチームの中に親や家族だけでなく本人もきちんと位置づけられていることが大事ではないか。 アシュリー事件との出会いから重症児(者)の医療倫理の問題を親の立場で考えてきて、「本人の利益」がいかに欺瞞に満ちた恐ろしい言葉になり得るかを痛感している。その恐ろしさを、重症児(者)の代理決定に関わろうとする私たちは十分にわきまえ、「自らを問い直す」という視点を失わずにいたい。そのために提案したいのが「重症心身障害における本人中心の意思決定とは何か」という問題。これをみんなで模索してみませんか、と誘いたい。意思決定が「手続き」の問題に堕してしまうと、言葉の定義のバラつきや恣意的な濫用、思考停止の可能生があるが、この模索を多職種と親がフラットに声を出しながら共有することができたら、そのプロセスこそが何よりのセーフガードにならないだろうか。我が家ではささやかな試みとして、日常的な医療の説明に本人の同席をお願いしている。本人も自分が尊重されていることを十分に感じているが、何よりも私たちの側の意識が変わる。親として、これからも「重症心身障害における本人中心の意思決定」を考え、提起し、問題意識を共有していきたい。 最後にお願いしたいことが4点。①重症児(者)医療における「説明」と「同意」に関わる現状の実態把握と分析。②重症心身障害医療における「多職種協働」に関わる現状の実態把握と分析。③医療機関間のディスコミュニケーションへの対応。年間1,238人の知的障害児(者)が適切な医療を受けられずに死んでいるとの英国の調査からの推計がある。私たち親子の体験にも重なる問題であり、日本の重症児(者)が一般医療でどのような体験をしているのかが気になる。④医療専門職からも家族からも独立した権利の主体として本人を捉えるために、医療システム内に設けられる検討機関とは別途、障害者の権利擁護システム(たとえば米国のProtection & Advocacy)の必要はないだろうか。
  • 宮坂 道夫
    2015 年 40 巻 1 号 p. 73
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    医療倫理学の原則的な考え方では、代理同意の問題はきわめて単純に、以下のような図式に整理されてきた。 A.本人に判断能力があれば、その意向を尊重する。 B.本人に判断能力がなければ、以下のいずれかの基準によって代理決定を行う。 1)本人の推定意思に基づいて代理決定を行う。 2)本人の最善利益に基づいて代理決定を行う。 一般の小児医療などでは、判断能力がそれなりに求められる患児に対して、本人から同意を得ること(法的な同意能力を持たない小児に同意を得る手続きとしてinformed assentと呼ばれるプロセス)が最近では推奨されている。重症心身障害児(者)の多くではinformed assentを得ることが難しく、Bの1)か2)の対応を考えざるを得ない。しかし、この両者とも、実際には様々な困難があることが、かなり以前から論じられてきた。1)の推定意思を確実に知る方法は、あらかじめ本人に希望を表明してもらっておくこと(文書で「事前指示書」を作成してもらうことが最も確実である)だが、これは「かつて判断能力があった(once competent)」人の場合にしか適応できず、重症心身障害児(者)では現実的ではない。 Bの2)については、最善利益をどう評価すべきかが核心的な問題なのだが、これについての議論は未だに決着していない。これがなぜ困難かといえば、最善利益を考えるとき、それを「本人の価値観」に基づいて考えたいのに、それを知ることが難しいからである。「本人の価値観」は、きわめて個別性の高いものであり、個人のアイデンティティの核心部分であり、赤の他人が簡単に知り得るものではない。そこで家族などの「本人の価値観」を代弁できる人を代理人として判断してもらうことになる。その際に、その判断内容があまりに不合理なものでないかぎりは、特別問題視されることがないのは、その人以上に「本人の価値観」を代弁し得る人を誰も見いだせないからである。問題は、その人が本人の最善利益を代弁する人物であることを、周囲の人間(医療従事者など)が認めているかどうかのみである。 ところが、そのような人、つまり「本人の価値観」を代弁しうるような、親身になって寄り添ってきた親などの家族がいない重症心身障害児(者)の場合はどうだろうか。これが最も難しい場合と思われるが、強いて類型化するならば、意思決定の基準は二種類になるだろう。一つは、「本人の価値観」を家族に代わって別の人間が構築することである。「この人はこういうときに喜び、こういうときに悲しんでいた。だから、このような処置は喜ぶ(喜ばない)だろう。」―このような個別性の高い捉え方ができる人物が医療チームの中にいて、その人が本人の最善利益を代弁しうることを、周囲の医療従事者などが認めていて、その見立てがあまりに不合理なものと言えないのであれば、親の判断と同様に、その人の判断が問題にされることはないのではなかろうか。もう一つは、「客観的指標」を用いようとすることである。同様の年齢、症状といった指標を参照して、合理的に考えて苦痛の少ない方法を採用する、という意思決定の方法である。その選択が合理的であるのか、また対外的に説明責任を果たせるものなのかを、合議によって評価すればなお確かだろう。しかし、そのような二分法で現実の臨床でのジレンマの解決策が見えてくるのだろうか。実態に見合った方法を検討する必要がある。
  • 新谷 正敏
    2015 年 40 巻 1 号 p. 75-76
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    医的侵襲を伴う医療行為を行う場合、患者の治療を目的とする反面、危険性を孕むので、事前に当該医療行為について患者の同意が必要となる。患者の同意は、医師にとっては医療行為の違法性阻却事由(適法化要件)であるが、患者にとっては、自らの生命や身体に関する自己決定権の行使である。この自己決定権は、人格権に属しその一身に専属のものだから、患者は、医療の一方当事者として、その同意により受ける医療内容を決定するということになる。医師は、その専門性に鑑み、患者に対し、その同意の前提として、患者の病状、治療目的のための医療行為の必要性、医療処置の内容、付随する危険性、他に選択可能な治療方法があるときにはその内容と利害得失等を説明する義務を負担する。 生命、健康に関する自己決定権を適切に行使(同意)するには、患者は、医師による医療行為の説明を理解し、その上で医療行為の同意または拒否を決定する能力を有することが前提となる。重症心身障害児(者)(以下、重障児(者))の場合、この能力を欠くか、その行使がきわめて困難な状況にある。患者が医療同意能力を欠く場合であっても、患者の同意に代わる制度は必要である。さもないと、医師が一方的に医療内容を決定することになり、患者の医療の一方当事者として立場が無視されかねないことになる。 「患者の同意に代わる制度」としては、患者に代わる何人かに同意権を付与する方法が考えられる。重障児(者)の場合、代理権を授権する能力もないであろうから、重障児(者)本人が何人かに医療同意をする任意代理権を付与する方法は考えられない。そして、医療同意の根拠が自己決定権である以上、自己以外の他人に同意権を認めるには、「自己決定権」を代替行使することを許容する法的根拠が必要である。現行法では、患者が未成年者の場合に、親権者または未成年後見人に医療同意権が認められている。親権者は、「子の利益のために子の監護~をする権利を有し、義務を負う。」(民法第820条)とされ、未成年後見人は、「第820条~に規定する事項について、親権を行う者と同一の権利義務を有する。」(民法第857条)とされており、監護権の行使ないし監護義務の履行として、親権者や未成年後見人の医療同意権の法的根拠が定められている。 しかし、成年者の重障児(者)の場合には、かかる法律上の根拠は準備されていない。 