社会学評論
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47 巻, 1 号
選択された号の論文の17件中1~17を表示しています
  • 似田貝 香門, 藤見 純子, 町村 敬志
    1996 年 47 巻 1 号 p. 2-3
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2010/05/07
    ジャーナル フリー
  • 現象学的視座からみた〈主観性〉をめぐる問い
    西原 和久
    1996 年 47 巻 1 号 p. 4-17
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2010/11/19
    ジャーナル フリー
    本稿は, 戦後日本の哲学思想と社会学理論との関係に照準しながら戦後 50年を振り返り, 現代の日本社会学の理論的課題に論及するものである。ただし, ここでの議論の視座となるのは1960-70年代前半 (以下「60年代」と称する。より正確には本論で言及する) の現象学的思潮を中心とする哲学思想である。そこに視軸をとるのは, 戦後50年の時間幅のなかでその時期の知の変動がひとつの転換点であったとみるからだが, もちろんこの視軸を社会学全般にまで一般化して論じるつもりはない。ここでの議論が有効なのは, おそらくわれわれの知のまなざしの根底にあるパラダイムをめぐる論点に関してのみである。つまり, 社会学方法論をも含めた多様な領域にわたり社会学が関わらざるをえない〈主観性〉をめぐる問いの歴史が本稿で論じられる。
    〈主観性〉をめぐる問いは, 「主体性論争」などにみられるように戦後すぐから論じられ, 「60年代」には「知の地殻変動」ともいうべき形で哲学思想においてドラスティックに変化し始め, 80年代の統合的な社会学理論をへて, 今日では形を変えつつ社会学理論においても基本的な視点の対立状態のなかにあるといえる。その問いを戦後50年を通観しつつ浮き立たせ, 社会学理論の今日的課題を明示するのが本稿の作業である。社会的行為の基底を問うという社会学理論の課題が本稿全体を通して示されることになる。
  • 筒井 清忠, 中里 英樹, 水垣 源太郎, 野崎 賢也, 沼尻 正之
    1996 年 47 巻 1 号 p. 18-32
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
    近代主義からポスト近代主義へという巨視的な視点から, 戦後日本における歴史社会学的研究の展開を後づける。とくに, 家族・宗教・農村・文化の各ジャンルにおいて歴史社会学が自己の研究の有効性をどのように示してきたのかが主な考察の対象となる。柳田民俗学, 農村の近代化, パーソンズ・ベラーの構造機能主義宗教社会学, アナール派の社会史のインパクト, モラル・エコノミーの視点, 等々多彩なトピックを見せながら歴史社会学が各ジャンルの中で隆盛を見せてきた様子が明らかにされる。現代はまだ発展・拡散の時期であり, 収束的な方向は21世紀に期されているのではという視点が示される。
  • 友枝 敏雄
    1996 年 47 巻 1 号 p. 33-46
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は, 戦後日本社会の変動とともに展開した社会学における実証研究の到達点を明らかにすることである。戦後50年の代表的な社会変動である高度経済成長と高学歴化によって, 知識の大衆化が進み, 戦後の学問は戦前までの教養主義にかわって, 実証主義によって特徴づけられるようになった。実証主義は, 社会学における実証研究を発展させる原動力となったし, そのような実証研究の代表としてSSM調査がある。SSM調査を第1回調査から第4回調査までふりかえってみると, 理論研究の裏づけのもとにスタートしたSSM 調査が分析手法を高度化するにつれて, 背景となる社会学の理論との関係を曖昧にしていったことが明らかになる。この実証研究と理論研究の乖離は, 社会学の実証研究全般にみられるものであり, ポストモダン思想の登場によって一層エスカレートした。そこで社会学における実証研究がこの困難を克服して, 今後進むべき方向を模索する。
  • 都市社会学者は何を見ないのか ?
