社会学評論
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日本社会学会会長講演
日本社会学会創立100周年記念国際シンポジウム講演
投稿論文
  • 長友 淳
    2025 年76 巻1 号 p. 29-45
    発行日: 2025年
    公開日: 2026/06/30
    ジャーナル フリー

    今日の観光の場やイメージは動態性に満ちており,SNSのオーディエンスによる観光地化など,観光社会学におけるホストとゲストをめぐる伝統的な二項対立が融解・交差する状況が生じている.その点を踏まえ,本稿は福岡県糸島地域の観光の変遷と観光イメージの変容について,フィールドワーク・文献調査・メディア分析を通して論じた.

    本稿は,糸島の観光の場とイメージの変容を「時間軸を伴う視点」から捉え,3つの時代区分から考察した.1990年代中期以前の糸島は生活空間としてみなされ,当時の旅行雑誌での掲載は皆無に等しい状況であった.1990年代末から2010年代前半には,食のブランド化やカキ養殖業の発展によって,糸島は福岡都市圏の日帰り観光やフードツーリズムの地として次第に観光の集合的まなざしの対象となった.当初,海岸やビーチ沿いのカフェの南国イメージは地域限定的なものであったが,2010年代中期以降,全国規模の旅行雑誌やSNSにおける主要イメージとなり,現地ではSNS映えスポットの増設など現実変容も生じている.この過程に関して本稿は,文化生産者とオーディエンスの境界が交錯するメディアや訪問者の実践によってデジタル空間上での集合的まなざしが形成された点,およびイメージ自体の行為主体性が場の意味変容や観光者の実践に作用している様相を示し,アーリやジェンキンズらの視点を援用しつつ考察した.

  • ―ジンメルの『貨幣の哲学』の視点からのフーコー,ドゥルーズの権力論―
    阪本 周平
    2025 年76 巻1 号 p. 46-62
    発行日: 2025年
    公開日: 2026/06/30
    ジャーナル フリー

    本稿は,ミシェル・フーコーおよびジル・ドゥルーズが指摘した権力形態の変化を,ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』の観点から論じるものである.フーコーが『監獄の誕生』で展開した規律・訓練による社会統制という権力論に対し,ドゥルーズは『記号と事件』で,それが20世紀初頭までのものであり,その後,衰退したとしている.その際,ドゥルーズは,規律・訓練と,管理の違いを示すのは金銭だとしていたが,ドゥルーズ自身,これを詳しくは説明していない.

    ジンメルは,個人の人格は生産活動に活用される要素とそれ以外とに分解され,人格のうち特定の要素のみで生産活動に関われるようになるため,個人はより自由になるとしていた.しかし本稿は,貨幣による人格の分解が諸個人を自由にする以上に,実際は,人格の個々の要素を活用する管理社会への移行をもたらしているという見方ができることを論じる.

    さらに本稿では,これが,ショシャナ・ズボフが『監視資本主義』で論じたシステム,すなわち,人びとの人格的要素を情報化し,企業がその消費行動の操作を通じて利益追求に活用するシステムに関連することを指摘する.今日の管理社会システムにおいては,ジンメルも想定していなかった貨幣の情報化,および消費における分化した個人の主観的欲望の管理という側面から,ジンメルが貨幣によってもたらされるとした人格的自由は,情報システムを通じて管理されるようになりつつあることを明らかにする.

  • ―トルコ・ナショナリスト,ズィヤ・ギョカルプのデュルケーム受容をめぐって―
    横井 敏秀
    2025 年76 巻1 号 p. 63-78
    発行日: 2025年
    公開日: 2026/06/30
    ジャーナル フリー

    デュルケーム社会学に学びつつ,その知見をイスラームの現状分析や革新に適用するという,特異な試みがかつてなされた.トルコ近代を代表するナショナリスト・社会学者,ズィヤ・ギョカルプ(1876-1924)の試みがそれである.本稿は彼のイスラーム論を解読し,その言説がデュルケーム受容史上いかなる意義を有するのかを検討する.

    まず近代社会への進化の動因を社会的分業に求めたギョカルプは,分業が宗教=イスラームに独自の公共的な機能領域の画定をもたらすと主張する.そして儀礼論を通じて,宗教に固有な社会的機能とは信仰によるネイションの統合・連帯であると説き,この見方をイスラームの伝統思想であるスーフィズムへと架橋した.

    ギョカルプはさらに,オスマン帝国における政治権力との癒着がイスラームの信仰と礼拝への機能的純化を妨げてきたとしてイスラームの革新を唱え,当時の政権に両者の分離を可能にする制度改革の提言を行った.

    ギョカルプのイスラーム論の意義は,①デュルケーム社会学とスーフィズムの融合というイスラーム圏ならではの試みを行ったこと,②社会分化に基づく世俗化論,機能主義的社会統合論,集合的沸騰論,市民宗教論等のアイディアをデュルケームから先駆的に探り当てたこと,③理論と実践のリンクを通じたイスラームの革新を目指したこと,等に見出せる.これら諸点は,デュルケーム受容史に新たな視野と知見を付け加えることになろう.

  • ―南アフリカ共和国の「自由の下に生まれた」世代の共生のかたち―
    坂口 真康
    2025 年76 巻1 号 p. 79-95
    発行日: 2025年
    公開日: 2026/06/30
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,制度としてのアパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後の南アフリカ共和国(以下,南ア)における「自由の下に生まれた」世代の認識を事例として,自他に付与される社会的カテゴリへの対峙の様相をもとに「共生」論を考察することである.その際,2014年に南ア西ケープ州の公立学校の12年生の学習者6名を対象に実施した半構造化面接法によるインタビュー調査のデータを分析する.分析の結果,本稿では主に次の点を提示する.第1に,「自由の下に生まれた」世代カテゴリに関しては,同世代として現代の南アを生きることに肯定的な認識を抱いている学習者がいる一方で,同カテゴリによりフラストレーションやプレッシャーを感じている学習者がいることを示す.第2に,「人種」カテゴリの観点から,複雑な認識の様相が浮かび上がってきたことを示す.例えば,「人種」により自他をカテゴリ化する認識もある一方で,「人種」でカテゴリ化せずに「人間」や「その他」とする認識もあることを示す.本稿の結論では,南アの「自由の下に生まれた」世代の特徴として,自身に利益をもたらしうる「カラード」も含めた自他に付与されるカテゴリに対する否定的認識が抱かれる側面があることを示す.その上で「社会的カテゴリの更新」としての「共生」の議論を深化させつつ,アパルトヘイトに根差す自他のカテゴリ化より「自由」であることを同世代の特徴的側面の一つとして示す.

第23 回日本社会学会奨励賞【著書の部】受賞者「自著を語る」
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