社会学評論
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39 巻, 2 号
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  • 西阪 仰
    1988 年 39 巻 2 号 p. 102-118,227
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    本稿は、行為がいかに単一の出来事として成立するのかについて、ひとつの見取り図を提出しようとするものである。「行為の意味」は、じつは、けっして一意的に決まることがない。この事実をふまえ、まず最初に、「規則」というものを、 (分析の道具としてなおも使用できるように) ある特異なしかたで位置づけておく (一) 。その上で、行為の「意味」をことばの意味ではない「効力」として捉えた発話行為論を、概観する (二) 。そして次に、発話行為論の難点を克服するため、発話行為の水準と行為出来事の水準とを分けることを提案する。後者がいかにして構成されるかについては、エスノメソドロジーの「会話分析」を参照することによりひとつのモデルが与えられよう (三) 。最終的には、一方で、発話行為水準の二つの規則 (「隣接対」・発話行為を構成する言語規則) と、また他方で、相互的なやりとりを基底的な水準で支える「順番取得システム」と、都合三つの規則が確認される (さらに、行為出来事をその周囲にはめ込む装置を加えれば、規則は四つになる) 。行為出来事は、当事者たちによりこの諸規則が相互的なやりとりのなかで「利用」されることによって、その場その場で構成される。
  • -山形県黒澤の事例を中心に-
    櫻井 義秀
    1988 年 39 巻 2 号 p. 119-136,227
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    祖先崇拝は直系家族における家長-跡取りの権威主義的な互恵関係を正当化する「孝」を儀礼化したものであり、家父長的家族結合を維持・強化する機能を果す。本稿の目的は、フォーテスらにより提唱されたこの理論を以下の二点に関して考察することにある。 (一) 家長-跡取りの世代間の構造的結合を死者供養の儀礼の中に確認すること、 (二) 祖先崇拝と家の構造連関を測定すること、である。この問題を農業村落である山形県村山郡黒澤のムカサリ絵馬習俗と祖先崇拝の実態調査から分析し、次の結論を得た。
    (一) 婚姻の絵馬習俗に認められた家長-長子のダイアッドは、祖先崇拝における世代間関係の主・客を逆転させたものである。未婚の死者が先祖になれないというのは、家を創設、又は継承させるための前提条件である子孫を残さなかったからである。婚姻が、家格維持・嫡子獲得の制度であった地域において、天逝者に対する婚姻儀礼は、家の象徴的実体である祖霊に彼らを加えることを意味した。家長は、とりわけ長子に対しこの儀礼を行った。
    (二) 祖先崇拝の祭儀の実施は、生業形態・家族類型・家格・家父長的父子関係・世代深度の、家の構造を示す諸変数と関連を持つ。黒澤のような農村部で行なわれる現在の祖先崇拝は家と密接な関係を維持していると考えられる。
  • -T・パーソンズとN・ルーマン-
    田中 耕一
    1988 年 39 巻 2 号 p. 137-152,226
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
    本稿は、これまで多くの議論をよんできたT・パーソンズの秩序モデルを、N・ルーマンの一連の試みに基づいて再検討し、さらにこうした文脈の内で、自己指示的システム論の位置づけをさぐろうとするものである。
    まずパーソンズの行為理論において、「行為システム」の概念が二重の意味 (a.諸行為のシステム、b.分析的要素のシステム=行為というシステム) をもち、秩序問題は、本来問われるべき行為システム (a) の水準ではなく、規範に同調する行為の成立可能性というもうひとつの創発水準 (b) へと変位してしまっていることを示す。
    したがってより直接的に、行為と行為システムの構成連関そのものが問われなければならないが、そのとき即座にたち現れるのが自己指示性問題であり、ルーマンにしたがって、あらゆる行為と行為システムの成立は、「自己指示性の脱トートロジー化」 (行為間の関係化可能性の制限=規範をその典型とするような「構造」の構築) とし、て把握される。
    しかしながらあらゆる制限 (構造) は、同時に拒否の可能性をも産出する, したがつてシステム (構造) 構築によって保証されるのは、構造的制限の達成そのものではなく、むしろ制限の受容あるいは拒否がまさにそのようなものとしてはじめて可能になるということ (構造化された複雑性の構築) 、すなわち行為の有意味的接続可能性、再生産可能性であり、行為システムの秩序とは、こうした行為のアウトポイエシス的再生産の秩序に他ならないということが示される。
  • -制度変革と自己変革の狭間で-
    石川 准
    1988 年 39 巻 2 号 p. 153-167,225
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2010/02/19
    ジャーナル フリー
    本稿の主題は社会運動の戦略的ディレンマである。諸々の社会運動論の中で戦略論的関心を最も強く表明し、理論枠組みの整備や実証研究に赴いているのが「資源動員論」である。しかし、「制度変革」をめざす道具的集合行為として社会運動を捉える「資源動員論」は、「自己変革」という社会運動のもう一つの不可欠な側面を分析することができない。これは、合理的選択理論を行為論の基礎にした代償である。
    一方、「新しい社会運動論」は、国家の市民社会への介入に抵抗し、市民社会への国家の奉仕機能の拡充を要求し、市民社会内部の規範秩序の変革をめざす様々な草の根の市民運動を、「制度変革」と「自己変革」の同時達成をめざす「新しい社会運動」と捉えている。とはいえ「新しい社会運動論」は、ポスト産業社会という歴史的構造的文脈に社会運動を位置づけその意義や可能性を評価することにもっぱら意を注いでいるため、現実の各社会運動に向かって、個別具体的な政治的文脈との関連において戦略的戦術的提案を行なうことにはさほど積極的ではない。
    しかし原理的には「制度変革」と「自己変革」の同時達成をめざす社会運動は、深刻な戦略的ディレンマに直面する。社会運動の社会学としても、新しい社会運動のための戦略的分析枠組みを早急に整備しなければならない。その一歩として本稿は「制度変革」と「自己変革」の同時達成をめざす社会運動が経験するであろう戦略的ディレンマを理論的に解明することを目標にする。具体的には、ネットワーク特性、組織構造、第三者からの援助、実力行使の有効性という四つの次元について、戦略的ディレンマに関する九つの仮説を提示する。
  • -アソシェーションの地平-
    田中 義久
    1988 年 39 巻 2 号 p. 168-169
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 北原 淳
    1988 年 39 巻 2 号 p. 169-171
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 湯沢 雍彦
    1988 年 39 巻 2 号 p. 173-174
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 中野 秀一郎
    1988 年 39 巻 2 号 p. 175-176
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 宗像 恒次
    1988 年 39 巻 2 号 p. 177-179
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • -社会学と人類学からの接近-
    倉田 和四生
    1988 年 39 巻 2 号 p. 179-180
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 1988 年 39 巻 2 号 p. 224
    発行日: 1988/09/30
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
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