社会学評論
Online ISSN : 1884-2755
Print ISSN : 0021-5414
ISSN-L : 0021-5414
最新号
選択された号の論文の17件中1~17を表示しています
投稿論文
  • 福本 良之
    2018 年 69 巻 1 号 p. 2-20
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/30
    ジャーナル フリー

    医療訴訟は, 原告にとって厳しい裁判である. ところが, インタビュー調査に協力した原告は, 勝訴しても裁判に満足していない. 共通する不満は, 被告である医師から直接謝罪がなかったという点である. 原告は, 医師が誤った診療を行い想定外の悪い結果を生じさせたのだから, 謝罪するのは当然と考えている. 法の素人である原告にとっては, 医師には真摯に治療する責任 (義務) があり, その責任を果たさずに悪い結果を生じさせたのだから, 謝罪するのも当然の責任 (義務) と理解していると推測できる. そうであれば, 原告の問おうとした責任が, 過失責任を超過しているのではないかと考えられる. そこで, 本稿では, 原告が医師に対して問おうとした責任について検討した.

    医師の債務は「最善を尽くし, 合理的な注意を払うこと」であり, 債務不履行 (民法第415条) が「過失責任」をベースとしていることを示した. インタビューから原告が医師に問おうとした責任が, 亡くなった子どもが個人として医師に大切にされず, 真摯に治療されなかったことによって, 誕生から死に至るまでの子どもの生活の過程を中断させた「過程責任」であることを示した.

    「過程責任」は, 医師にだけではなく, 原告自身にも向けられた諸刃の責任であった. 自らに向けた「過程責任」に対する贖罪の過程は, 同時に原告の生活の再生の過程でもあった.

  • 古田 和久
    2018 年 69 巻 1 号 p. 21-36
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/30
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は, 社会階層構造を吟味したうえで, 出身階層による進路選択の差異を分析し, 家族の保有資本量と構成による格差のメカニズムを探究することである. 2012年に実施された「高校生と母親調査, 2012」を用い, 家族の階層およびそれと高校生の進路希望との関係を分析した. 第1に, 出身家庭の資本構造を区別するため, 親の職業, 学歴, 世帯年収, 預貯金, 文化的所有財に潜在クラス分析を適用し, 5クラスのモデルを得た. それによれば, 家族の階層は経済資本と文化資本の量だけでなく, 資本構成によっても分化していた. 具体的には, 経済資本と文化資本の両方を豊富にもつ層ともたない層に加え, 一方の所有量は多いが他方は少ない2つの非対称な階層, および中間層の存在を確認した. 第2に, 出身階層による進路希望の格差は資本総量とともに, 資本構成によっても生じていた. 資本量が最も多い層と少ない層の間には進路希望の顕著な差異が観察されるのと同時に, 資本構成が非対称な2つの層を比較すれば, 経済資本よりも文化資本を多く所有する層において大学進学希望率が高かった. 第3に, 文化資本の効果は上層と中間層との間で確認された. 他方, 経済資本の効果が最も顕在化するのは, 文化資本の蓄積が少ない階層においてであった. これらの結果は, 多次元の社会階層構造を反映して, 各要因が組み合わされ教育機会の格差が複合的に生じていることを具体的に示すものである.

  • 山口 健一
    2018 年 69 巻 1 号 p. 37-55
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/30
    ジャーナル フリー

    これまで日本の多文化共生実践に対して, 差別や不平等, 抑圧を温存する現状肯定の隘路に陥る危険性が指摘されてきた. 本稿は, 多文化共生の様相を呈した在日朝鮮人の民族まつりである東九条マダンの包括的な特徴の検討を通じて, その隘路を回避した多文化共生のまつり実践の一戦略を考察する. 本事例の先行研究では, 民族・多文化共生・地域という多面的な特徴のつながりが明らかにされてこなかった.

    東九条マダンは, 1980年代に形成された在日朝鮮人の民衆文化運動に個人主義的な観点を加えた思想を, 多様な人びとが楽しむまつりの理念へと拡張し, 被差別地域という東九条の特性に合わせたまつり実践である. その内容は, 東九条地域に住む個々人や多様な民族や文化を有する個々人の「想い」の表現であり, それゆえそのまつりは民族・多文化共生・地域の特徴をすべて有している.

