社会学評論
Online ISSN : 1884-2755
Print ISSN : 0021-5414
ISSN-L : 0021-5414
50 巻, 3 号
選択された号の論文の18件中1~18を表示しています
  • 社会理論的検討
    森 重雄
    1999 年 50 巻 3 号 p. 278-296
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    この小論では, ポスト構造主義的ないしはディコンストラクティヴな志向をもって〈人間〉を検討する。とはいえ, この小論は高階理論に属するものではなく, 〈人間〉の歴史性を検討するものである。
    この小論では, モダニティ概念に立脚しつつ, とりわけマルクス, デュルケーム, エリアス, アレント, 大塚久雄, ニスベットらの社会=歴史的および社会経済的社会理論をつうじて, 〈人間〉が現出する社会歴史的文脈を検討する。
    この社会学的検討において, 関心は西欧史上の「移行期」, すなわち農村マニュファクチュアが絶対主義的商業資本に対立し, 「ブルジョア革命」によって前者が後者にやがて打ち勝ってゆく過程に, 主として注がれる。
    〈人間〉はこの「移行期」をつうじて実定的かつ制度的に, 今世紀において確立する。この小論は, この過程をあとづけるための検討であり, 私たちが〈人間〉であることの自明性がもつ問題性を究明するものである。
    「議論はここからはじまってこそ社会学になる」という人びとが多くいるかもしれない。しかし冒頭にその意義と限界の表裏一体性を明らかにしたこの小論の範囲内では, 考察はここまでである。
    この小論の目的は〈人間〉, 「脱人格化」 (ルーマン 1965 = 1989 : 76) といわば再人格化のシジフォス的運動をくりかえす〈人格性システム〉 (ルーマン1965 = 1989 : 179) の原基たる〈人間〉, が誕生する環境設定を明らかにすることにあった。その答えを端的に示せば, 〈人間〉とはモダニティ, すなわち共同体解体をもたらした分業がアノミックに高進する〈社会〉という環境設定のうえにはじめて現象する社会的実定性であるということである。
    この「アノミー」と表裏一体の関係をなしながら成立したモダニティとしての〈人間〉は, はじめ骨相学において, あるいはロンブローゾの犯罪人類学において, 外面的な「名前」を与えられる。やがてこの〈人間〉はビネーからターマンに続くIQにおいて, あるいは「スピアマンのg」において, 今度は内面的な名前を与えられる (グールド 1981 = 1989) 。さらにこの内面は学歴や資格というラベルさらには適性検査や「SPI」によって, いやまして情報化的に掘削されてゆくばかりである。
    ところで, 近代化・現代化や開発と呼ばれるモダニティの世界的展開のなかで, こんにち私たちがたしかに〈人間〉となったことは, じつは一つの重大問題である。この〈人間〉の問題性は, たとえば慢性的なアイデンティティ不安という, モダニティがもたらした病に如実に示されていよう。この問題性は, 〈人間〉がそもそも掘削されるべき-フーコー流に言えば-「厚み」をもった実在などではなく, その反対に掘削されることによって「厚み」を重ねてゆく近現代の社会的実定性である点にある。
    社会学および社会理論の根底には, 私たちがこのように〈人間〉になってしまったこと, そしてそれをもたらした〈社会〉の問題性にたいする冷徹な感性がなければならない。
  • 発生論的理論構成の抜本的転換
    景井 充
    1999 年 50 巻 3 号 p. 297-312
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2010/01/29
    ジャーナル フリー
    デュルケム社会学理論において, 「結合」と「動的密度」が有する理論的意義と, その実質的な社会学的解明の水準との間には, 極めて顕著な不均衡がある。それらは一方で実に枢要な位置を占める。『社会分業論』で「動的密度」は, その直接の現象形態, 従って観察上の直接的指標として役立て得ると見なされた「物質的密度」と一体的に把握可能な現象と規定されるに過ぎなかった。だが, 『社会学的方法の規準』ではそうした未分化な段階を脱し, 「結合」=「道徳 (精神) 的凝集」の能産的動態という独自の規定を受けつつ「物質的密度」から分離され, 他の社会的諸現象に対する共時的な発生-変動的動因という地位に就けられる。だが他面で, 両概念が指示する具体的事象は, 上記二著以外の論著でも自然科学的類比 (錬成作用, 綜合等) による把握に終始し, 本格的な社会学的解明の試みは表面上皆無に等しい。そこで本稿は, その実質的な社会学的把握を内在的に目指す立場から, 類比的表現に現れる自然科学的発生論の構造と彼の選択的関心の帰結- “missing link” の出来-を整理し, さらにその全理論的結末を確認する。その上で, そうした帰結を招いた究極的原因が, 自然科学的発生論の起点に置かれた非経験的な操作的意識把握にあったことを示す。次いで, 全く異質な意識把握の発掘を契機に, 道徳社会学における発生論へと発生論的理論構成の内容を抜本的に転換し, 新たな理論的課題を提示する。
  • 保田 卓
    1999 年 50 巻 3 号 p. 313-329
