社会学評論
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37 巻 , 3 号
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  • 越智 昇
    1986 年 37 巻 3 号 p. 272-292
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    都市自体の社会的矛盾を自発的に解決しその過程で生活文化を創造していくような一貫性のある社会運動をネットワーキングととらえた。そのことは、運動の行為原理、組織原理、ならびに運動文化に着眼した相互連関的点検により、明確になるであろう。小論ではその着眼点を一二の基準として仮説化し、現代日本の都市化社会において地域住民の間に教育力の創造を志向する市民活動の事例から、ネットワーキングの特質を検討した。その結果、日本では自治体行政と町内会に代表される地域組織との双方に対する緊張関係が問題になる。故に、日常的な生活活動としてのボランタリーな第一次的ネットワークの創造が運動の重要な課題になる。その活力が行政・地域組織にも影響力を示すと共に新しい生活様式の形成に貢献するからである。と共に、行政現場の職員の意識変革を必然化するネットワーキング課題がある。この両課題のゆえに、普遍的価値をめざす住民自治が日本のネットワーキングでは特に注目されねばならぬ。このようなネットワーキングの深化が、都市社会の矛盾をあらわに示す。他方、その解決の深刻化がかえってネットワーキングを質的に高める。もちろん、ネットワーキング自体の矛盾と葛藤がある。行為・組織・運動文化をめぐり、日本の都市社会におけるネットワーキングの動態的な法則を明らかにすることが今後に期待されねばならない。
  • 古城 利明
    1986 年 37 巻 3 号 p. 293-307
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    日本社会が世界社会の「中心部」に位置を占め、人類社会の有力な危機要因となってきている今日、世界社会論的な視座から日本社会をとらえなおすことが必要になってきている。こうした視座から「日本らしさ」をとらえなおすならば、それを日本社会の活力の源泉としてとらえ、日本文明の独自性を強調するみかたは一面的であるといわねばならない。むしろそれは、同時にこの「中心部」化がもたらした新中間大衆の登場、新しい生活様式の模索、「日本」産業社会の転機などによって崩壊・縮小してきており、もはや社会発展の基本的要因とはいえなくなってきているのである。それは、ある社会が「中心部化」すればするほど、その「中心部」を貫く社会発展の普遍的論理にしたがわざるをえないからである。したがって、「日本らしさ」の機能は、たかだかその社会発展に一定の型をもたらす媒介としてのそれに限定されることになる。その機能は多様であり、今日の日本ではネオ・ナショナリズムへの媒介となる可能性ももっている。これに対して、社会発展の型として「東アジア型」を提起するのは、これと異なる媒介機能を対置したいからである。それは、人類社会の危機を克服するため、「中心部」化した日本社会の変革を考えるうえでも意味あることと思う。
  • 今田 高俊
    1986 年 37 巻 3 号 p. 308-322
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    現在、社会科学におけるもっとも重要な課題は、自己組織性の社会理論を構築することであろう。本稿では、自己組織性の視点から従来の機能主義を《自省的機能主義》に脱構築する必要性とその基礎づけを論じる。自己組織性にとってのポイントは、論理学的には自己言及の、社会科学的には自省作用の問題にある。従来の機能主義は自省作用の問題を理論から排除してきたため、いわゆる意味学派からの挑戦を受け、これに充分わたりあうことができなかった。また機能主義が依拠してきた近代の科学観も、自己言及の問題にゆさぶられている。自己組織性の社会理論にとっての課題は、自己言及の科学観にもとづいて、自省作用を取り込んだ機能主義、すなわち自省的機能主義を構築することにある、と私は考える。そこで本稿ではまず、多極化し混迷をつづける社会学の状況をパラダイム・ジャングルと規定したうえで、諸パラダイムを架橋するパラダイムの必要を論じる。次いで、自己組織性の社会理論を構築するめたに、理解科学の方法を取りいれた《自己言及の科学観》を述べる。そしてこの科学観にもとづいて、従来の機能主義の問題点を検討し、行為とシステムの二水準に自省作用を取り込んだ自省的機能主義のパラダイムについて論じる。これは、社会理論の鍵概念である構造・機能・意味を架橋するパラダイムである。
  • 栗原 孝
    1986 年 37 巻 3 号 p. 323-337
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2010/02/19
    ジャーナル フリー
    ことばの疎外は意味の喪失を意味し、ことばの形式化、機能化、神話化といった契機によると考えられるが、現代ことに比重を増しているのは機能化である。だがそれがことばの構造内でどう生じるのか、必ずしも明らかではなかったと思われる。
    そこで本稿ではJ・ハーバーマースの理論を基礎にコミュニケーション行為の理論を構想し、この問題を考える。具体的には発話行為論とその展開の中でことばの意味、慣習、機能を捉え、特にことばの機能の中に効力と効果を分ける。その一方で精神分析論よりことばの疎外の心的メカニズムを取り出す。
    そしてこうして得られた枠組によって、最後に、ことばの疎外を再考し、現代人の意識・行動のもつ諸問題に言及する。
  • 豊泉 周治
    1986 年 37 巻 3 号 p. 338-351
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    日常世界における「開かれた可能性」の問題を手がかりとして、今日しばしば「保守的」だとされるシユッツの社会学理論のうちに、なおシステム批判を内在させた理論的可能性を問おうとするのが、本稿の課題である。もとよりそれは、かつての「主体主義」的なシュッツ解釈に立ち戻ろうとするものではなく、むしろ「保守的」だと批判される日常世界の「類型性」の問題のなかに、今日なお論じられるべきシュッツの理論的可能性の中心を見いだそうとするものである。