医療同意の問題が自己決定の問題である以上は、単に親族、近親者であるという理由だけからは医療同意権を認められないし、また重障児(者)に後見が開始されていても、その成年後見人に医療同意権は認められていない。また成年後見人の半数近くは親族から選任されている状況にある。医療実務は親族の同意で足りるとしているが、親族の同意を巡る問題はつとに指摘されている。 かかる現況では、医療同意権の問題は、誰に対し、いかなる場合に、どのような内容の同意権を付与する、ないし同意権付与に相当する決定をする制度を立法により定めるほかはないと考える。日本弁護士連合会による「医療同意能力のない者の医療同意代行に関する法律大綱」(2011年12月15日)もこの見地から提案されたものと考えられる。 ただ、かかる立法のない現在でも、医療同意がないゆえに医療同意能力のない者が医療を受けられない事態は許されない。医療同意は、患者側の医療の開始、医療内容の選択、決定の問題である。したがって、医療提供者側の工夫(複数の者による判断、記録、事後の公開の担保、医療チームの合意等)は必要なものであるが、それはいずれも医的侵襲を行う立場の工夫であるから、医的侵襲を受ける患者の立場に立つ医療同意の代替物たり得ない。 重障児(者)のように医療同意能力のない者の医療同意に代わる制度の在り方は、なおこの問題に関わる患者、家族、医療スタッフの経験の積み重ねの中から今後も議論されるべきことである。この点、現行法の下では、事務管理の制度(民法第697条以下)が指標になると考えられる。事務管理とは、「義務なく他人のために事務の管理を始め」ることである。重障児(者)には診療契約締結能力がないから、成年後見人が選任されていない場合、医師は、診療契約が締結されていない状態で医療行為に着手することになる。すなわち、医師は、「義務なく他人(診療契約締結能力がなく、診療契約が締結されていない患者)のために事務の管理(治療行為)を始め」ることになる。この事務管理の在り方は、「最も本人の利益に適合する方法」(民法第697条第1項)によるべきものとされ、また「管理者(医師)は、本人(患者)の意思を知っているとき、又はこれを推知することができるときは、その意思に従って事務管理(医療行為)をしなければならない。」(民法第697条第2項)とされている。もっとも、上記の後者、本人の意思ないし推知される意思に従うことは、重障児(者)の場合は希有であろうから、結局「最も本人の利益に適合する方法」を医療者のみならず患者家族側の意向を斟酌して、模索していくことになると思われる。
シンポジウム4:地域生活と医療的ケア 快適に生きるための課題とこれから
  • 樋口 和郎, 船戸 正久
    2015 年 40 巻 1 号 p. 77-78
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    2010年の本学会のシンポジウムは「在宅超重症心身障害児(者)への対応」と「NICUと重症心身障害児(者)施設(病棟)との連携」であった。重度化し増加してきた在宅超重症児への支援が最近ますます重要になってきている。その後の本学会のシンポジウムで、医療的ケア・超重症児・在宅支援がキーワードとして、 繰り返し取り上げられてきた。急性増悪への対応を含めた地域での急性期医療、社会福祉施設による通所・短期入所などのレスパイトを中心とした在宅支援により、NICUあるいはPICUから在宅へ移行した超重症児が、本人・家族がともに安心して地域生活を過ごす方法が工夫されている。さらに診療報酬体系の改定により訪問診療・訪問看護など在宅医療が手厚く算定されるようになり、出前型の医療提供についても、熱意のある医療関係者により、レベルの高い医療サービスがしだいに増加している。 本シンポジウムでは、この数年間の流れを見ながら、医療的ケアを必要とする重症心身障害児(者)にとっての現段階における地域生活の「課題」をとりあげた。この「課題」を現実的に正確に把握するため、主に関西圏で現場の最先端で活躍している4人のシンポジストをお願いした。 4人は、常時医療的ケアを要する超重症児が地域生活を営む上で、不可欠の医療・福祉サービスを担っている役割(医療・福祉の各三本柱;船戸+教育:樋口)を現場で真摯に実践し、それぞれ「課題」を意識しながら「これから」に向けて展望を持って活躍されている。それぞれの三本柱は表1に示した。この中から重要性の高い柱を中心にして、まず2)の実践に取り組み、さらに1)と5)にも関連する「医ケアを要する超重症児の在宅生活 訪問診療から見た課題と展望」を南條浩輝先生に発表していただいた。次に4)の取り組みで、竹本潔先生に「医ケアを要する超重症児の短期入所の現状と課題-受け入れ施設から見た課題と将来-」を発表していただいた。さらに6)の地域の総合的な取り組みとなる「小児在宅医療の地域支援ネットワーク-課題と展望-」について京都府での実践を三沢あき子先生に紹介していただいた。最後に8)学校看護師の石本美里先生に「安全 快適な学校生活を目指して、学校看護師から見た現場の課題と展望」について発表していただいた。学校における医療的ケアの要の職種である学校看護師の思い(熱意・喜び)がよく伝わる発表であった。 それぞれの「課題」に関して「これから」ということばに希望をこめて、課題解決に向けて近い将来への展望を各シンポジストから提示していただいた。また、シンポジウムの参加者からも多くの発言をいただき、「これから」に道を開く議論ができた。本シンポジウムが、医療的ケアを常時必要とする超重症児の「これから」の快適な地域生活に役立つことを願っている。
  • 南條 浩輝
    2015 年 40 巻 1 号 p. 79-81
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 近年、医療依存度の高い子どもへの在宅療養支援の必要性について、かなり広く知られるようになってきた。また、訪問看護をはじめとした在宅医療によるサポートを受ける子どもも、徐々に増えてきている。しかし一方で、子どもに対して訪問診療を行う医療機関はいまだ少ない現状である。 演者は2012年8月、在宅医療に特化した在宅療養支援診療所を大阪府堺市に開業し、年齢・疾患にかかわらず訪問診療を実施している。訪問診療対象の患者さんに対しては24時間365日の臨時対応体制をとっており、必要性があればいつでも臨時往診による対応を行っている。また、病院、訪問看護ステーション、療育機関、保健師、教育機関、相談支援専門員、ヘルパーなどの様々な職種の方と連携し、情報共有を行うことで、在宅サポート体制の構築を目指している。 開業以来の取り組みと、今後の課題について、本シンポジウムで提示したい。 Ⅱ.訪問診療の対象 2014年5月末までの1年10カ月間に、小児および小児期に生じた障害を持つ成人に関する相談が80例あり、52例に訪問診療を開始した。基礎疾患は図1のとおりであり、新生児仮死、中枢神経異常、染色体異常や先天奇形症候群の子どもが多く、42例(81%)が新生児期に発症し、生直後から新生児集中治療室(NICU)などでの治療を受けた経験を有していた。 訪問診療を開始した52例のうち、病院からの相談により訪問診療を開始したのは20件であり、うち14件は退院調整の際の依頼であった。その他の相談元は多い順に、両親(17件)、訪問看護師(7件)、保健師(5件)、基幹型包括・相談支援専門員(3件)であり、病院では訪問診療の調整を受けていなかった子どもにも、広くニーズが潜在していた(図2)。必要な医療処置は表1の通りで、複数の医療処置を要する子どもが多い反面、5例は医ケアが全く必要ない方であった。 全体的に、病院からの依頼で訪問診療を開始したケースでは医療依存度が高く、特に退院調整においては、子どもを安全に退院させることができるように在宅医療の体制を構築することを一番の目的とされていたと思われる。一方で、家族や在宅医療の担い手からの依頼で訪問診療を開始したケースでは在宅人工呼吸器を要する子どもはおらず、医療ケアが全く必要ない子どもも含まれている。 Ⅲ.課題 1.