社会学評論
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26 巻, 2 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • レヴイ=ストロースの場合
    上野 千鶴子
    1975 年26 巻2 号 p. 2-17
    発行日: 1975/11/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    レヴイ=ストロースの構造主義は、一九五八年『構造人類学』に見る公認の教義から、その客観的な構造を剔抉されなくてはならない。私見では、彼のアプローチは、階梯モデル、同型説、システム論的思考を特徴とする、合理主義的理解の方法の一典型であり、この観点からは「メタ=ストラクチャー」は、当該の事象を、より一般的・整合的な構造のうちに置換する上位モデルと解される。だとすれば、メタ=ストラクチャーを無意識の実在に等置する先験主義からも、これに発達を拒否する無時間モデルからも、私たちは免れることができる。彼自身及び彼の祖述家達の、方法をめぐる様々な錯綜した議論よりも、彼自身の構造分析の実際が、何よりも雄弁にそれを実証している
    すなわち、メタ=ストラクチャーは、文字通り「系の系」として上位構造なのであり、理解とは、この構造を構成する手続きそのものなのである。これが、認識の発達モデルを提供するピアジェの構造主義が主張することであり、同時に、構造主義的思潮を、西欧合理主義の伝統の最も多産な果実とする方途である。
  • 家族周期論からみた役割構造を中心に
    山村 マサエ
    1975 年26 巻2 号 p. 18-35
    発行日: 1975/11/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、直系制家族における親夫婦と子夫婦間の関係のあり方を明らかにすることにある。この課題は、我々に直系制家族の内部構造の理解を促し、さらに、直系制家族の変化の方向を示唆してくれるであろう、と考えられる。本稿では、分析の単位を家族的単位としての核家族に求め、その分離を検討する。
    現代日本の家族は直系制家族から夫婦制家族への過渡期、あるいは両者が併存する状態にあるといわれている。そこで、直系制家族において、核分離の傾向が夫婦制家族への転換を孕む徴候としてあるのか否か、という問題を検討する必要がある。本稿で筆者は、このような問題に接近する手がかりを、集団的役割と関係的役割の二側面に求め、直系制家族の変化がいかなる家族周期段階の、いかなる内部の生活領域において生じ、親夫婦と子夫婦がいかなる関係をもっているか、に焦点をおいた分析を試みる。
    本稿で用いるデータは、山梨県東山梨郡勝沼町において、三回 (一九六六年、一九七二年、一九七三年) にわたって実施した調査から得たものである。分析の方法は横断分析法と反覆面接法によっている。
    結論的に言えば、直系制家族は限られた生活領域、家族周期段階において、分離の傾向を示しつつある。しかし、親世代の死亡を契機に、家族の内部構造が子世代に再編成されることから、この分離傾向は直系制家族の不安定な変化を孕んだ傾向ばかりではなく、家族内部の親子両世代間の境界を明確に区別する比較的安定した傾向である。したがって、現在の核分離の傾向は家族の変質をせまる現象ではなく、家族の変形に留る現象である、といえる。
  • 「事象化」 (Versachlichung) の理念像に即して
    横山 敏
    1975 年26 巻2 号 p. 36-52
    発行日: 1975/11/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿は、ヴェーバーの近代認識を検討している。ヴェーバーの近代論をマルクスとのかかわりで論ずるうえで、かれの「事象化」 (Vrsachlichung) 概念をまずもって検討することは、きわめて重要であるように思われる。
    一、ヴェーバーは、次のように、人類史の転換について論じている。プロテスタントによる被造物神化の拒否は、資本主義の精神の形成にさいしての一つの決定的要因となった。そのことを通して、人格的諸関係 (die persönlicehe Verhältnisse) は突破され、使命として合理的職業労働が選択されたのである。そうした労働は、事物に即した行為、態度を特徴とするのであるが、同時に、それは、社会的な事物的諸関係 (die sachliche Verhältnisse) を生み落すところとなった。
    二、ヴェーバーは、近代資本主義を二段階に区分している。その第一段階は、プロテスタンティズムの禁欲主義と「独自の市民的エートス」をその特色とする。資本主義の向上期において、市民の行為は、意欲して事象化を推進する。第二段階においては、客体 (官僚制) は、主体から自立し、いかなる力をもってしてもそれを破壊できないものとなる。この段階で人間は、人格的に意味の喪失に陥る。ヴェーバーは以上のようにいうが、それに対して、マルクスは、資本主義の向上期にあっても、人は事物的諸関係 (商品=貨幣関係) の担い手であり、人々が第二段階と同様に事物への隷属に陥っていると見做す。