    本検討から浮かび上がるのは, 多文化共生のまつり実践における‹存在の政治›という戦略である. それは, 人間の普遍的価値を掲げた自己目的的な運動形態をとり, 「『存在の現れ』の政治」 (栗原2005) 実践を通じて「存在を表象」することにより, 地域社会に流布する支配的な言説や表象を解体し書き替えていく実践である.

  • 池田 直樹
    2018 年 69 巻 1 号 p. 56-71
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/30
    ジャーナル フリー

    本稿はP. L. バーガーの社会学論, とりわけ社会学のメタレベルにおける意義に関する彼の議論を取り上げ考察する. バーガーが社会学論を展開した1960年代以降のアメリカにおいては, ‹社会学と政治›の関係をめぐって盛んにこの種の社会学論が論じられていた. バーガーももちろんこういった状況を自覚しながらそれに取り組んでいた. だが同時に彼においては‹社会学と信仰›というもう1つの問題系列も存在した. 時系列的にはこちらの系列に‹社会学と政治›問題が重ねられてくる.

    これを踏まえて本稿ではバーガーの社会学論を‹社会学と信仰›, ‹社会学と政治›という2つの問題系列の交点において捉える. 本稿はバーガー自身の言葉を借りてこの問題を, 「科学と倫理の問題」として考える. それによって, 従来はともすればバーガーが保守化したのかどうかということのみが焦点化されてきた, 彼における‹社会学と政治›問題に異なる光を当てることができる. それはつまり彼の社会学を‹社会学・政治・宗教›というより包括的な問題連関において捉え直すということである.

    こうした問題設定によってわれわれは, バーガーの思想全体への概略的見通しを得ることができるだろう. さらに上記の枠組みにおいて彼を捉え直すことは, 意味概念をはじめとする彼の社会学説の再検討のためだけでなく, アメリカ社会学全体の思想的性格を問うための手がかりの1つとなるとも思われる.

  • 田中 裕
    2018 年 69 巻 1 号 p. 72-87
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/30
    ジャーナル フリー

    本稿は空間における抵抗の契機を考察することを目的とする. アンリ・ルフェーブルによって提出された不生産的消費という概念を出発点に, 空間の領有に向けた身体的実践のあり方を論じた. この概念はモノの生産や交換を目的とする生産的消費とは異なり, 断片化された空間を「生きられた経験」によって再編することを狙いとしている. また, 不生産的消費は使用価値に基づいており, 語りや聴取などの身体的行為として想定される. それゆえ不生産的消費は, 身体を媒介した対象の把握とその日常的実践として措定可能である. この行為のプロセスを明らかにするため, ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの「感性的知覚の界」を援用し考察を進めた. それにより, 私たちはその時々に応じて複数の感性的知覚を関連させることで対象を理解しているが, その対象は以前と異なる対象として立ち現れる可能性を潜在的に有していることが明確となった. ただし, このプロセスでは特定の理解を排除ないし無効化する権力的な秩序が背後で作動している. そこで, これらの感性的知覚を異なった2つの実践として捉え直し, 権力的秩序に基づく理解を受動的な「翻訳的実践」, 新たな理解の創出を能動的な「翻訳的実践」と位置づけた. ここから, 物理的空間としての場所を想像力に富む感性的知覚の1つとするならば, 翻訳的実践は空間領有の可能性を有するものとして考えられることが明らかになった.