訪問看護のみの導入が多く、在宅医の関与が少ない 小児在宅医療の担い手は全国的に不足している。現状では、成人の在宅医療を担っている訪問看護ステーションや在宅医に、小児への対応を依頼する場合が多い。多くの在宅医療の担い手にとって、小児は不慣れである上に、紹介する側の病院小児科医や療育機関、教育機関などとのつながりがもともと薄いことも、サポートを行う上での大きなハードルとなっている。 成人領域の在宅医療においては、病院医師・在宅医・訪問看護の三者での役割分担と連携がある程度定型化しているが、小児では成人のような三者での役割分担がされていることが少ない。2009年に実施した訪問看護ステーションへのアンケートでは、小児にも成人同様に在宅医が関与し、病院と訪問看護の間に入って相談役になることを求める声が多数寄せられた1)。これは、訪問看護師が不慣れな小児への対応を行う上で、病院医師だけとの連携では、些細な症状や不安について逐一相談することが難しく、その部分を身近なかかりつけ医として在宅医がフォローすることを望む声が多いことを反映している。 同時に、在宅医が軽微な症状への対応を行うことで、緊急での病院受診の頻度を減らすことができ、結果的に病院医師の負担軽減につながる部分もある。図3のような関係を作ることができれば、病院、訪問看護、双方に大きなメリットがあると感じている。 2.病院の視点から在宅医療を進められるケースが圧倒的に多い 医療依存度は、全身状態の不安定さや生活を送る上での大変さと、必ずしも比例するとはかぎらない。在宅人工呼吸を要するなど、医療依存度の高い子どもへの在宅療養支援については注目を集めている一方で、一見医療的には軽症に見える子どもの中にも、様々な理由で生活に大きな問題を抱えているケースがある。前述したように、病院から見た小児在宅医療の位置づけは、「安全に退院するためのサポート」ととらえられていることも多く、「無理なく在宅生活を送るためのサポート」としての小児在宅医療のとらえ方は、まだ浸透しているとは言えないと感じる。むしろそのような問題の抽出は、保健師や地域包括・相談支援専門員などの方から行われており、その結果として、家族や在宅医療の担い手からの依頼により訪問診療を開始したケースに医療依存度がそれほど高くない子どもが含まれているのだと思われる。 職種や所属する機関によって、同じ子どもを見る視線が異なっていることは、多方面から子どものサポートを行うことができるというメリットがある。その反面、それぞれの機関が有機的に結びつかないままでは、ある職種が課題と感じていることが共有されずに、バラバラに支援を行うことになってしまう。より有効な小児在宅医療支援体制の構築のためには、多職種による地域ネットワークの必要性は高く、個別の子どもごとにも情報を共有することが求められる。 Ⅳ.展望 現状では、一部の先進的な取り組みが注目を浴びることが多い小児在宅医療であるが、長期的には担い手を増やし、裾野を広げることが重要であるのは間違いない。成人領域の在宅医や小児科開業医、訪問看護ステーションなどの小児在宅医療への参画を促すためには、特定の人に過度な負担がかかることがないように、それぞれの立場から「少しがんばればできる」という形を作ることが必要と考えている。地域により医療や福祉の環境は大きく異なるため、この実現のためには、それぞれの地域に合わせた工夫を行うことが求められる。まずは、地域ごとに多職種が顔を合わせて問題を共有することで、顔の見える連携を進める必要があるだろう。
  • −受け入れ施設から見た課題と将来−
    竹本 潔, 船戸 正久
    2015 年 40 巻 1 号 p. 83-89
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 高度な医療的ケアが必要な小児が退院して家庭で暮らすケースが増加している1)。しかし退院後の在宅療養では、介護されるご家族の長期にわたる相当な肉体的、心理的負担が発生し、日常的な外出の困難や慢性的な睡眠不足など多くの問題を抱えながら生活されている現状がある。大阪府の調査によると2)、家族が地域で安心して暮らし続けるうえで最も必要と感じているサービスはショートステイ事業所の増加であった。重度の障害を持った児を短期間施設でお預かりするショートステイはご家族が最も望まれる支援のひとつであり、今後小児在宅医療を推進するにあたって必要不可欠な支援である3)。今回、これまでの当センターでのショートステイの実績を報告し、現状でのショートステイの課題について考察したので報告する。 Ⅱ.方法 当センターは大阪市南部に位置し、最初1970年肢体不自由児治療施設「聖母整肢園」として開設された。2006年大阪市の委託を受けて重症心身障害児入所施設「フェニックス」を新たに開設し、同時に全体施設を「大阪発達総合療育センター」と命名した4)。現在入所施設としての機能は、医療型障害児入所施設(主として肢体不自由児)「わかば」棟:40床、医療型障害児入所施設(主として重症心身障害児)「フェニックス」棟:80床で、内ショートステイ:17床(21%)で運営している。当センターにとってもショートステイの提供は重症心身障害児の在宅支援の大きな柱である。ショートステイの登録は、事前に依頼しておいた診療情報提供書を基に医師、病棟看護師が十分程度時間をかけて病歴、医療的ケア、および患児の日常生活の様子や注意すべき点について確認している。その後引き続き医療ソーシャルワーカーより契約に関して説明し、希望があれば病棟の見学を行っている。 今回2008年度から2013年度の6年間における当センターフェニックスでのショートステイの利用状況について、登録患者数、年間総利用のべ人数、年間総利用のべ日数、1回あたりの利用日数、年間利用回数、利用者の年齢、利用者の医療的ケア、利用理由、キャンセルとキャンセル待ちの人数、利用中に体調変化した人数とその理由について調査した。 Ⅲ.結果 1.登録患者数 図1のように、ショートステイの登録患者数は年々増加し、2012年度末で578名が登録されていた。2010年に申込み多数にて登録を一時中断、2011年に一定期間以上利用がないケースに連絡し登録を抹消した経緯がありいったん減少したが、その後また増加した。 2.年間総利用のべ人数と年間総利用のべ日数 2008年度~2013年度のショートステイの年間総利用のべ人数と年間総利用のべ日数を図2に示す。2011年度に開始したNICUの後方支援により総利用のべ人数、総利用のべ日数ともやや減少したが、その後また増加に転じた。2013年度はノロウイルス、アデノウイルスの流行が発生したため再び減少し1日平均11人の利用であった。 3.1回あたりのショートステイ利用日数 2010~2012年度の3年間における1回あたりのショートステイの利用日数を図3に示す。7日以上の利用は全体の5%に過ぎず、1泊2日と2泊3日で全体の49%を占め、82%が5日間以内の短期利用であった。 4.利用者の年間利用回数 2012年度の総利用者数305人の年間利用回数を図4に示す。1回のみの利用者が89人で最も多く、2回が62人、3回が54人であった。44人が1年間に6回以上利用していた。 5.利用者の年齢 2010~2012年度の3年間の利用者の年齢分布を図5に示す。全体の10%が6歳以下、28%が12歳以下、51%が18歳以下であった。一方で30歳以上の利用者も全体の17%を占めていた。 6.利用者の医療的ケア 2012年度は全体の46%が超・準重症児で占められていた(図6)。2012年4月よりショートステイ特別重度支援加算として、加算Ⅰ(超・準重症児)388点/日、加算Ⅱ(運動機能が座位までで、かつ特定の医療処置<経管栄養法、褥瘡処置、ストーマ処置等>が必要)120点/日の算定が認められており、加算Ⅰ(46%)+加算Ⅱ(12%)で全体の58%を占めていた。また人工呼吸器使用児(NPPVを含む)の利用も年々増加し(図7)、2013年度は全体の17%を占めていた。 7.ショートステイの利用理由 2010~2012年度の3年間の総利用者におけるショートステイの利用理由を図8に示す。