社会学評論
Online ISSN : 1884-2755
Print ISSN : 0021-5414
ISSN-L : 0021-5414
58 巻 , 3 号
選択された号の論文の16件中1~16を表示しています
論文
  • 大野 哲也
    2007 年 58 巻 3 号 p. 268-285
    発行日: 2007/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    現代日本社会において,「私は誰なのか」という問いを抱えて苦悩している人たちの存在が顕在化している.現代における最も尊重されるべき社会的価値の一つが「個人の自律性」であるからこそ,皮肉なことに,個々人は自己のアイデンティティを常に確認しなければならないという状況を生じさせているのである.たとえば現在,社会で流通している「自分探し」という言葉は,自己のアイデンティティをめぐって人々が葛藤している事態をよく表している.
    このような「自分らしさ」への渇望状況において,人々から着目されたのがバックパッキングだった.アイデンティティが他者と差異化することでもたらされるのならば,多様な文化を長期間にわたって経験する「放浪」は,アイデンティティの構築実践そのものだといえるだろう.そして実際,観光社会学のバックパッキング研究においては,旅におけるアイデンティティ刷新の可能性を肯定的に捉える主張が繰り返しなされてきた.
    しかしながらバックパッキングを取り巻く環境は大きく変化してきている.旅のマニュアル本の存在が証明しているように,旅がマス・ツーリズムと同様に,商品化されていく過程が確認できるのだ.そこで本稿ではアジアを旅する日本人バックパッカーを事例として,冒険的な旅だと表象されてきたバックパッキングが,どのように現代社会の中で再定位され,それがいかなる文化・社会的意義を有しているのかについて考察する.
  • 田村 謙典
    2007 年 58 巻 3 号 p. 286-304
    発行日: 2007/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    本研究では,「国語」における言語の地位の変化が,教育システムの自律を可能にしたことを論じている.1920年以前において言語は,社会的な秩序を内面へと否応なく押しつける存在として規定されていた.このような言語への規定により,言語を通した間主観的な了解形成への意識が希薄化し,結果として教員と生徒の相互行為への着目がなされなかった.しかし1920年以後,言語は「解釈すべき何か」として規定された.このような言語の規定は,言語を通した内面の理解が解釈としかなりえないことを意味し,内面の解釈が言語活動において求められることになった.結果,ミクロなレベルでは自己省察が,マクロなレベルでは教員と生徒の相互行為が〈発見〉され,前者は自己へのまなざしを内面化する自己準拠的な主体育成の制度化,後者は教育システムの自律を可能にする.これまで文学の分野を中心に,言語活動の実践形態から言語それ自体の位置価を説明し,言語活動の歴史性を描くことが試みられてきた.本稿はそれらの研究に棹差し,教育における言語の文化的・社会学的意義を論じるものである.
  • 三具 淳子
    2007 年 58 巻 3 号 p. 305-325
    発行日: 2007/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    第1子出産は女性の労働者としての地位を大きく変える分岐点である.「妻の就業」は本人の経済的自立の基盤であり,夫婦の平等志向を実現させる重要な要因であるとともに,夫婦の内と外のジェンダー・アレンジメントの結節点でもある.
    この点をふまえ,本稿は,第1子誕生を間近に控えた夫婦へのインタビューをもとに,出産後の妻の就業継続等の行動を決定する過程を分析した.その際,Komterによる3つの権力概念の適用を試みた.その結果,夫婦の個別的相互関係においては「顕在的権力」の作用は認められず,確認されたのは,マクロなレベルに規定要因をもつ「潜在的権力」と「目に見えない権力」の作用であった.
    「目に見えない権力」の背景には,ジェンダー・イデオロギーとともに合理主義的判断の優位性がみられ,こうした複合的な規定要因が補強しあって作用するため,妻の多くが不満をもたずに労働市場から「スムーズ」に退出していく態様がとらえられた.
    これらの分析結果は,Komterの権力概念の再考を迫るものとなった.1つ目は,「潜在的権力」が社会構造的レベルにも規定要因をもつという点,2つ目は,「目に見えない権力」はジェンダー・イデオロギーのみによって規定されているわけではく,複合的な要因を考慮する必要があるという点である.
  • 福島 智子
    2007 年 58 巻 3 号 p. 326-342
    発行日: 2007/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    現在,日本に1620万人の患者が存在するといわれる糖尿病は,初期であればほとんど自覚症状がないとされ,疾患が「放置」されたり,治療が「中断」されたりする状況が問題視されている.一方少数派ではあるが,自覚症状はなくても治療に同意し,治療を行う患者も存在する.筆者はそうした患者に注目し,実感としては健康であると自己認識しつつも,ほかのさまざまな社会的状況によって「患者」としてのアイデンティティを確立していくプロセスを明らかにしてきた.本稿では,身体の異常性を示す血糖値が,自己を知るインデクスとして,実際の治療行動のなかでどのような機能をもつかを,教育入院を経験している患者を対象としたインタビュー調査に基づき検討した.患者教育を経て獲得される,数値を自ら知り,自己管理に役立てていくという態度は,自律性をもった患者へのステップと考えられる.しかし,その評価が近代医学の知の一形態と考えられる「数値」に依拠している限り,患者が選択する治療法や治療目標がいかに主体的なものであっても,近代医学の枠組みを外れているわけではない.「数値」は治療動機が希薄な「リスクのある」患者を,医療専門家の領域に引き留める機能をもっていると考えられた.同時に,医療者を介在しない「数値」への直接的アクセスが,医療者との関わりが生みだす物理的/精神的負担を軽減する可能性があることが示唆された.
  • 矢原 隆行
    2007 年 58 巻 3 号 p. 343-356
    発行日: 2007/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    近年日本では,伝統的に女性的職業(pink-collar job)とみなされてきたいくつかの職業において,いまだ少数ながら男性の参入が着実に生じている.とりわけ,看護,介護,保育等のケア労働の領域で働く男性たちの姿は,それがさまざまな男性優位の職業領域に進出して活躍する女性たちの姿と対照して観察されるとき,今日の職業領域におけるジェンダー体制の変容を体現するものとして解されうる.しかし,これまでジェンダーに関する大量の成果を生み出している女性学のみならず,「男性性」に焦点をあてる男性学の領域においてさえ,そうした「男性ピンクカラー」に焦点を当てた社会学的研究はきわめて乏しい.本稿では,現代日本における男性ピンクカラーについて,とりわけ「ケア労働の男性化」という視座から観察を試みる.当事者を含む多数の語りから明らかなように,男性ピンクカラーは,ケア労働の領域における少数派であるがゆえ,時に「トークン」として位置づけられる.しかし,その位置づけは,男性が多数派であるような職業領域における少数派としての女性と単純な対称をなすものではない.そこに見出される捩れは,ケア/労働およびそれを取り巻く現代社会における普遍としての《男》というジェンダー秩序を映し込み,かつ映し返すものである.
海外動向
研究動向
書評
feedback
Top