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿は, これまでほとんどとりあげられなかったルーマンの高等教育論の全体像を, 散発的で数少ない著作から再構成する試みである。ルーマンによれば, 1960年代末以降のドイツの大学の民主化は, 大学の集団政治化と官僚制化を齎した。集団の挙動のみならず個人の行動をも各集団の利害によって統制する集団政治は一時, 大学を機能的脱-分化の方向に導いたが, やがて官僚制が, 一方で教育・研究の自律性, 他方で教育の相対的組織化容易性, さらに進学率の増大を梃子にして, 集団政治に反応し, これを圧倒するに至った。しかしそれで問題が解決したわけではない。大学システムが適応していかなければならない “環境問題” は, 進学率増大の他にも, 研究と教育の「威信の増幅」関係の崩壊・ライフコースの脱-制度化・相互作用における教養の利用価値の逓減, と山積している。そこでルーマンの提案する適応戦略は, 研究の「観察の観察」への機能分化, 教育における課程=システム分化である。かかる提案の背後にあるのは, ルーマン一流の機能分化史観である。こうしたルーマンの高等教育論の特質は, 大学における民主化が期せずして官僚制化を招来するという視点を示したこと, 研究と教育の機能分化にポジティヴな可能性を提示したことである。
  • 医療に取り込まれた母性批判イデオロギー
    柄本 三代子
    1999 年 50 巻 3 号 p. 330-345
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    現代において強力に統制が加えられる場となった身体を論じるとともに, 抵抗を試みる可能性をはらむ身体の議論への道筋をつける。'生々しい感覚や感情'に根ざす私的領域へ, 国家や医療という公権力が介入するためには, 匿名化された知による「健康の規準」という根拠が必要である。しかしこの介入は一方で, 抵抗の欲求を喚起するというパラドックスを孕む。われわれの現前性を確保する領域でもある身体についての議論は, 「何が当該の問題となっているか」と, 現状と切り結びながら進めることが肝要であり有効でもある。本論においては, 1965年に成立して以来すべての女性たちの身体を「母性」と定義づけ, 国家の管理下におくと同時に, 生涯にわたって医療の介入が必要であると方向づけた母子保健法に注目する。母子保健法は, 母性イデオロギーを批判する言説を巧妙に取り込むことにより, その中心的概念である「母性」のイデオロギーを強靭なものにしている。その言説とは, 〈何らかの母性の本質の自明視〉であり〈ミニマム母性の等閑視〉である。そしてこの強固な基盤を出発点として制度化されている限り, 〈発達するものとしての母性概念〉も〈置き換えによる母性概念の棄却〉も, もはや国家の管理と医療の介入を招くことに大いに活用される。この流れに絶大なる正当性を与えているのが, リスクとしての少子化の喧伝である。「少子化により低下した育児能力」ゆえの育児支援に, 医療は介入の能力を発揮する。
  • 明治中期における〈恋愛〉の発見
    小倉 敏彦
    1999 年 50 巻 3 号 p. 346-361
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本稿は, 明治・大正期の小説文学に頻出する「赤面する青年」という形象を焦点に, 明治中期における「恋愛」の受容と青年意識の変容について考察する試みである。文学作品の中に描写された, 女性を前にして赤面・狼狽する男たちの姿を, ここでは, 男女間の関係性および (恋愛対象としての) 女性像の変容に対応した, 変調の表象として読解していく。
    従来, 近代的恋愛の成立は, 近代的個人あるいは主観性の成立と相即的に論じられてきた。しかしながら, ここで読みとられた青年たちの逸脱的な様態は, 明治期における恋愛の発見と受容が, 主観性=主体性の成立の帰結というよりは, 一次的には, 新しい生活慣習と教養を身につけた女性たちとの対峙によって解発された, コミュニケーションと自己同一性の危機であったことを物語っているのである。
  • 家族における近代の位相
    品田 知美
    1999 年 50 巻 3 号 p. 362-374
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    家事は近代家族論において重要な概念である。近代化論がゆらぎつつある現在, 家事と家族との関係についてもあらたに理論的な見直しがせまられている。したがって本稿では, 日米2ヶ国の女性の家事時間を用いた計量分析を行い, 家族を比較するために有効な新しい視点を抽出することを目的としている。分析の結果, 両国の家事時間には, こどもの人数の影響が同程度に存在するという共通性がみられた。また, 差異については (1) 米国では夫, 日本では同居の親が家事分担者として主要な影響をもつこと, (2) 学歴や収入は米国でのみ影響を持つこと, (3) 就労時間は日本での影響が格段に強いこと, が確認された。この結果から考察すると, 近代家族の特徴とされている「こども中心主義」は両国に存在すると考えられる。だが, 基底的な特徴とされる「家内領域と公共領域の分離」は, 米国では確かに見いだされたが, 日本では理念上で家内/公共領域が明確になっておらず, 空間的な分離という実態が先行した可能性が示唆された。