休養のための利用(レスパイト)が最も多く全体の52%を占めていた。次いで冠婚葬祭(8%)、お試し(5%)、兄弟の学校行事(3%)、家族のけが・病気(3%)、旅行(3%)、次子出産(1%)が続いた。その他に分類された理由は仕事、帰省、引越などがあった。 8.キャンセルについて 2010年~2013年度の4年間の1カ月平均のキャンセル数とキャンセル待ちを図9に示す。最近3年間は毎月10人以上のキャンセルが発生し、キャンセル待ちは毎月30人以上存在していた。キャンセルの理由は全例体調不良であった。 9.ショートステイ中の体調変化について 2010年~2012年度の3年間のショートステイ利用者のべ3,006人で、入所中に何らかの追加医療処置が必要となったケースは154人(5.1%)で、理由は発熱が93人(3.1%)で一番多かった。対応としては105人(3.5%)に投薬を、33人(1.1%)に点滴を行っていた。また11人(0.4%)が急性期病院へ搬送されていた。重篤な事例としては、 ・突然の心停止で蘇生に反応せずに死亡 ・胃穿孔からショック状態→蘇生後転送し緊急手術にて救命 ・食事の誤嚥による窒息(蘇生にて回復) ・更衣介助中の大腿骨顆上骨折 ・けいれん重積 などがあった。 Ⅳ.考察 2012年7月の集計によると5)、大阪府全体(大阪市・堺市など政令都市も含む)の重症心身障害児(者)数は7,916人であり、人口1,000人あたり0.89人であった。これは従来より言われている人口1,000人あたり0.3人より大幅に多く、近年、特に都市部では医療の進歩による救命率の向上と寿命の延伸によってその数が増加していることが示された。一方、その内医療型障害児入所施設(療養介護事業も含む)の入所者数は659人(8%)に過ぎなかった。また、入所者の内18歳未満の児は95名(14%)に過ぎず、18歳以上の者が564名(86%)を占めていた。すなわち、障害児入所施設にもかかわらず、入所者の80%以上が18歳以上の成人が占めている現実が示された。 残りの7,257人(92%)は在宅生活をしており、その内約50%が何らかの医療的ケアが必要であった。また、驚くことに在宅児者の方が施設入所児者よりも医療的ケアの重症度が高いという事実が判明した。在宅児者914人と施設入所児者568人の比較によると5)、気管切開を施行している児者の割合は、在宅14.8% に対して施設入所6.3%であり、同じく人工呼吸器使用は在宅7.2%に対して施設入所2.6%であった。それにもかかわらず、現在このような高度な小児在宅医療を支援する人材が不足し、小児に対応できる訪問診療医・訪問看護師・訪問リハビリテーション療法士や医療的ケアに対応できる訪問ヘルパー等の育成が緊急の課題となっている。一方前述したように在宅生活を継続している家族の最大の要望は、レスパイトケアを含んだショートステイの拡充である2)。このことは、全国重症心身障害児(者)を守る会での調査でも、在宅生活継続のための大切な柱と位置付けてられている6)。 当センターのショートステイは西日本で最も多い登録患者数(2014年9月現在約600名)、利用人数(年間総利用のべ人数約1,000人)で、現在も約50名が登録診察待ちの状況である。今後も登録患者数はさらに増加することが予想される。利用者の49%は3日以内の非常に短い利用であった。これは毎日入退所が頻繁に行われていることを意味している。2012年度の総利用者数は305人で、これは1年間に全登録者の約半数が利用していることになる。年間利用回数は1回のみの利用者が最も多く、約半数が年間2回以下の利用であった。この理由の一つはベッド不足であり、本当は頻繁に利用したいが申し込んでも落選することによる。もう一つは次々に登録される新規登録者が緊急利用時のことを考えて、ひとまず一度体験利用することによる。当センターのショートステイは初回利用は原則1泊2日としており、このことが全体の利用日数の短縮にも影響していると考えられた。利用者の年齢は全体の28%が12歳以下、51%が18歳以下で占められていたが、一方で30歳以上の利用者も全体の17%を占めており、重症心身障害児(者)の幅広い年齢分布がここでも窺えた。また全体の46%が超・準重症児、17%が人工呼吸器使用で、医療要求度が高い傾向を認めた。 (以降はPDFを参照ください)
  • −課題と将来展望−
    三沢 あき子
    2015 年 40 巻 1 号 p. 91-96
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに 近年、我が国の周産期医療レベルは世界的に最高水準となり、周産期死亡率は低下し、超早産児や重症新生児の救命率も改善した。生命予後が改善する一方、気管切開・人工呼吸器や経管栄養などの医療的ケアを必要とする在宅療養児が増えている。これらの子どもたちは、以前はNICUに長期入院していたが、各地域において、NICUを退院して自宅で家族と生活できるように在宅移行への取組がなされるようになった。しかしながら、介護保険制度が確立している高齢者等の在宅医療に比較すると、小児在宅医療に対しての支援体制は遅れており、利用可能な社会資源は乏しく、保護者に過大な負担がかかっている現状がある。 京都府南部では、保健所保健師が未熟児の家庭訪問指導事業において、NICUから退院してくる医療的ケアが必要な在宅療養児の支援を行う中で、2005年に、多機関多職種の協力のもと効果的な連携支援を目的として地域ネットワークを立ち上げた。地域で支援する資源が限られた中で、医療的ケアが必要な在宅療養児とその家族に何ができるのかを多機関多職種で協議するケース検討から始まり、一人ひとりの子どもたちが基となる一つ一つのつながりを作ってくれて形になったネットワークである。本取組は、2013年に京都府全体での在宅療養児支援連携事業へ発展した。本稿においては、京都府での小児在宅医療の地域支援ネットワークのこれまでの経緯を解説し、さらに現状と課題について検討する。 Ⅱ.これまでの取組 1.地域での保健所の支援状況 ネットワークを立ち上げた京都府南部の山城北保健所の管轄人口は約28万人である。保健所が、母子保健法に基づく未熟児の家庭訪問指導事業において支援してきた医療的ケアが必要な在宅療養児の出生数の推移を図1に示す。2000~2007年の8年間では合計11人(平均1.4人/年)で出生体重1,500g未満の極低出生体重児は1人のみであったのに対して、2008~2012年の5年間では合計15人(平均3.0人/年)と増加し、極低出生体重児が7人、このうち5人は出生体重1,000g未満の超低出生体重児であった。医療的ケアが必要な状態でNICU等から退院してくるケースが増え、地域での連携と支援について検討会を積み重ねることで、地域支援ネットワークの基盤ができた。 2.在宅療養児支援連携のネットワーク 小児の在宅医療には、病院主治医、地域の家庭医、訪問看護師、ヘルパー、保健師、療育、リハビリテーション、レスパイト等、多機関多職種の連携に基づく支援が必要となる(図2)。京都府南部においては、2005年に山城北保健所と関係機関:医療機関、地区医師会、訪問看護ステーション、市町(保健・福祉)、療育施設、短期入所施設等が在宅療養児支援を目的として「たんぽぽネットワーク」を立ち上げ、在宅療養児が家族とともに安心して在宅で生活できる支援体制の整備に取り組んだ。具体的には、初期対応チェックリストの作成、各施設の見学・情報共有、総合周産期母子センターや京都小児科医会医師等による研修、訪問看護師を対象とした小児医療的ケア研修など、個別の在宅療養児支援を行う中で必要とされる研修等を企画し行ってきた1) 2)。 なお、厚生労働省は2013年度から、今後の小児在宅医療に関する政策の立案や均てん化などに資することを目的として、小児等在宅医療連携拠点事業を実施している3)。