本稿は、これまで多くの議論をよんできたT・パーソンズの秩序モデルを、N・ルーマンの一連の試みに基づいて再検討し、さらにこうした文脈の内で、自己指示的システム論の位置づけをさぐろうとするものである。
まずパーソンズの行為理論において、「行為システム」の概念が二重の意味 (a.諸行為のシステム、b.分析的要素のシステム=行為というシステム) をもち、秩序問題は、本来問われるべき行為システム (a) の水準ではなく、規範に同調する行為の成立可能性というもうひとつの創発水準 (b) へと変位してしまっていることを示す。
したがってより直接的に、行為と行為システムの構成連関そのものが問われなければならないが、そのとき即座にたち現れるのが自己指示性問題であり、ルーマンにしたがって、あらゆる行為と行為システムの成立は、「自己指示性の脱トートロジー化」 (行為間の関係化可能性の制限=規範をその典型とするような「構造」の構築) とし、て把握される。
しかしながらあらゆる制限 (構造) は、同時に拒否の可能性をも産出する, したがつてシステム (構造) 構築によって保証されるのは、構造的制限の達成そのものではなく、むしろ制限の受容あるいは拒否がまさにそのようなものとしてはじめて可能になるということ (構造化された複雑性の構築) 、すなわち行為の有意味的接続可能性、再生産可能性であり、行為システムの秩序とは、こうした行為のアウトポイエシス的再生産の秩序に他ならないということが示される。
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