社会学評論
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55 巻 , 3 号
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  • 立岩 真也, 西原 和久, 永田 えり子
    2004 年 55 巻 3 号 p. 168-171
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    本特集「差異/差別/起源/装置」は, 2003年日本社会学会大会 (中央大学) における同名のシンポジウム「差異/差別/起源/装置」をもとに企画されたものである.本シンポジウムは構築主義に対する下記のような, いわば「素朴な問い」に端を発する.
    「とくに社会学をする人は何かが社会的に構築されていることを言う.しかし, それはどんな行いなのか, よくわからないと思えることがある.まず, そこには多く, 批判の意味が明示的あるいは暗示的に含まれる.しかし社会的であることは, それ自体としてよいことでもわるいことでもないと言うしかないのではないか.そして脱することは, 与えられたものや作っていくこととどのように関わるのだろうか.そして, 性に関わる差別, 抑圧は何に由来するのだろうか.何がそれらを駆動しているのだろう」 (立岩真也「日本社会学会ニュース」179号 (2003年8月) より抜粋)
  • 竹村 和子
    2004 年 55 巻 3 号 p. 172-188
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本論は, 本質主義と構築主義の二項対立を脱構築し, 現在の性制度に政治的介入をする可能性を探ろうとしたものである.社会構築主義は社会を本質化する傾向があるという前提のもとに, 本質主義そのものを従来の捉え方から置換しようとする動きが最近見られることを, まず指摘する.次に, マルクス主義的な文学批評家のガヤトリ・スピヴァックと, 精神分析的な政治学者のドゥルシア・コーネルによる, リュス・イリガライ再読に焦点を当てる.脱構築的視点をもつ両者は, 本質主義的と言われてきたイリガライの著作の文学性に着目し, 生物学的身体に還元しない〈女性的なもの〉を示す修辞が, 政治的介入をもたらす変革的契機となると主張する.この性的差異の「再=形象化」は, ふたたび解剖学的還元主義に立ち戻るリスクを背負うものの, またコーネルによるスピヴァック批判はあるものの, 近年のグローバル化によってさらに巧妙に沈黙化させられている女の状況に迫ろうとする試みではある.しかし, 行為遂行性を主軸に性的差異の「脱=形象化」を試みる構築主義者と同様に, この立場は, 修辞的介入そのものが孕む現実的な暴力性を看過しがちである.結論として, 暴力が自己形成における欲望のシナリオのなかに所与のものとして刻まれ, またそれが外的な性配置のなかに相変わらず自然化されて投影される痕跡を分析することの必要性を強調している.
  • 樫村 愛子
    2004 年 55 巻 3 号 p. 189-208
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    グローバル資本主義が社会を脱領土化していく中で, 構築主義理論は, 科学やテクノロジーと結合している資本主義を加速するイデオロギーとなっている.というのも科学は現在構築主義的・自己組織的になっており, これまでは手つかずであった人間の生殖や遺伝子, 環境などを操作し始め影響を与え, その影響の効果を考慮しえないまま人間の生きられる条件を破壊しつつあるからである.構築主義理論は, 人間や社会の構築性を記述したが, 他方でこれまで維持されてきた人間の生きられる条件や構造が実際何であるのかは論じられず, それゆえ現在起こっている人間と社会の解体に対し, 必要とされる社会の再構築を考察できない.構築主義のこの困難は言語至上主義にあり, すでにできあがった言語の共時体系から出発しているため, 再構築可能性と関わる, 言語構造の生成や言語と主体の結合の条件を論じられない.理論的に見れば, 言語の内部からのみ記述するため「自己言及のパラドクス」という難点を抱え, これを脱パラドクス化している身体や主体等を論じられず, 言語化できない身体や主体を唯物化・本質主義化することとなる.バトラーは「唯名論化した精神分析理論」を流用して身体や主体を脱構築し言語化作用を論じたが, そこでも構造の生成は結局のところ論じえない.唯名論的ではない臨床現場から立ち上がった精神分析理論によって, 身体と言語の接合関係を, 自閉症者を参照しながらみていくと, 主体が他者への同化と他者との相互行為から生まれ, それが世界と自己の同一性を生み出し, それによって自律した言語構造が可能となっていることが示され, ここに再構築の理論的可能性があることがわかる.