    三、ヴェーバーは、事物の人間に対する非合理的専制を突破できないといっている。経済的領域にかんしていえば、この事態に対するヴェーバーの批判は、資本主義の精神の存在いかんにかかっているから、その批判は、本質的なものでないと思われる。マルクスは、プロレタリアートに高度の生産諸力と普遍的交通の領有可能性を見いだしているが、このように、マルクスが物象化として止揚可能性を見いだしたものを、ヴェーバーは、合理化の宿命としてひきうけたのだと、われわれは考えることができる。
  • 藤原 健固
    1975 年26 巻2 号 p. 53-73
    発行日: 1975/11/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    ローカル・スポーツ紙の特質について三つの側面から考察し、次の諸結果を得た。
    (一) 内容分析からみた特質 (a) 既存の社会規範・価値の補強を促がす紙面づくりがなされており、論議を好まない。そして、 (b) 日刊紙の及ばないキメ細かな記事の扱いが信条であり、それは、 (c) 日刊紙と基本的な考え方の相違に根ざしている。すなわち、ローカル・スポーツ紙は、スポーツを消費の対象とし受け手を匿名性に被われた人間不在の世界に追いやるのではなく、あくまでも具体的個人の確保を紙面づくりの基本においているのである。
    (二) 受け手分析からみた特質 (a) 他のマス・メディアと対立関係にあるのではなく、相互補完的立場にあるが、 (b) 必らずしも受け手の生活感情に密着しているとは限らない。そして、 (c) 受け手の関心はスポーツ以外の記事にも向けられており、また、 (d) このメディアにたいする受け手のイメージは、相互接触のチャンスを提供する一つの媒体として受けとられている。
    (三) マス・コミ体系に占める機能的特質 (a) ローカル・スポーツ紙は、一定の地域をカバーし、比較的限られた諸機能を果すべく要請されている。そして、 (b) その機能的特質は、マス・コミュニケーションとパーソナル・コミュニケーションの “中間的” コミュニケーションとして位置づけられる。
  • 平松 闊, 山本 剛郎
    1975 年26 巻2 号 p. 74-82
    発行日: 1975/11/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    There are some approaches to an understanding of the relationships among many qualitative variables.
    Depending, among them, specifically upon L.A. Goodman, this paper aims at analysing the interactions in dichotomous and polytomous variables on the basis of different to kinds of the following data :
    (1) Four-way table concerning teachers' attitudes in Wakayama.
    (2) Three-way table concerning the subscription to a newspaper.
    As the result of the above analyses, this paper can offer the following advantages of the Goodman-model : his model is the multiplicative form and usually fitter for data than the additive form ; in addition, compared with the usual models, the Goodman-model makes it easier to calculate not only the main-effects but all the interaction-effects among the variables. This can be said even if variables increase in number.
    Goodman, however, assumes that the magnitude of the effects of one variable upon the other is equal to the one in a reversed case. But if the magnitude in two directions are considered to be different, then the Goodman-model will have to modified, and we shall need to develop a new model.
  • 坂井 達朗
    1975 年26 巻2 号 p. 83-86
    発行日: 1975/11/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 本村 汎
    1975 年26 巻2 号 p. 87-90
    発行日: 1975/11/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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