    従来の批判が見落としてきたのは、シユッツにおいて日常世界は、閉鎖した意味世界として方法的に構成される社会科学の世界に対して、意識主体にとっての「開かれた可能性」の世界として論じられるということである。「類型性」といい「自明性」といい、それは意識経験の類型的閉鎖性 (「保守性」) を意味するものではなく、むしろ日常世界における主体性の可能性の条件なのである。シュッツにおいて日常世界は、ほんらい社会科学の実証主義的な自己理解とともに、「主体主義」的な主体理解を批判するところに結像しているのであり、そこで示される類型性 (客観性) と主体性 (自由) との媒介性の質が、かれの理論の現代的な可能性と課題とを規定していると思われる。
  • 武笠 俊一
    1986 年 37 巻 3 号 p. 352-368
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    有賀喜左衛門が若いころ白樺派の一員であったこと、その後柳田国男と出会い、民俗学をへて農村研究へと進み、日本農村社会学の創設者の一人となったことは、よく知られている。しかし西欧的な個人主義への憧憬を基調とする白樺派からその対極にある柳田民俗学への転進は、まだヨーロッパ文化への憧れの強かった大正末期には、きわめて特異な出来事であった。そのギャップの大きさを考えると、この転進は有賀の学問形成史における一つの「飛躍」であったと言ってよいであろう。学説史の第一の課題は、画期となった「飛躍」の連続面と不連続面の二つを、統一的な視点で分析することにあるといわれる。本稿では、有賀喜左衛門の日本文化研究の出発点を、この二つの側面から再検討してみたい。
  • 嘉田 由紀子
    1986 年 37 巻 3 号 p. 369-377
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    Although various approaches from social sciences have been made as to the issue of environmental degradation, sociological studies are very limited so far in Japan in terms of both the scope and the number of the study. The scope of the environmental study from the sociological fields are limited to pathological sociology, citizens' movement, or some system's approaches.
    This paper proposes a possibility of new field of environmental study, namely environmental history, which deals with environmental problems from the standpoint of cultural and historical studies of local communities. Here, we define the environmental history as the study on the tradition and knowledge of peoples' everyday life which have been accummulated in the number of generations. In other words, this approach emphasizes the uniqueness of each local community in terms of cultual and historical backgrounds of contemporary environmental issues. We also emphasize the rebellious traits based on uniqueness of local cummunities in modernizing society where unifying power on everyday life is strongly permeating.
    This paper also deals with the perceptional background of uniqueness of local communites in terms of meanings of space and localities where peoples' daily experiences are usually sublimated into a collective illusion. This collective illusion sometimes plays an important role in the decision making process at local level.
  • 元島 邦夫
    1986 年 37 巻 3 号 p. 378-379
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 堀 喜望
    1986 年 37 巻 3 号 p. 379-381
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 笠原 清志
    1986 年 37 巻 3 号 p. 381-382
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 服部 治則
    1986 年 37 巻 3 号 p. 383-384
    発行日: 1986/12/31
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
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