ドイツの建築家ブルーノ・タウト(Bruno Tauto, 1880-1938)は, 1933年11月より翌1934年3月まで, 乞われて我が国の工芸産業の指導機関である商工省工芸指導所の顧問(嘱託)を務めた。タウトは最初の出会いである1933年9月の工芸指導所研究試作品展覧会の視察に基づく提案書の提出を皮切りに, 赴任直後から離任直前まで, 工芸指導所に対して熱心に提案や助言を重ねた。タウトが工芸指導所に提出した文書10編が岩波書店に残る。それらは, Vorsch1age(提案)6編, Berichte(報告)3編, Antwort(返答)1編に整理できる。それらの中でタウトは, 輸出振興を課題として欧米物のスケッチ的模倣的図案に終始している工芸指導所に対し, 伝統と現代の統合, すなわち日本の古来からの伝統(感覚, 形式, 材料, 技術)と西欧の近代精神・技術・生活との結合から, 日本独自の現代産業工芸の典型としての質の高い規範原型を創出して, 国内の工房や工場を指導していくことが工芸指導所の責務であり, 真に日本的なものは世界に通じるとする立場を貫いた。
抄録全体を表示