    西澤 晃彦
    1996 年 47 巻 1 号 p. 47-62
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
    このエッセイでは, 1950年代から80年代にかけての日本の都市社会学における背後仮説を, コミュニティ理論や町内会研究の検討を通じて明らかにすることが目指される。
    戦後の都市化と産業化は, 人口を流動化し, 地域社会の構造を一変させた。これに対して, イデオロギー的立場は多様であったにも関わらず, 多くの都市社会学は一様に社会目標あるいは理想としてのコミュニティの新しいイメージを提示し, その実現可能性を検証, 地域社会の再統合の道筋を探求した。
    これらの新しいコミュニティ像の特徴は, 以下の三点に要約されるだろう。 (1) 都市においては, コミュニティ問の境界が不明瞭で, 人口移動も激しかったにも関わらず, コミュニティをその外部から切り離して過剰に独立的に論じている。 (2) 定住民社会として地域社会はイメージされており, 流動層は周辺的存在とされるか, 地域社会の解体要因として評価されることが多い。 (3) 都市における生活世界の複数化を無視し, 「住民」のコミュニティへの同一化を強調し過ぎている。
    この結果, 多くの日本の都市社会学者がシカゴ学派の遺産の継承を主張しているにも関わらず, 彼らは, 都市の多様な諸コミュニティと諸個人が接触し合い変容する社会過程を捉えられていないし, 非定住の少数者の社会的世界の研究も放棄され社会病理学に譲り渡してしまったのである。
  • 日本社会学会・社会学教育委員会
    1996 年 47 巻 1 号 p. 63-86
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2010/05/07
    ジャーナル フリー
    今日, 日本の大学では, 一般教育改革, 学部カリキュラム再編, 大学院改革等があいついで行われている。日本社会学会・社会学教育委員会では, 一般教育改革をはじめとする今日の日本の大学改革が, 日本の社会学教育にいかなる影響を及ぼしているかを把握するために, 社会学教育の内容, 方法, 社会学部・学科卒業生の就職動向, 資格志向, 大学院がかかえている問題等に関し, 各大学を対象とする調査を行った。以下, 1993年から1994年にかけて実施した138学部・学科・専攻等を対象とする調査から把握されたファインディングスを列挙する。
    1. 大学改革のトップは自己評価・自己点検で81.2%, 2位が履修内容や教育方法等の改革で78.3%, 3位がカリキュラムの抜本的改革で66.7%, そして教養部廃止・再編等の制度改革が63.0%であった。
    2. 特にカリキュラム改革は現在も進行中の大学が多く, 過半の学部・学科において取組まれている。
    3. 社会調査法を開講する学部・学科・専攻等は81.9%, 社会調査実習は64.5%であった。
    4. 社会学履修に関わる資格認定の方向性の追求が必要というもの31.2 %, あっても良い程度の賛意が34.8%であった。
    5. 大学院が抱える問題の第1位は教育研究支援職員の不足, 第2位は実習・調査費用の不足, 第3位は奨学金の不足であった。
    6. 大学改革の影響は大きく, 一般教育段階における社会学の比重が軽減, あるいは他の諸科学との境界が弱まりつつあるようにみえる。その波及効果は学部, 大学院にも及び, 我国の社会学教育はいま大きな変動の真只中にある。
  • 氣功と社会学
    今 防人
    1996 年 47 巻 1 号 p. 87-105
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
    日本が近代に入ってから初めての敗北を記してから50年が経つが, 戦後の社会学において非制度的な社会学は存在したのか?パラダイムを有効たらしめる専門家集団のマージナルな外辺にいわば野生の社会学とでも言える知と実践の試みがあったといえよう。集団的なその端緒は1960年代から1970年代にかけての学園闘争に存在した。それまでの学生運動が自己措定を自明なものとしたのに対して, この運動はこの措定をかっこの中に入れることから出発した。アイデンティティポリティックスである。自己の中に批判の対象である様々な制度・人格を発見した「野生の社会学者」は自己を根底から支える認識の基礎である知覚のレベルまでその批判の矛先を向けた。ここから対抗文化への架橋が生まれた。ドラッグ, オリエンタリズムなどはこれらの構成要素であった。しかし, このような動きの原理的な再考はリベラルな社会学者というよりはオーソドックスな社会学者からなされた。青井和夫は既存の社会学しかも1970年代80年代の先端的な社会学の潮流を検討してそのいずれもが認識上の限界があり, 新たな意味づけの基礎を自らの身体の実践を通じた禅に求めた。この試みは画期的なものであった。意味の生じる根源に遡って絶えざる意味の湧出を探った青井の試みは特筆に値する。従来の東西の折衷的な融和・接合でないこうした試みは西欧の母斑をいまだ色濃く有している社会学のみならず, 社会学を基礎づけている哲学そのものの限界を探る貴重な探求であった。青井のこのような実践的な探求を継承する営為はこれまで余り見られなかった。本論考では青井の禅を基礎とする探求を多としながらも禅そのものに潜む限界を氣功の立場から乗り越えようとした。青井の試みは認識論的な領域に傾いており, 西欧的な世界存在を依然として承認しているように思われる。世界存在の層状的な構造がもし考えられるならば, 意味の発生する磁場そのものが再考されなければならない。氣功の実践的な探求を通じて西欧的な世界存在そのものの外あるいは底にある元氣の世界の存在を感得することが出来た。この世界は従来, まか不思議な世界として非合理的な・非理性的な世界として退けられてきたものである。新しい社会学はこの世界を再考することなく構築不可能である。
  • 山田 昌弘
    1996 年 47 巻 1 号 p. 106-107
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 橋本 健二
    1996 年 47 巻 1 号 p. 107-109
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 神谷 国弘
    1996 年 47 巻 1 号 p. 109-111
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 厚東 洋輔
    1996 年 47 巻 1 号 p. 111-113
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 宮原 浩二郎
    1996 年 47 巻 1 号 p. 113-114
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 若林 幹夫
    1996 年 47 巻 1 号 p. 115-116
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 鎌田 とし子
    1996 年 47 巻 1 号 p. 116-118
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 吉原 直樹
    1996 年 47 巻 1 号 p. 118-119
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 横山 実
    1996 年 47 巻 1 号 p. 120-121
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
  • 大谷 信介
    1996 年 47 巻 1 号 p. 121-123
    発行日: 1996/06/30
    公開日: 2009/10/13
    ジャーナル フリー
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