芸能などの芸術産業に比して,労働集約性が高く熟練した制作人口を大規模に必要とするアニメ産業では,制作者の定着への志向がいかに維持されるかが課題となる.定着が維持されるためには,制作者が仕事を獲得し続けられる見通しをもてることが必要である.アニメ産業ではプロジェクトベースの契約が主流である制作者を,労務管理側が評価することが難しいため,制作者同士の相互評価が産業への定着志向を持ち続けるうえで重要になる.本稿ではアニメ産業の制作者同士の相互評価が機能しうる場としてのインフォーマルなコミュニティを支える構造的条件とその限界について,アニメーターへの2つのインタビュー調査に基づいて検討した.
近年の技術革新に伴い現場の管理側が若手中心になり,管理側からのアニメーターへの評価がさらに難しくなり,アニメーター同士の相互評価の重要性は増していた.ベテランはインフォーマルな相互評価を行っていることを語っていたが,若手は自らが適切に「評価されていない」という感覚をもっており,コミュニティの衰退が示唆されていた.このような差異を導く原因として,分業による評価の曖昧化と,放映期間の短期化によるコミュニケーション機会の減少があった.
産業への定着志向が維持されるためにはインフォーマルなコミュニティが必要である.本稿はそのコミュニティがどのように揺らいでいるかの構造的条件の解明の重要性を指摘した.
本稿の目的は日本の教育達成の性別格差の長期趨勢を検討することである.戦後日本の教育拡大は,男性に対しては大学進学の増加,女性に対しては短大進学の増加といったように男女で別々の形で生じた.1980 年代生まれ世代以降,女子の大学進学率が短大進学率を上回るようになり,これまでの研究では性別による教育達成の格差は消滅することが予測されていた.本稿では教育達成の性差にあらためて着目する.戦後世代の教育達成の性差がどのように変化してきたのかを定量的に検討し,性別による教育機関の制度的な棲み分けがなくなった今日においても,教育達成の性差がみられるのかを明らかにする.
分析からは,教育達成の性差は学校段階によって異なるものの,すべての進学段階において性差が減少していることが示された.中等後教育段階以前の性差は若年世代ではほぼ消失していたが,大学進学段階は出身階層や学力を統制した後もなお男性優位の状態であり,隠れたジェンダー・トラックや教育に対するライフコース上の価値の違いが示唆される.さらに,出身階層によって性差の大きさが異なり,有利な階層の家庭において男性優位の構造が大きいということも示された.性差の減少スピードも階層間で異ならず,性差そのものが減少する一方で階層効果は安定的であった.性別が教育達成格差に与える影響は階層と比べて小さくなり,男女の進学構造が類似したものになることが予測される.
1980 年代以降,欧米諸国において団体交渉制度の変化が賃金格差の拡大をもたらしたことが指摘されている.しかし日本のデータを使用した研究は少なく,労働組合が賃金格差の拡大トレンドとどのような関連をもっているのかは明らかにされていない.本稿ではRIF 回帰分析および要因分解法を1985 年と2015 年に実施された社会階層と社会移動全国調査(SSM 調査)に適用して,男性雇用者における労働組合の賃金効果を検討した.分析の結果,以下の2 点が明らかになった.第1 に,1985 年において労働組合は賃金分布の上位における賃金水準を引き下げることで賃金分布を平等化していたが,2015 年ではその効果がみられなかった.第2 に,1985 年から2015 年の間における組合組織率の低下は賃金格差を拡大させていた.一方,この30 年間の組合の賃金構造の変化は,分布の下位において賃金格差を縮小させていた.1985 年において,労働組合は分布の下位~中位の賃金を上げ,分布の上位の賃金を下げる効果をもっていた.これは,分布の下位においては格差を大きくし,分布の上位においては格差を小さくしていたことを意味する.しかし2015 年ではこれらの効果はみられなかった.この賃金構造の変化が,分布の下位における賃金格差の縮小に寄与した.ただし労働組合の賃金構造効果は頑強なものではなく,近年の賃金格差拡大に寄与したものは組合組織率の低下であることがわかった.
本稿はアクターネットワーク論および存在様態論を基盤とする非近代主義を援用し,徳川時代より大正時代に至る史料にみる日本聾唖教育言説の変遷の追跡を通して,明治時代における日本聾唖教育制度の欧米化という事象を相対化し,徳川時代と明治時代の間における日本聾唖教育言説の連続性を前景化し,日本聾唖教育史に新たな地平を築くことを眼目とした.具体的には,徳川時代の史料にみる唖ないし仕形(=手話)に関連する記述を分析し,唖の周囲に配置された唖教育に携わる人たち(=人間的要素)や庶民教化政策,手習塾,徒弟制度(=非人間的要素)が異種混淆的に関係性を構築し,唖が諸要素との関係性の下に実在化していく様相を明らかにした.また,仕形を唖の周囲に配置された人間的要素および非人間的要素の動態的関係性として把握し,聾文化論にみる「聞こえない身体」と「手話を使う身体」の不可分的関係性は,「聞こえない身体」と「手話を使う身体」の関係性が一時的に一義的関係性を伴う仲介項に変化し外在化(=純化)したものであることを明らかにした.さらに,徳川時代の日本社会において,唖や仕形をはじめとする諸要素の関係性が変化し続け,明治時代を経て現在の聾文化論が内包する諸問題にもつながっていることを明らかにし,非近代主義に則った日本聾唖教育史の再布置をはかった.