  • 小泉 義之
    2004 年 55 巻 3 号 p. 209-222
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    健康と病気の社会構築主義は, 生物医学モデルを批判し, 社会モデルを採用した.そして, 健康と病気を生命現象ではなく社会現象と見なした.そのためもあって, 社会構築主義において批判と臨床は乖離することになった.そこで, 健康と病気の社会構築主義は心身モデルを採用した.心身モデルとゲノム医学モデルは連携して, 心理・社会・身体の細部に介入する生政治を開いてきた.
    これに対して, 生権力と生命力がダイレクトに関係する場面を, 別の仕方で政治化する道が探求されるべきである.
  • 天田 城介
    2004 年 55 巻 3 号 p. 223-243
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    本稿は, 構築主義に差し向けられたいくつかの批判を挺子にして, 構築主義が差別や抑圧を作り出している機制や表象に「抵抗」しようとし, 敢えて問いを封印/遮断しないとすれば, 《なぜ相対化するのか?》《なぜ認識の暴力性を批判するのか?》といった問いに対して, いかに応答することが可能であるのかを論考することを目的とする.
    結果として, 構築主義は「本質主義/反本質主義」という構図や「実在論/反実在論」といった構図では争うことが困難であること, 全体性に対する超越的視線の解除が困難であることを描出した上で, 構築主義が先の難問に応答するのであれば, 差別や抑圧を作り出し続けている機制や表象によって「人間の本質」が仮構されることで《偶有性》が纂奪/奪取されてしまうからであり, 《なぜ偶有性が纂奪/奪取されてはならないか?》と問われれば, それによって自己の《他者性》が抑圧されるからであると回答をするだろうと指摘をした.
    加えて, 私たちが《存在している》という事実は「呼びかけ」を通じた「アイデンティティの承認」によって作り出され続けているとすれば, 構築主義は「認識論主義」に陥るのではなく, むしろ《存在》によって《存在》自体を自己破壊する記述戦略こそを採用すべきであり, またその《現に・ともに存在している》という事実による応答可能性こそが, 自己の《他者性》が抑圧されてはならないことの根拠となるであろうと論考をした.しかしながら, 構築主義はこの《存在》を基盤にし, 超越的視線の解除を試みた上で, 「抵抗」の論理について語ることの意味についてはほとんど何も語り得ていない.ただし, このことは構築主義の困難ではなく, 社会学が根源的に抱えてきた難問なのである.
  • 中河 伸俊
    2004 年 55 巻 3 号 p. 244-259
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    社会的構築のメタファーが流布するとともに, その意味するところは多義化し, 探究の方法上の指針としてだけでなく, 批判のための一種の「イズム」として使われるようにもなっている.そうした「構築」系の “バベルの塔” 状況を整理するために, 本稿では, エンピリカル・リサーチャビリティ (経験的調査可能性) という補助線を引く.ただし, 近年では, 社会的いとなみを “エンピリカルに調べることができる” ということの意味自体が, 方法論的に問い返されている.そして従来のポジティヴィストと解釈学派の双方が批判の対象になっているが, その批判者の問にも, 調査研究の営為について, 認識論的 (そしてときには存在論的) に「折り返して」理解するアプローチと, (語用論的転回を経由した) 「折り返さないで」理解するアプローチの種差がみられる.2つの理解のコントラストは, 価値と事実の二分法の棄却問題への対応や, リフレクシヴィティという概念についての理解をみるとき鮮明になる.後者の, エスノメソドロジーに代表される「折り返さない」タイプの理解は, さまざまな領域で, エンピリカルな構築主義的探究のプログラムを組み立てるにあたって, 有効な指針を提供すると考えられる.応用や批判といった, 研究のアウトプットを「役に立てる」方途について考えるにあたっても, 思想的であるよりエンピリカルであることが重要である.そして, 活動と活動の接続として社会的いとなみを見る後者のタイプの理解は, 従来のものとは異なる, ローカルな秩序に即応した応用の試みを可能にするだろう.
