社会学評論
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61 巻 , 1 号
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投稿論文
  • 林 雅秀, 天野 智将
    2010 年 61 巻 1 号 p. 2-18
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2012/03/01
    ジャーナル フリー
    日本では戦後造林された人工林が成長し,多くの森林資源が蓄積されているにもかかわらず,それが資源として利用されていないことに起因した森林管理問題が発生している.この問題の一因に素材生産部門の生産性の低さがあると考えられる.本研究では,最初に,戦後造林地である秋田県仙北市における6社の素材生産業者を対象とした調査に基づいて,素材生産業者の伐採契約の相手である森林所有者とのネットワークと森林管理問題との関連について検討した.つづいてネットワーク効果のメカニズムと,森林管理問題の解消にとって好ましいネットワークのあり方について考察した.
    調査から,伐採契約を結ぶ際に将来の継続的な契約を前提としないような弱い紐帯,それとも関連する,契約相手の森林所有者同士が互いに知り合いではないような開放的なネットワークを利用している素材生産業者は,そうでない業者と比較して高い生産性を達成することが可能であることが明らかになった.また,これらの結果と古くからの林業地を調査対象とした大倉(2006)との比較から,森林管理問題の解消にとって好ましいネットワークは,不確実性の所在と達成すべきパフォーマンスの種類によって異なるという示唆が得られた.
  • 稲津 秀樹
    2010 年 61 巻 1 号 p. 19-36
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2012/03/01
    ジャーナル フリー
    本稿では,非集住地域に居住する日系ペルー人の生活世界への参与観察に基づいた,彼・彼女らの「監視の経験」を取り上げ,そこに存在する権力の構成を示す視座を提供することを目的とするものである.これまで監視に関する彼らの言明は,精神医学的な知見から「妄想」とみなされてきた故に,移民と監視を巡る研究は国境管理政策の分析に終始していた.そこでは都市における監視社会化の流れも含めた,移民にとっての監視社会の展開を日常的な視点から捉えかえす視点に欠けていたと言える.従って本稿では,監視の経験=関係妄想とする主張をまず批判した上で,調査に基づく彼らの経験を,ガッサン・ハージが説く「空間の管理者」概念を援用しながら分析する方法を採った.空間の管理者とは,移民を空間的に管理する意識をもち,かつそうした態度を取る権利を有する者のことを指している.日系ペルー人への個々の聞き取りから浮かび上がるのは,過去/近い将来における空間の管理者との出会いを想起/予期する経験,更には,空間の管理者として振る舞う日本人との関係を築く過程で自らも管理者として他者と接する経験であった.そして,ある語りの中で,それらの経験が重層的にあらわれている点に着目し,日系ペルー人にとっての権力作動の要諦を,彼らの意識における空間の管理者が,時間/民族間を2つの意味で〈転移〉している点にあることを指摘した.
  • 小山 裕
    2010 年 61 巻 1 号 p. 37-51
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2012/03/01
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,ニクラス・ルーマンが『制度としての基本権』(1965年)において最初に提示した機能分化社会という秩序表象が立つ共時的・通時的連関の解明にある.共時的な観点からは,ルーマンの機能分化社会理論が,公共性や公的秩序といった概念を手がかりとした,ドイツ的国家概念の批判という,同時代のドイツ連邦共和国の理論家の幾人かに共通して見られる試みの一ヴァージョンであったことが示される.ルーマンの機能分化概念は,かかる国家概念を支える19世紀ドイツの社会構造と見なされていた国家と社会の二元主義へのオルタナティヴであった.通時的な観点からは,機能分化社会という秩序表象がカール・シュミットの全面国家との比較から分析される.ルーマンは,シュミットのいう社会の自己組織化を,社会全体の政治化による自由なき全面国家の成立と見なし,それを批判するために機能分化を維持するためのメカニズムを探求した.政治システムの限界づけを志向するという点で,初期ルーマンの機能分化社会理論は,19世紀の市民的自由主義の自由主義的な再解釈であったと特徴づけることができる.
  • 伊藤 智樹
    2010 年 61 巻 1 号 p. 52-68
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2012/03/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,パーキンソン病のセルフヘルプ・グループへのナラティヴ・アプローチの試みである.
    パーキンソン病の生き難さは,ふたつの層に分けて理解できる.ひとつは,振るえやすくみ足といった身体的な症状が,しばしば病いをもつ人に相互行為上の無能力を自覚させ,「恥ずべきこと」と感じさせる生き難さである.もうひとつは,「回復の物語」(A. Frank)が自分には適合しないことを前提にせざるをえないにもかかわらず,それに代わって頼りにできる物語が容易には得られない生き難さである.薬物療法と外科療法は身体症状をある程度コントロールする手段として発達してきているが,それらに過度の望みをかけることには弊害もある.したがって,人々にとっては,それらの療法を頼みとしつつも,一方では冷静に距離をとるための,いわばよりどころとなる物語が必要となる.
    セルフヘルプ・グループでのフィールドワークから,そうした情況を生きるためのものとして「リハビリ」の物語と,病いを笑う語りとをピックアップできる.これらは,ふたつの層の生き難さに対して,それぞれの仕方で緩和するようにはたらき,病いを生きるための貴重な資源となる.しかし,それと同時に,これらの物語/語りは,それぞれ見逃せない弱みを抱え込んでいるため,それらが「語られるべきである」というように倫理性を込めることには慎重になる必要がある.
研究動向
第8回日本社会学会奨励賞【著書の部】受賞者「自著を語る」
書評
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