2014年度小児等在宅医療連携拠点事業の6つのタスクを① 行政、医療・福祉・教育関係者等による協議を定期的に開催、② 地域資源の把握と活用、③ 受け入れ可能な医療機関等の拡大と専門医療機関との連携、④ 福祉・行政・教育関係者に対する研修会の開催やアウトリーチ、⑤ 個々のニーズに応じた支援を実施するコーディネーター機能の確立、⑥ 理解促進としている(図3)が、振り返ると、「たんぽぽネットワーク」は同じ内容に取り組んできた。 3.在宅療養児支援のための連携ツール 在宅療養児の母親からは「子どものことを、その都度、一から同じことを何回も説明するのがしんどい」という話をたびたび聞き、一方、地域の支援者からは「医療機関受診時などの検査結果や説明内容がわからず、母親に聞くしかないのでなんとかしてほしい」という要望をたびたび受けていた。在宅療養児に関わる関係者が情報を共有し、連携を図りながら児と家族に対して効果的支援を行うことを目的として、2011年に連携ツールとしての「たんぽぽ手帳・はぐくみノート」(図4)作成に取り組むこととなった。作成検討委員会としては、京都小児科医会、地元医師会、京都府総合周産期母子医療センター、周産期医療2次病院にもお世話になった。地域での保健・福祉行政と医療関係者が顔を合わせ協議する過程により、お互いの信頼・連携が深まることを実感し、地域連携支援ネットワークのポイントは顔のみえる信頼関係であることを再認識した。 「たんぽぽ手帳」には、入院中の様子、退院時の状況、退院してからの様子、家族、支援関係機関一覧などのページがあり、医療機関、支援者と家族が記載できるようになっている。また、退院後の在宅生活について、見通しがもてる構成となっており、在宅生活で関わる機関の紹介や支援者からのメッセージも盛り込んだ。2012年度には、試行的運用を開始したが、保護者からは「NICUを退院するとき、家族の不安は大きいが、退院後の流れがわかりやすく不安が軽くなった」「母子手帳は記載内容があわず、途中から真っ白。たんぽぽ手帳・はぐくみノートは支援機関とのつながりを実感でき、子どもの成長記録にもなる」「これまでのようにその都度、何度も説明しなくてよくなった」、関係機関からは「出生時の状況がよくわかり、助かった」「家族の記載から、寄り添うきっかけを作ることができる」「はぐくみノートに訪問診療時に記録を残してくる習慣がついた」等、好評であった(図5)。医療機関や関係機関からの「たんぽぽ手帳・はぐくみノートの運用を京都府全域に拡大してほしい」との要望を受け、2013年度から京都府在宅療養児支援連携事業へ発展し、京都府内各地域へ支援連携の取組が拡がった。 4.医療・保健・福祉制度ガイドブック 小児在宅医療・保健・福祉制度は複雑でわかりにくい。介護保険は、福祉サービスと医療サービスが同じ仕組みのなかに盛り込まれているのに対して、小児在宅医療で利用できるサービスは、医療保険(訪問診療、訪問看護)、障害者総合支援法(居宅介護、ショートステイ等)、児童福祉法(児童発達支援事業等)と複雑である。サービスは、知らずに申請しなければ、受けることができない。在宅療養児と家族の支援を目的として、利用可能な制度やサービスをできるかぎりわかりやすくガイドブックとしてまとめた。 「子どもは親がみるべき」という社会通念がみられる中で、NICUに入院となった児の母親は自責の念を抱きやすく、退院して在宅へ移行する際もすべて自分で抱え込もうとすることがある。医療的ケアが必要な在宅療養児の成長・発達も見据え、児にとっても家族にとっても家での生活を安定的に継続させるためには、可能な支援やサービスが受けた方がいいことを退院前に家族に理解してもらい、退院前から地域の社会資源の調整を始めることが重要である。 Ⅲ.地域支援における課題 1.コーディネーター 多機関多職種連携には、コーディネーターが調整役として重要である。介護保険の適応となる高齢者等の在宅医療では、このコーディネーターが介護支援専門員(ケアマネージャー)として位置づけられているが、小児の在宅医療においては、ケアマネージャーは存在せず、親自身がすべて調整をしなければならない場合もある。 2013年度より母子保健法一部改正により、都道府県保健所が担ってきた未熟児の家庭訪問指導事業は、市町村に権限委譲された。医療的ケアが必要な状況で在宅へ移行する児は、居住地から離れたNICUのある大きな病院から退院してくることは少なくない。NICUを退院する医療的ケア児の在宅移行調整には市町村単位の支援のみでは限界があることもあり、広域的資源を把握し、これまでの未熟児支援の経験を活かした専門的知識・調整力をもつ都道府県保健所保健師は、最も重要なNICUから地域への退院時のコーディネートの一翼を担うことのできる人材である。京都府以外でも、大阪府などでも同様に、医療的ケアを必要とする在宅療養児支援の調整において、都道府県保健師が一定の役割を果たしている4)。 一方、障害者等の相談に応じ、助言や連絡調整等の必要な支援を行うほか、サービス等利用計画を作成する相談支援専門員が、障害者自立支援法が指定する医療や福祉サービスを提供する役割を担う職種として位置づけられている5)。相談支援専門員は、基礎資格としての実務経験の上に相談支援従事者(初任者)研修を終了して資格が与えられる。障害者総合支援法の施行により2015年4月以降はすべての障害児者(個別給付利用者)にサービス等利用計画が立てられることになっている。ケアマネージャーに比較して、相談支援専門員の存在は見えにくい現状にあり、医療機関での認知度もまだ低い。また、医療的ケアを必要とする乳幼児のサービス等利用計画作成については、経験のない相談支援専門員も多い。 (以降はPDFを参照ください)
  • 石本 美里
    2015 年 40 巻 1 号 p. 97-101
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに  昨今、医学の発達により超重症児も在宅生活ができ、学校生活もできるようになった1)。その反面、以前の養護学校の体制からは考えられないほどの様々な医療的ケア1)(以下、医ケア)への対応が必要になってきている。三重県もそれらに対応するために1998年度から「特殊教育における福祉・医療との連携に関する実践研究」事業を立ち上げ、翌1999年度から「養護学校メディカル・サポート事業」2)にて学校に看護師を配置し、2004年度からは「養護学校における医療的ケアに関するモデル事業」のモデル県となり国、県のガイドラインに沿って、教員も積極的に医ケアに関わってきている。その結果、吸引の必要な児童生徒が継続的に授業に参加できたり、本来訪問教育対応の児童生徒が通学できるようになったりするなど、学校全体として教育効果や質が高まり、それが標準となっている。看護師の身分も「業務補助職員」という常勤ではない不安定な立場から、特別免許状のある常勤講師になり待遇改善も図られてきている。 しかしその後の本校における医ケアの状況は厳しくなっているといわざるを得ない。きわめて個別性の高い対応を必要とする多種多様な医ケアが増え、またその人数も増加の一途である。ガイドライン3)4)に定められた「教員が行うことのできない医ケア」も増えてきて看護師の業務となっている。これら業務が期限付き講師という身分の学校看護師に大きくのしかかっている。加えて看護師の異動年限(最長6年間)が新たに設けられ、今後のスキルの継承、在校生の安全・安心が脅かされている。 今回医ケアが「学校という教育の場においてどのような役割を担ったか」「超重症児といわれる子どもたちの生活にどのような変化をもたらしたか」「今後どのような支援があれば学校生活をより良くすごせるのか」を看護師の立場から紹介・検討する。 Ⅱ.医療的ケアによる現場の変化 北勢きらら学園(以下、本校)は、開校17年目、開校当初は全校児童生徒は46名であったが、現在は児童生徒134名、教職員112名(看護師4名)で、医療的ケア申請者33名である。 2009年から気管切開部からの吸引を看護師対応(図1)で実施開始している。また、看護師と教員の業務分担を示すと、本校の2013年度特別支援学校メディカルサポート事業報告5)より、下線で示した看護師業務が増えてきている(表1)。 