1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震は, 人々がまったく予測していなかったなかで, 大都市を直撃した.防災の備えが不十分であったので, その分, 日常性のなかにあった都市社会の成り立ちが, 被害, 避難生活, 復興過程の諸事象を通じて赤裸々に表れていった.
ミクロからマクロに至る震災事象を解明しながら, まず, ベックの「リスク社会」の観点から見た阪神大震災の特質を考察する.家屋倒壊と死亡被害の甚大性と偏り, そして, それが神戸市による都市経営の推進と地域社会の階級的な分解によってもたらされたことを考察する.そこには行政主体のリスク認識の歪みと欠落があり, また, 住民のあいだにリスク認識の一般的欠落があった.
次に, 都市経営の問題性とボランティア団体の市民活動の発展に注目し, その意義を市民社会という概念の構成論を通じて解明する.「市民社会 (burgerliche Gesellschaft) 」=「都市」は, 近代において「ブルジョワ社会」へと転変し, 「国家」「資本主義経済」と「市民社会 (civil society) 」へと分離する.「市民社会 (civil society) 」を社会の「再帰的/自己内省的 (reflexive) 」な主体ととらえることによって, 被災地に発展している市民活動が志向する新しい市民社会の可能性に言及される.
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