  • 野島 那津子
    2018 年 69 巻 1 号 p. 88-106
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/30
    ジャーナル フリー

    A. W. フランクが理想型として提示する「探求の語り」は, 病いの「受容」と苦しみによって新たな何かが獲得されるという信念を語り手に要請する. この「成功した生」の道徳的な語りは, 病いを受け入れられない人の語りを, 失敗した生のそれとして貶める可能性がある. また, 道徳的行為主体に至る個人の努力が強調される一方で, 苦しみを受け入れ経験を語る過程における他者や社会経済的要因の考察が, 不十分または不在である. こうした問題を乗り越えるために本稿では, 病気を「受け入れていない」線維筋痛症患者の語りを通して, 「探求の語り」の成立要件としての病いの「受容」のあり方について検討し, 以下の知見を得た. (1) 病気を「受け入れる/受け入れない」ことの責任は, 周囲の人々と共同で担われ得る. (2) 「耳ざわりのいい」物語が流通する中で病人像が規範化され, そこから逸脱した病者の生き方/あり方が否定され得る. (3) 周囲の人間が病気を受け入れない場合, 病いの「受容」は個人化され得る. (4) 病いを受け入れていなくても, 病者は経験の分有に向けて語り得る. 以上の知見から本稿は, 他者との分有や共同を含めた病いの「受容」の多様なあり方を「探求の語り」に認めることを提起する. 「耳ざわりのいい」物語だけが聞かれる危険性に対しては, 個々の語りのさまざまな「探求」を聴き手が見出し, ヴァリエーション豊かな「探求の語り」が提示されねばならない.

  • 林 凌
    2018 年 69 巻 1 号 p. 107-124
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/30
    ジャーナル フリー

    1960年代日本においては, チェーンストアの急拡大という小売業界の構造変化が生じた. この時期ダイエーや西友などの小売企業は, 全国各地に相次いで店舗を立地した. その結果「安売り」を基盤とした大量販売体制が日本においても生起したのである.

    流通史研究はこうした小売業界の構造変化において, 商業コンサルタントとでも呼びうる職能集団が重大な役割を有していたことを指摘している. だがなぜ彼らは, それまで否定されていた様々な経営施策を肯定的な形で取り上げたのか. この点について, 既往研究は充分な説明を加えているとは言い難い.

    本稿では消費社会研究の知見を分析の手がかりとして, 当時「商業近代化運動」に取り組んでいた商業コンサルタントの「安売り」をめぐる言説に着目し, 以下のことを解明する. 第1に, 商業コンサルタントが「商業近代化運動」において「安売り」を肯定的に取り上げた際に, 「安売り」と「乱売」が「大量生産―大量消費」の枠組みから弁別されていたということを説明する. 第2に, こうした「安売り」という施策の重要性を訴える主張が, 当時の経営学の導入と密接に結びついていたということを説明する. そして第3に, こうした「安売り」をめぐる彼らの実践が「消費社会」の到来という予期を原動力にしており, そのため「消費者」への貢献という規範が, 「安売り」という具体的施策と結びつく形で当時強く示されていたことを明らかにする.

  • 鷹田 佳典
    2018 年 69 巻 1 号 p. 125-142
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/06/30
    ジャーナル フリー

    現在, さまざまな場面でボランティアが活動しているが, 行政や受け入れ機関の補助的下請け的存在として位置づけられることで, その強みや潜在力が十分に発揮されないという「下請け化問題」が指摘されている. 本稿が取り上げる病院ボランティアは, 行政の推進政策のもと, 増加傾向にあるが, その活動内容は依然として病院の下請け的仕事にとどまっているケースが多い. そうしたなかで, Y病院血液腫瘍科でZさんという女性が行っているボランティア活動は, そうした補助的下請け的仕事を超える拡がりをみせている. 本稿はその要因として, Zさんに対する病院スタッフの「認識」に着目する. 本稿ではまず, 病院ボランティア活動の拡がりを阻害する病院スタッフの3つの認識―「軽視認識」「脅威認識」「負担認識」―を確認する. 続いて, これら3つの認識と対照する形で, 血液腫瘍科のスタッフがZさんの活動に対してどのような認識を抱いているのかについて検討する. その結果, 血液腫瘍科のスタッフは, ①Zさんを代替困難な仕事の担い手とみなしていること, ②Zさんを協働して仕事を行うチームの一員や理解者とみなしていること, ③Zさんの活動は患児や家族の支援に寄与するものであり, その活動に協力することによる業務量の増加を負担とは認識していないことが明らかになった. 最後に本稿では, これらの知見がボランティアの下請け化問題について有する実践的含意について論じる.

書評
feedback
Top