その中での実績を示していくと、鼻腔・口腔のみですが教員による吸引(図2)ができるようになったことで「途切れることのない授業の進行」ができ、保護者の常時付添いが少なくなったことで出席率のアップ、保護者の精神的負担が軽くなり(図3)、子どもの精神的余裕もでてきて「教育権の保障(出席率UP)」が生まれたのである。 さらに、教員自身が医ケアに関わることで専門的知識が身に付き、不要な不安がなくなり、自信をもって医ケアに関われるようになった。そのため、後輩の「超重症児への理解の深まり(授業や個々への対応が柔軟に)」が出てきたのである。 それに加えて、教員と看護師の協働のもと、「子どもや親の気持ちに寄り添った対応」をすることで、親の信頼が得られ、胃瘻からの食事注入など新しい挑戦にもつながっている。 Ⅲ.超重症児の生活の変化 超重症児の生活の変化としては、「出席日数の増加」「保護者の精神的・肉体的負担の軽減」「児童・生徒の自己肯定感の高まり」など先の項と重複する部分もある、日常的に学校において医ケアを受けられるということは、医ケアの必要な児童・生徒とその保護者にとってはまさに居場所であり、承認を得られたといっても過言ではないのではないか。学校がそのよりどころとなれたということは、それだけで有意義なことである。また、進路先も学校でしているのだから、と子どもたちに寄り添った対応を約束してくれ、「進路先の受け入れの幅の拡大」につながっている。 これらのことをふまえて、訪問教育生が通学生になるケースがでてきている(図4)。 Ⅳ.看護師としてしてきたこと、今後してあげたいこと 医ケアの児童生徒はもちろん、医ケア予備軍とよばれる「医ケアが必要かもしれないけど、不安をもっている…」と訴えるお子さんの保護者への相談にのり、必要物品、看護師の動き、学校のルールなどを事前に学んでいただいたり、そもそも医ケアの適用かどうかを担任教員を巻き込んで、相談・検討する土台になったりしている。 また、現在行えている個々のケアが安全安心に行えたり、重度といわれる児童生徒の看護師しかできないケアを継続して行えること、つまり、この態勢を今後とも続けていくことが、私たち看護師の願いである。 Ⅴ.学校現場で起こっている様々な問題 「医療的ケア数の増大」は(表1、図5)より医ケア申請者と申請内容の複数化が年々増えている。ちなみに看護師の2013年度の時間割合で表すと、看護師は3分間に1回ケアしている状態で、特に登校後・下校前の水分補給、給食時の食堂などは過密スケジュールの状態になる。吸引は授業をしている場に出向いて行っている。気管切開カニューレからの吸引などはそれぞれ個性があり、手技を行ううえで、異なっていて一人ひとりへの細やかな配慮が発生している。1回平均5分かかり多忙さは想像以上である。2013年度は看護師が4人いるので、忙しさは4等分されるが、これには4人のチームワークが何より必要である。 「申請手続きの煩雑化」は、2013年度の医ケア対象者33名とケアに関わる教員60名の膨大な書類手続きが済まないと、医ケアがスタートできない。 これらのことをうけて、様々なことがマニュアル化しないと共通理解が得られなかったり、時間的精神的余裕がなく事故が起こる危険性をはらむようになった。 そのことで児童・生徒を余裕をもって見られなくなり、いろいろな可能性やトライの機会をつぶしている。 加えて「看護師雇用年限の設定が最長6年」で、障害のある児童・生徒に理解と知識のある看護師が育っていかない+スキルの継承が十分に行われていない。 また、看護師は県が探してくれるわけでもなく、本校が独自のつてで探し出さなければならない。障害のある子どもに理解があり、また精通している看護師などそうそうはいないうえ看護師不足の現在、現実問題、大変である。 さらに、三重県は縦長できらら学園とくろしお学園では、人口分布の格差があり、看護師配置の特別支援学校が9校(表2)あるが、医ケア申請者数や、医ケア内容に格差がある。そのため、特別支援学校それぞれの事情があり、県内での統一した問題提起・課題解決に向けた共通認識・理解が得られにくいのが実情である。その結果、各校個々の問題となり、解決に向けた交渉は1校ずつが個別の課題として県に要望・陳情するという構図になっている。 Ⅵ.今後の課題とまとめ 今後どのような支援があれば学校生活をより良くすごせるのかいくつか列挙する。 三重県は早くから医ケアに積極的に関わってきた県だけに、その後現在に至るまでの課題解決・中身の更新の失速感に残念でならない。管理職任せ、現場任せの単年度ごとの課題解決、対症療法的対応ではなく、数年後先を見越した県全体を統括する教育委員会の施策が求められる。 本文に示したように、本校をはじめとする肢体不自由の特別支援学校は、小中高と12年間という身体的・精神的に成長する貴重な時期を過ごす場所である。それなのに、対象児童生徒を理解し対応していた看護師が継続できないことで医ケアのスキル維持ができず、保護者対応が生じ、精神的・身体的な負担がふえつつある。心許せる人たちの異動による不安・苦痛、安心安全な医ケアの継続に亀裂が生じてきている。県、つまりは行政が現場を見て、県民(児童・生徒、保護者)の切実な声に耳を傾け、現状と学校の特性をしっかり理解し、現場の困り感を汲み取り、それに基づいた支援と課題解決に向けてどのような体制を構築することが有効であるか検討する必要がある。それにより、「障害の重症化や重複化への対応の継続」「学習権や生活の質の保障」が保たれるものと考える。 また、三重県は超重症児(者)のレスパイトや日中一時支援が充実しておらず、児童生徒の笑顔(図6)と幸せのために早急な支援と体制が求められることを指摘して本稿を終える。 なお使用した写真はすべて本人あるいはご家族の了承を得ている。
ランチョンセミナー1
  • −小児科の立場から−
    脇坂 晃子
    2015 年 40 巻 1 号 p. 103-108
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    Ⅰ.はじめに  カルニチン(Car)は、脂肪酸代謝やミトコンドリアの機能維持において不可欠な物質であり、食餌から75%が供給され、残り25%が肝臓や腎臓でリジンとメチオニンから生合成される。体内では、その大部分が筋肉内に貯蔵されており、主な働きは、長鎖脂肪酸をミトコンドリア内に転送する過程や細胞毒であるアシル化合物を体外へ排泄する過程でキャリアとして働くことである。Car欠乏状態では飢餓時のエネルギー産生障害などから非ケトン性低血糖、意識障害、けいれん、筋力低下、心筋症などエネルギークライシスの症状が出現するため、生理活性をもつL-体のCarの補充が必要となる1)2)。 Car欠乏の原因は、有機酸代謝異常症や脂肪酸β酸化異常症などの先天代謝異常症のほかに、薬剤性としてvalproate sodium(VPA)の内服が以前から知られているが、最近になってピボキシル基含有抗菌剤の内服、さらに経腸栄養剤や特殊ミルクの使用などの栄養学的な原因が注目されるようになった3〜7)。 重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))では、長期臥床により筋肉量が少ないこと、長期間の経腸栄養やVPAなどの抗てんかん薬治療などの影響によって二次性Car欠乏症が多いとする報告が散見されるが3, 5, 7, 8)、多数例での検討は少なく、その実態やCar補充量についての検討は十分ではない。 今回、78例の自験例における検討を中心に、重症児(者)における低Car血症の実態とリスク因子、症状、Car補充量などについて述べる。 Ⅱ.重症児(者)における低カルニチン血症の実態とリスク因子の検討 国立病院機構医王病院に入院中の重症児(者)78名を対象に、低Car血症の実態とリスク因子の検討を行った9)。 方法としては、空腹時に採血を行い、血中Car(総Car、遊離Car)濃度、肝機能、血糖、HbA1cなどを測定し、患者背景として性別、抗てんかん薬、筋弛緩剤内服の有無やADLなどを調査して検討を行った。