  • 野辺 政雄
    1999 年 50 巻 3 号 p. 375-392
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は, 高齢男性と高齢女性が組織する社会的ネットワークの構造とソーシャル・サポートがどのように異なるかを究明することである。1995年と1997年に岡山市の高齢者の調査をおこなった。そのデータの中から「夫婦のみ」の世帯の高齢者を取り出して分析することによって, 次の5点を明らかにした。 (1) 高齢男性は高齢女性よりも社会的ネットワークの中に配偶者を含めていた。また, 高齢男性は高齢女性よりも多くの職場仲間関係を組織していたが, 逆に, 後者は前者よりも多くの近隣関係を組織していた。 (2) 社会的ネットワークの地理的分布は, 性別によって大きな違いはなかった。高齢男性と高齢女性は社会関係の大部分を近隣地域ないし岡山市内で取り結んでいた。 (3) 社会的ネットワークの規模は, 性別によって差はなかった。 (4) 高齢者にとって, 配偶者と親族がサポート源として圧倒的に重要であり, 近隣者, 友人, 職場仲間はサポートの提供でそれほど重要な役割を果たしていなかった。次に, 高齢男性は配偶者と職場仲間からサポートを入手できたが, 逆に, 高齢女性は親族と近隣者にサポートを求めやすかった。とくに, 配偶者に「入院時の世話」をしてもらえる割合で, 性別による差が非常に大きかった。 (5) 高齢女性は高齢男性よりも「心配事の相談」をいずれかの社会関係の人々に頼れた。他方, 高齢男性は高齢女性よりも「仕事上の話と相談」をいずれかの社会関係の人々にすることができた。
  • マニラへの移民送出の村 (広島県沼隈郡田島村) を事例に
    武田 尚子
    1999 年 50 巻 3 号 p. 393-408
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本稿はマニラへの漁業移民を送出した明治30年代の漁業部落を取り上げ, 部落内の社会構造が移民送出を継続する方向に再編成され, 地域のアイデンティティが形成されていく過程を明らかにする。従来分析されてきた漁業集落は定置漁業を営んでいる場合が多く, 村落内の機能組織を核として, 村落の再編成が進んだことが明らかにされている。しかし, この事例で分析した部落は沖合化の傾向を持っているため, そのような経過はたどらなかった。機能組織 (漁業組合) が形成されて間もないこの時期, 県レベルと村落レベルの機能組織には乖離がみられた。マニラへの移民送出は県レベルの機能組織の動きと関連していた。この部落のリーダーの保有するネットワークの性格が, 県レベルと村落レベルの機能組織の乖離を敏感にキャッチすることを可能にし, 移民送出の端緒を開くことにつながったのである。また, 村内の他部落と漁業におけるイニシアティブを争う動きもみられたが, これも漁業関係の機能組織の二元的な構成と関連している。機能組織の二元的な構成は国や県の施策の影響を受けたものであった。部落が歴史的に培ってきた漁業の伝統はこのような国や県の漁業方針と連動して独特の展開を遂げ, 地域社会を再編成するダイナミズムを生みだし, 個性的な地域社会が形成されていったのである。
  • 森 真一
    1999 年 50 巻 3 号 p. 409-411
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 佐藤 守弘
    1999 年 50 巻 3 号 p. 411-413
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 平岡 義和
    1999 年 50 巻 3 号 p. 414-415
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 山本 英治
    1999 年 50 巻 3 号 p. 415-417
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 蘭 信三
    1999 年 50 巻 3 号 p. 417-420
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 小川 全夫
    1999 年 50 巻 3 号 p. 420-422
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 園部 雅久
    1999 年 50 巻 3 号 p. 422-424
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 河口 和也
    1999 年 50 巻 3 号 p. 424-426
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 中西 祐子
    1999 年 50 巻 3 号 p. 426-428
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 牧里 毎治
    1999 年 50 巻 3 号 p. 428-429
    発行日: 1999/12/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
feedback
Top