  • 吉田 民人
    2004 年 55 巻 3 号 p. 260-280
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    17世紀の「大文字の科学革命」に発する正統的科学論は, 物理学をモデルにして「法則」以外の秩序原理を考えない.この「汎法則主義」に否定的または無関心な一部の人文社会科学も, 「秩序原理」なる発想の全否定を含めて, 明示的な代替提案をしていない.それに対して「大文字の第二次科学革命」とも「知の情報論的転回」とも名づけられた新科学論は, 自然の「秩序原理」が改変不能=違背不能=1種普遍的な物質層の「物理科学法則」にはじまり, 改変可能=違背不能=2種普遍的な生物層のゲノムほかの「シグナル記号で構成されたプログラム」をへて, 改変可能=違背可能=3種普遍的な人間層の規則ほかの「シンボル記号で構成されたプログラム」へ進化してきたと主張する.
    この新科学論の立場から人文社会科学の《構築主義》を共感的・批判的に検討すれば, 第1に, 《構築主義》の争点とされる本質と構築の非同位的な2項対立は, 物質層の「物理科学的生成」と生物層の「シグナル型構築」と人間層の「シンボル型構築」という秩序原理の3項的な同位対立として読み解かれる.第2に, 言語による構築を認知 (ときに加えて評価) 的なものに限定して指令的な構築を含まない《構築主義》を「認識論的構築主義」と批判し, 認知・評価・指令的な3モードの構築を統合する「存在論的構築主義」への拡張・展開を訴える.一言でいえば, 《構築主義》は人文社会科学における〈法則主義との訣別〉へと導く理論だという解釈である.
  • 北田 暁大
    2004 年 55 巻 3 号 p. 281-297
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    「過去 (歴史) は記述者が内在する〈現在〉の観点から構築されている」という歴史的構築主義のテーゼは, 公文書の検討を通じて歴史命題の真偽を探究し続けてきた実証史学に, 少なからぬインパクトを与えた.「オーラル・ヒストリーをどう位置づけるか」「過去の記憶をめぐる言説はことごとく政治的なものなのではないか」「記述者の位置取り (positioning) が記述内容に及ぼす影響はどのようなものか」といった, 近年のカルチュラル・スタディーズやポストコロニアリズム, フェミニズム等で焦点化されている問題系は, 構築主義的な歴史観と密接なかかわりを持っている.もはや構築主義的パースペクティヴなくして歴史を描き出すことは不可能といえるだろう.
    しかしだからといって, 私たちは「理論的に素朴な実証史学が, より洗練された言語哲学・認識論を持つ構築主義的歴史学にとってかわられた」と考えてはならない.社会学/社会哲学の領域において, 構築主義が登場するはるか以前に, きわめて高度な歴史方法論が提示されていたことを想起すべきである.以下では, WeberとPopperという2人の知の巨人の議論 (プレ構築主義) に照準しつつ, 「因果性」「合理性」といった構築主義的な歴史論のなかであまり取り上げられることのない-しかしきわめて重要な-概念のアクチュアリティを再確認し, 「構築主義以降」の歴史社会学の課題を指し示していくこととしたい.
  • 加藤 秀一
    2004 年 55 巻 3 号 p. 298-313
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    ロングフル・ライフ (wrongful life, 以下WL) 訴訟とは, 重篤な障害を負って生まれた当人が, 自分は生まれないほうが良かったのに, 医師が親に避妊あるいは中絶の決断をするための根拠となる情報を与えなかったために生まれてしまったとして, 自分の生きるに値しない生をもたらした医師に賠償責任を要求する訴訟である.そこでは自己の生そのものが損害とみなされる.
    しかしWL訴訟は論理的に無意味な要求である.なぜならそれは, すでに出生し存在している者が, 現実に自分が甘受している状態と自分が存在しなかった状態とを比較した上で, 後者のほうがより望ましいということを主張する発話行為であるが, 自分が存在しない状態を自分が経験することは不可能であり, したがってそのような比較を当事者視点から行なうことは遂行的矛盾をもたらすからである.