抗てんかん薬の種類では、本検討で使用頻度の高かったVPAとphenobarbital(PB)に着目して検討した(表1)。 症例をCar摂取方法別に、A群;Car非添加経腸栄養剤使用者(36名)、B群;Car添加経腸栄養剤使用者(8名)、C群;経口摂取者(34名)の3群に分類して血清Car濃度の比較したところ、血清総Carの平均濃度(基準値46~91μmol/l)は、A群では16.8±8.9μmol/lと全例で著明に低下しており、また、C群でも38.2±12.1μmol/lと低く、24例(約70%)が基準値以下であった。一方、B群の平均濃度は64.4±23.5μmol/lで、1例で軽度の低下はあったが、他の7例は正常範囲内であった。血清遊離Carの平均濃度(基準値36~74μmol/l)は、A群では13.9±7.5μmol/lと総Carと同様、全例で低下しており、C群でも32.1±10.7μmol/lで22例(66.7%)が基準値以下であった。B群では48.2±16.0μmol/lで、1例のみ軽度の低下を認めた(図1)。 血清Car低下のリスク因子の検討では、A群で抗てんかん薬内服の影響としてVPA(+)PB(+)群は、その他のVPA(+)PB(−)群、VPA(−)PB(+)群、VPA(−)PB(−)群に比べて遊離Carの平均濃度は有意に低下していた(図2)。一方、経口摂取C群では、遊離Carの平均濃度は抗てんかん薬の単剤内服群で 29.8±7.0μmol/l、多剤内服群で25.2±12.0μmol/lであり、単剤・多剤にかかわらず非内服群の39.1±7.4μmol/lより有意に低下していた(図3-a)。さらに抗てんかん薬の種類別に遊離Car濃度を比較すると、VPA(+)PB(+)群は他群と比べて著明に低下しており、また、VPA(+)PB(−)群はVPA(−)PB(−)群よりも有意な低下がみられた(図3-b)。しかし、A群、C群とも性別、年齢別および筋弛緩剤投与の有無については遊離Car濃度に有意差を認めなかった。また、C群においてはADL別でも遊離Car濃度に有意差は認めなかった。 以上の結果より、Car非含有経腸栄養剤使用者では、低Car血症は必発であり、ほぼ全例で治療が必要な低Car血症(遊離Car<20μmol/l)を認めた。一方、Car含有経腸栄養剤使用者では、血中Car濃度はほぼ正常範囲内に保たれており、日常的にCarを補充することの重要性が示唆された。また経口摂取者でも、血中Car濃度の低下傾向がみられ、そのリスク因子として、VPA内服の影響が強いと考えられた。特にVPAとPBを併用していると、さらに血中Car濃度が低下することが示唆された。 Ⅲ.重症児(者)におけるカルニチン欠乏による症状の検討 当院では遊離Car 20未満をL-Car内服対象とした。内服対象となった42例を低Car血症群、内服なしの36例を非低Car血症群とし、Car欠乏によると思われる異常検査所見について比較検討した(表2)。低Car血症群でもEF55%以下となる心機能の低下した症例はなかったが、空腹時低血糖と高アンモニア(NH3)血症の症例が非低Car血症群より多い傾向があった。さらにVPA内服32例では、血中NH3濃度と遊離Car濃度には負の相関を認めた(r = −0.495)(図4)。その他、自験例では、原因不明の嘔吐を繰り返し、低Car血症(遊離Car 19.2μmol/l)を認めた経口摂取の重症者でL-Car製剤内服を開始したところ、その後、嘔吐のエピソードがなくなった1例がある。また、当院で低Car血症を認めたDuchenne型筋ジストロフィーの患者では、L-Car製剤投与開始後、急性胃拡張や麻痺性イレウスのエピソードが軽減する傾向があった。 最近の報告では、越智らが、経腸栄養施行中の重症児の低Car血症で、5例に低血糖、1例に急性心不全、4例に高脂血症、9例に高NH3血症を認めたと報告している10)。また、竹田らは、低Car血症を認めた26例の重症児へL-Car製剤を投与したところ、全例で尿酸値およびNT-proBNP値が有意に改善し、高NH3血症を認めた9例中8例で血中NH3濃度の低下を認めたと報告している11)。 このように重症児(者)において、VPA内服時の高NH3血症や、原因不明の嘔吐などの腹部症状、早朝や空腹時の低血糖、高脂血症、心筋障害などを認めた場合には、Car欠乏による症状である可能性を考慮する必要がある。 Ⅳ.重症児(者)におけるL−Car補充量の検討 L-Car製剤の投与量の目安は、成人で1日1.8~3.6g、小児では、全身性Car欠乏症で100~200mg/kg/日、有機酸代謝異常症では50~120mg/kg/日とされている。また、二次性Car欠乏症では30~100mg/kg/日が投与量の目安とされるが、重症児(者)における食餌性や薬剤性Car欠乏症での投与量については十分に検討されていない。 当院における検討では、まずCar非含有経腸栄養剤使用者36例に、L-Car製剤を100mgから開始し、1カ月ごとに100mgずつ増量し、遊離Carが正常化した時点をL-Car投与量としてVPA内服の有無で比較検討した。L-Car製剤投与前の遊離Car値に有意差がなかったのにもかかわらず、L-Car投与量でみると、VPA内服あり(19例)で8.5±3.2mg/kg/日、内服なし(15例)で14.8±8.4mg/kg/日と有意差を認めた(図5)。次に、経口摂取者34例では、治療が必要とされる血中遊離Car値が20μmol/l以下の8例を治療対象としたが、8例はいずれもVPA内服中であった。L-Car製剤投与を100mg/日から開始し、1カ月ごとに100mg/日ずつ増量し、血中遊離Carが正常化した時点のCar製剤の投与量を検討したが、8例中6例では、L-Car製剤を1日100~300mg(3~10mg/kg)内服した時点で、血中遊離Car値は正常化した。一方、症例7、8では多めの投与が必要であったが、症例7では、VPAの高用量投与と著しい偏食、症例8ではVPAとPBの併用の関与が考えられた(表3)。 最後にL-Car含有経腸栄養剤使用者8例での、L-Car摂取量について検討したところ、8例中7例で1日のL-Car摂取量が0.8~3.5mg/kgと比較的少量の摂取で、血中Car値が正常であった。低Car血症を認めた1例では、VPAとPBの併用が影響している可能性がある(表4)。 2010年以前は、ほとんどの国産経腸栄養剤にはL-Carが添加されていなかった。しかし、長期経腸栄養による低Car血症が注目され、ここ数年で国産経腸栄養剤にL-Carが添加されたものが販売されるようになった。こうしたL-Car添加経腸栄養剤を使用した場合には、多くの症例で、比較的少量(10mg/kg/日以下)のL-Carの補充で、低Car血症が改善するという報告がでている12~15)。一方、これらの検討の中では、VPA内服中で血中Car値が正常化しなかった症例や、ピボキシル基含有抗菌剤使用時に一過性に低Car血症が出現した症例があったことも報告されている。 (以降はPDFを参照ください)
重症心身障害児(者)のためのファッションショー
  • -楽しく美しく着る-
    多屋 淑子, 水沼 千枝
    2015 年 40 巻 1 号 p. 109-112
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    第40回日本重症心身障害学会学術集会は、国立病院機構南京都病院の協力により、「楽しく美しく着る」をテーマに、重症心身障害児(者)と介護者のQOL向上を目的とする衣服等の提案を行った。家族の了解を得たモデル3名によるファッションショーと病棟の気管切開患者による写真参加からなる2部構成で行った。モデルの身体状況や生活状況に適する素材を開発し、着用者の好みや希望も反映させて、「世界に一つしかない着心地の良い衣服」を考案した。これらの衣服は、衣服がしなやかに変形して身体に優しくフィットするため、着用中も身体への圧迫感が少なく、シルエットも美しいアクセシブルデザインの衣服である。拘縮している腕部を無理に伸展しなくとも着脱が可能であり、洗濯等の取り扱いも容易である。