近年献血者数の減少が問題となっているものの,社会学における献血の研究は少ない.献血をめぐっては,「将来自身や家族も血液製剤を使用するかもしれないから」という献血動機が語られる場合がある.これは互酬性を予期する語りである.他方で,この語りの背景には採血事業者などへの信頼があると考えられる.本稿ではこうした信頼について確認したうえで,献血者がどのように互酬性を予期するのか,その内容を検討した.
調査の結果,献血者は採血事業者,血液事業,血液の特殊性,他者の行為への信頼を持つことがわかった.互酬性の予期については,事故や怪我,病気や手術,漠然としたものとして,自身や家族が血液製剤を使用する場合があると語られた.献血したことによる血液製剤の優先還元を期待する場合や,血液以外の「贈与」を受けるという語りも見られた.この中でも,事故や怪我という語りは頻繁に聞かれたものの,実際はそのような場合にはあまり血液製剤は使用されない.現在「健康」な青壮年の献血者にとって,病気の場合はリアリティがなく,事故や怪我の方がリアリティがあることがうかがえた.他方で,血液製剤の使い道について充分に知らないまま,献血をくり返す場合があることがわかった.その背景には,採血事業者や血液の特殊性への強い信頼が確認された.献血者を増やすには,互酬性の予期だけではなく,特に採血事業者への信頼を高めていくことが重要だということを指摘した.
筆者は発話困難な重度身体障がいの当事者である.自ら発話することはできないが「あ,か,さ,た,な話法」を用いて意思を伝え,介助者との協働作業で博士論文を執筆した.しかし論文執筆を進める過程で,これは自分の思考なのか,介助者の思考なのか,切り分けが困難である事実に気がついた.
本稿では,筆者の論文ミーティングの会話録を分析し,自己と他者のせめぎあいのなかで実践される論文執筆の実態を明らかにすることを目的とする.とりわけ自己と介助者の「思考主体の切り分け難さ」がどのようなコンテクストのなかで発生するのか,それがどのような帰結をもたらすのかを詳細に描き出すことを試みた.
調査の結果,筆者が要旨を伝え介助者が代筆するという執筆技法では,①疑問の発生,②議論による認識の共有,③主張の明確化,④主張の確定のステップがあり,すべてのステップにおいて「もの言う介助者」の役割が期待されていることが明らかとなった.
以上を踏まえ,筆者の論文執筆においては「もの言う介助者」に共有知識を与え,積極的に意見を出させたうえで,当事者はそれを取捨選択するという,従来の介助者手足論規範とは異なったあり方を見出すことができた.その一方,「本質的な能力の水増し」や「文章の思考主体の切り分け難さ」にかえって苛まれ,さらには思考主体の能力に普遍性があるのかという課題に向き合う「発話困難な重度身体障がい者」の実態が浮き彫りとなった.
本稿は,「ひきこもり」(および「ニート」)支援を掲げるNPO において,スタッフと地域のボランティア,支援の利用者たちが共在する空間が,どのように相互行為を通じて編成されているのかを分析する.分析の焦点は,調査対象たる支援組織の活動への参加に対する「入口」として位置づけられている,軽作業(自動車用ワイヤーハーネスの組み立て)の空間編成の実践である.分析を通じて,参加者,とりわけ利用者の共同作業への参加可能性が,どのような方法によってもたらされるのかを検討することが,本稿の目的である.
分析による知見は,以下の3 点である.1)作業の進行において,参加者はテーブルに積み上げられたハーネスの身分の区別(すでに集計された「束」/まだ集計されていない「山」)を,他の参加者に可視化する.2)製品の身分の可視化を通じて,参加者各自の作業の進行状況の区別(集計作業/組み立て作業)も周囲に可視化され,互いに重複しうる各自の作業空間の境界が管理される.以上1)と2)は,まずは製品の集計における間違いを避ける実践である.しかし3)作業の進行状況の可視性は,ひるがえって,他の参加者が共同で集計作業に従事することを可能にする仕掛けにもなっている.最後に分析の知見を踏まえ,複数の参加者が1 つのテーブルを囲む形式で作業が行われることが,利用者の支援空間への参加にあたってどのような意義を持ちうるのかを考察する.
失業保険の費用を労働者,雇用主,国のあいだでどのように分担するかは,福祉国家によって異なる.しかし従来の権力資源論,資本主義の多様性論,インサイダー・アウトサイダー理論は,各国の失業保険の費用分担構造の違いを体系的に説明しなかった.本稿の目的は,制度の経路依存性と長期的過程に着目して,失業保険の雇用主拠出にかんする新たな説明を提示することである.
本稿は,戦間期ヨーロッパ諸国の失業保険の比較歴史分析によって,失業保険のコスト分担パターンを決定したのは,20 世紀初頭に福祉プログラムがどのように構造化されたか(市民権ベース/職業ベース)と,どのような組織が失業保険を実施していたか(労組/他組織)という2 つの要因だったことを示す.職業ベースの福祉プログラムを採用した国のうち,フランスのように多元的な失業金庫制度をもっていた国は,その制度選択の結果として,戦間期においても労働者だけが保険料を負担する旧来の制度を維持したのに対し,ドイツのように労働組合のみが失業金庫を管理運営していた国は,第一次世界大戦後に,未組織労働者の無保険状態の解消のために失業保険を一般化し,雇用主にも保険料負担を求めた.
福祉国家の大部分は拠出金で賄われているため,その費用を誰が負担するのかという問いを考えることは重要である.本稿は失業保険という政策領域でこの問いに取り組み,今後の研究にいくつかの道を開くものである.