    それにもかかわらずWL訴訟の事例は増えつつあり, 原告勝訴の事例も出ている.それだけでなく, WL訴訟と同型の論理, すなわち存在者があたかも非在者であるかのように語る〈非在者の語り=騙り〉は, 裁判以外のさまざまな文化現象の中に見てとることができる.そのような〈騙り〉は, 死の概念を一面化し, 死者を生者の政治に利用することで, 新たな死を召喚する行為である.
  • 好井 裕明
    2004 年 55 巻 3 号 p. 314-330
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    差別を語るということ.これは差別することでもないし, 差別について語ることでもない.本稿では差別することの特徴としてカテゴリー化の暴力と被差別対象の “空洞化” を述べ, 差別について語る社会学の基本として〈受苦者〉の生に限りなく接近することの意義や問題性を論じる.そのうえで差別を語るということを, 自らの差別的経験を自分の言葉で語ることとして捉え, ある啓発講座での実際の語りからその営みを例証する.普段私たちは自らの差別的経験を語ることはない.その意味でこの営みは非日常的である.しかしこれは, 語る本人やその声に耳を傾ける他者が, 差別について抽象的一般的に考えるのでなく, 常に自らが生きる日常生活から遊離することなく等身大の世界で具体的に考えることができる営みなのである.そしてこの非日常的な営みを新たなトピックとすることで差別の社会学の可能性が広がってくる.〈受苦者〉の生, 〈被差別当事者〉の生を原点とすることは差別の社会学の基本である.そのことを認めたうえで〈かつて差別したわたし/差別する可能性があるわたし〉の生を原点とし, 〈わたし〉の普段の営みを見抜き, 自らの生へ限りなく接近することから差別を捉えなおすという営みが, さらに差別の社会学を豊穣なるものにすることを主張したい.
  • 立岩 真也
    2004 年 55 巻 3 号 p. 331-347
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
    社会学は「社会的であること」を様々な場に見出すことを行なってきた.しかしそれには幾つかの誤解と幾つかの限界がある.とくに規範的な含意がそこに見込まれるのだが, それは実際には存在しない.だがその弱点を補おうとして政治哲学等の規範理論を輸入しようとしても, それらにも同様の限界があって, そのまま借りてきても役に立たない.そこで, 別様の問いの立て方, 別様に考えていく道筋を示す.
  • 小林 大祐
    2004 年 55 巻 3 号 p. 348-366
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    階層帰属意識に関する議論において, これまでその規定要因はマクロ・レヴェルで均一と概ね想定されてきた.しかし, 自身の「何を」, 「誰と」比較するかは必ずしも均一とは限らない.これら双方の意味において, 地域という枠組みは興味深い対象である.そこで, 本稿では地域特性が人びとの階層認知に対してどのような影響を持つのかを検証するために, 市区町村別データと1995年のSSM調査のデータを組み合わせたものを用い, 仮説I「居住する地域の所得レヴェルと自身の所得とを比較している」, 仮説II「地域の諸特性が階層帰属意識の規定構造にも差異をもたらす」について計量分析を行った.
    その結果, 仮説Iに基づき地域を準拠集団とみなし, サンプルを地域の所得水準で分割した分析においては, 処理前に比べ所得の効果やモデルの説明力を極端に落とすグループがあるため, すべてのグループで所得の効果と説明力の上昇を想定する仮説Iは却下された.次に仮説IIに基づき, 地域の人口集中度でサンプルを分割し分析を行った結果, 「低」人口集中地域においては「世帯収入」の効果が低いことが示された.説明変数を追加した分析においてもこの傾向は変わらず, さらに「中」人口集中地域で「15歳時財産得点」, 「資産」が有意となった.これらの結果は都市的な空間であるかどうかという地域特性によって, 階層帰属意識の規定要因, そして意味内容が異なっていることを示すものである.
  • 小林 甫
    2004 年 55 巻 3 号 p. 367-373
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 桜井 厚
    2004 年 55 巻 3 号 p. 374-377
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 藤崎 宏子
    2004 年 55 巻 3 号 p. 378-380
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 立木 茂雄
    2004 年 55 巻 3 号 p. 380-381
    発行日: 2004/12/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
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