  • 藤井 鈴子, 中友 千芳子, 大藤 祥子, 下司 洋子, 興梠 直美, 石橋 純子, 秋山 仁美, 辻 愛実
    2015 年 40 巻 1 号 p. 113-115
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    昨年のファッションショーは、重度の障害があっても本人にとって機能的かつ好みのファッションを通し、「夢かなえる装い」を大きなテーマにしました。 南京都病院が中心となり日本女子大学の先生と一緒に半年以上前から試行錯誤しながら進めてきました。モデルには、おしゃれに興味がある3名の利用者の方が、出演されました。会場でその人らしく一番輝ける演出を…ということでファッション雑誌をいつも見ているMさんには雑誌から飛び出てきた女性を、大好きな人にいつも素敵な笑顔を見せてくれるUさんにはデートの演出を・・オルガンの演奏をしているときが一番幸せそうな表情をされているYさんには演奏会を・・体調などを心配していましたが、3名とも本当に素敵な笑顔で出演してくださり嬉しかったです。特にYさんは全盲のため、慣れない場所での演出が本人の負担になるのではなど、ファッションショーが終わるまでたくさんの不安を抱えていましたが、本番では輝く笑顔を見ることができ、衣装を提供して頂いた日本女子大学の先生、南京都病院のスタッフともに安心しました。 南京都病院の重症心身障害児者病棟では、日々の活動や行事を通してより豊かな生活を送って頂きたいという想いを大切にしています。その中でも毎月のお誕生会や季節行事の際には、職員が作った色とりどりの衣装を楽しんでもらっています。装い一つで、利用者の皆さん、保護者、職員の気持ちに一体感が生まれ、「衣装」が楽しいひとときを過ごすための重要な役割を果たしています。このように身にまとうことを大切にしている南京都病院ならではの行事の様子と衣装をブースにて展示しました(展示ブースの写真参照)。 ファッションショーでは、3名が代表として出演して頂きましたが、病院内には笑顔の素敵な利用者の方がたくさん入所しておられます。全員に出演してほしいという職員の想いから、南京都病院の利用者の方々がおしゃれを楽しまれているスライドを紹介しました。 この笑顔はおしゃれをして嬉しいだけではなく「かわいいよ」「きれいだね」と周りのスタッフから愛され注目されたことにより生まれたものだと思います。また、京都らしさを…という気持ちから、甚平や浴衣を着てきれいに輝く花火の打ち上げとともに演出しました。輝く笑顔が皆さんの心に届いたでしょうか? 今年も重症心身障害児者のファッションショーが開かれます。 今までだと、衣装に包まれた利用者の方の笑顔や演出を楽しく拝見させていただいていただけだったのですが、ここまでの道のりには、日本女子大学の先生との何回もの打ち合わせやリハーサル、職員や、会場の方、たくさんの人たちの協力で開催されているのだと思うと、また違う熱い気持ちで拝見させていただくこととなるのだろうと思います。 今回身にまとうということ、「衣装」を介して個性が光り、一人ひとりが大切にされ注目されることにより周りが笑顔に包まれ、見ている人たちに深い感動を与えることができるということを学ばせて頂きました。 これからもファッションを通して笑顔の輪が広がりますように…… そして人と人の優しいつながりができますように…… Mさん…おしゃれに興味がありファッション雑誌を見るのが大好き、夢はモデルさん。 当日は大好きな主治医の先生とモデルになった気分を思いっきり感じていただきました。 スポットライトを浴び、素敵な笑顔が見られました。 Uさん…理想のボーイフレンドと一緒にデートをするのが夢……素敵な洋服でお出かけします。 当日は年下の男の子のBGMが流れる中、大好きな人からバラの花束を頂きました。 とても幸せそうな笑顔が見られました。 Yさん…音楽大好きな女性、どんな曲でもピアノを奏でることができます。夢は大好きなピアノやオルガンを発表会で演奏することです。発表会用の衣装を着てリサイタルショーをしました。 大好きな『バラが咲いた』の曲を演奏し、会場のみなさんと歌うことができました。 (出演者の皆様には写真掲載の承諾を頂いています。) 四季折々の衣装とともに笑顔と優しさを届けます。
原著
  • −性別、年齢−
    三上 史哲, 三田 岳彦, 三田 勝己, 岡田 喜篤, 末光 茂, 江草 安彦
    2015 年 40 巻 1 号 p. 117-126
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    本研究は公法人立重症心身障害児施設に入所し、大島の分類1~4に属する重症心身障害児(者)の男女の割合と年齢の35年間にわたる横断的実態と経年推移を明らかにすることを目的とした。分析では新規入所者、退所者、継続と新規を含む全入所者の3群を対象とした。新規入所者と退所者の男女の割合は35年間おおむね一定であり、男性が約55%、女性が約45%であった。全入所者は1979年度約50%と同等であったが、その後35年間で男性の割合が54%まで漸増し、女性の割合が46%まで漸減した。この経年推移は新規入所者の男女の割合が影響を及ぼしていたと解釈した。年齢の推移は、中央値でみると全入所者が1979年度16歳から2013年度38歳と高年齢化し、6.5歳/10年の増加率であった。新規入所者は1979年度12歳から2013年度25歳となり、3.8歳/10年の増加率であった。退所者の年齢推移は全入所者と類似していた。この結果から、全入所者の年齢の経年変化は、継続入所者(新規入所者、退所者を除く)が高齢化していったことと、新規入所者の入所時年齢が継続入所者より相対的に低かったことによると推察した。
  • 後藤 一也, 山本 重則, 宮野前 健
    2015 年 40 巻 1 号 p. 127-134
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    重症心身障害病棟をもつ国立病院機構64施設における医師調査を実施した。重症心身障害児(者)の主治医は301人、専任医師は211人で、専任医師のうち小児科は155人(73.5%)であった。施設ごとの専任医師数は0~10人(中央値1)で、専任医師不在は4施設あった。施設ごとの小児科専任医師数は0~9(中央値2)で、小児科不在は9施設あった。施設の所在地により大都市圏と地方圏に分けて分析すると、64施設中43は地方圏にある施設で、専任医師不在はすべて、小児科医師不在は1施設を除き地方圏の施設であった。医師不足の課題は地方圏の施設に目立ったが、地方圏、大都市圏いずれにおいても施設間で格差を認めた。施設入所者とともに短期入所利用者も重症化しており、医療安全や医療の質を保証するうえで医師確保は重要な課題である。
短報
  • 髙橋 奈津美, 小玉 武志, 佐藤 匠, 津川 敏, 堀本 佳誉, 中村 裕二
    2015 年 40 巻 1 号 p. 135-139
    発行日: 2015年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
    本研究では、当施設で実施してきた「朝の活動」が午前中に睡眠状態にあった対象者の覚醒状態に与えた影響について報告するとともに、対象者に生じた覚醒状態の変化と対象者の特性との関係について検討した。調査対象とした午前中に覚醒状態の低い者は、運動機能、精神発達段階ともに低い傾向にあった。これらの対象者は、「朝の活動」を始める前の姿勢変換の段階で覚醒する者と「朝の活動」を実施することで覚醒が促される者とが存在した。この違いには、てんかん発作の重篤さや感覚刺激に対する受け入れの違いなどが関係している可能性が考えられた。
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