デザイン学研究
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46 巻, 5 号
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
  • 林 品章
    原稿種別: 本文
    2000 年 46 巻 5 号 p. 1-10
    発行日: 2000/01/31
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    「台湾戦後視覚伝達デザイン運動」の研究は, 時期により二部に分けられる。前編は1945年から1970年まで, 後編は1970年以降である。本論文は台湾における第二次大戦後の「デザイン運動」と呼ばれる出来事を整理した上で, 関係する文献の探求や当事者のインタビューを通し, 台湾の視覚伝達デザイン史の基礎を作り出そうとするものである。内容としては, 「東方, 国華, 台湾広告会社」, 「中国美術設計協会」, 「黒白展」, 「デザイン人材養成計画」, 「デザイマン(設計人)とデザイナー(設計家)雑誌」などのデザイン事件が含まれている。研究の結果, これらデザインの出来事は工業デザインに関連する「デザイン人材養成計画」を除き, 全て視覚伝達デザインを主体としていることが明らかになった。また, 台湾戦後の早期のデザイン発展, あるいはデザイン教育において, 日本からの影響と日本, 米国の専門家からの協力が多くあったことが分った。
  • 井上 勝雄, 安斎 利典, 広川 美津雄
    原稿種別: 本文
    2000 年 46 巻 5 号 p. 11-16
    発行日: 2000/01/31
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    本研究前半で行った複雑系の方法論的な考察から見い出された3つの複雑系研究の方向性の中で, 製品デザインに関係が深いマーケットシェアが, その方向性の中のひとつであるフラクタル性が見られることに注目した。その視点から, マーケットシェアが完全なる自由な市場競争である場合は, その分布点はフラクタル性を示すベキ分布をするが, 市場の内部に阻害要因があると, そのベキ分布にバラツキが現れるという仮説を導いた。製品のマーケットシェアのフラクタル性の度合を示すベキ分布度指標を, マーケットシェアの各社の分布点と回帰方程式による最小二乗法と重回帰分布の決定係数の考え方を用いて提案した。そして, 26項目の製品のマーケットシェアの実例を通じて, 提案のベキ分布度指標が示唆する自由競争を阻害する要因の考察を行った。その結果, 製品開発において新しい視点の分析が可能になることが示された。
  • 工藤 芳彰, 宮内 [サトシ]
    原稿種別: 本文
    2000 年 46 巻 5 号 p. 17-24
    発行日: 2000/01/31
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    『ステューディオ』誌は, 1893年にロンドンで創刊され, ほどなくして世界的なデザイン情報の媒体となった芸術雑誌である。本研究は1890年代に同誌に掲載された日本特集記事において, 日本研究を目的に1892年に設立されたジャパン・ソサイエティが果たした役割を考察した。1890年代に同誌が掲載した日本特集記事22編のうち, 匿名記事を除く18編を9名が執筆しており, そのほとんどの8名がジャパン・ソサイエティに所属し, 運営や研究活動に取り組んでいた。なかでも, 編集長C・ホームは設立当初から評議員を務めるなど同協会の中心メンバーの一人であった。執筆者の例会での講演内容や図版資料などには, 日本特集記事との共通点が確認された。これらのことから, 編集長自ら参画した同協会のコネクションが, 日本特集記事のテーマや執筆者の特定に強く関与したことが窺える。つまり, 1890年代において, 同協会が同誌の日本特集記事掲載に主要なシンクタンクとしての役割を果たしていたといえる。
  • 谷 誉志雄
    原稿種別: 本文
    2000 年 46 巻 5 号 p. 25-34
    発行日: 2000/01/31
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    近代デザインは, 製品の品質やグッド・デザインなどのクオリティを追究することを標準的な規範としてもっている。そのような「近代デザインのクオリティ」とは異なるクオリティを探究しようとする形態論の方向があることを考察する。この報告で注目するのは, デヴィッド・パイとクリストファ・アレグザンダーの形態論である。これらの理論で探究されているクオリティを暫定的に表現すれば, おおまかに「工芸的クオリティ」と性格づけることができる。パイとアレグザンダーの形態論は, どちらも近代デザイン批判の姿勢をとっており, 近代デザインが喪失したクオリティの重大さを理論的に述べることが基本的なテーマのひとつとなっている。形態論の標準的な用語体系の分節を組み替えるという方法によって, クオリティを顕現できるカテゴリーを理論的視野の中心にもってこようとする試みがなされている。パイでは具体的なデザイン論と工芸論の見直しにとどまるが, アレグザンダーでは「クオリティの存在論」といえる, より大胆な転換が試みられている。
  • 管 靖子
    原稿種別: 本文
    2000 年 46 巻 5 号 p. 35-44
    発行日: 2000/01/31
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    本稿は1920年代に停滞気味であったイギリスのデザイン改革運動の問題点を分析し, いかにそれが解決へ向かったかをデザイン産業協会(DIA)の活動を通して検討することを目的とする。「デザイン」を冠した初の団体であるDIAの設立(1915年)にもかかわらず, 1920年代イギリスではデザインの理念が混乱していた。背景には, 大衆に対してモダンデザインの宣伝方法を誤っていたばかりでなく, その展覧会で工芸作品と産業デザイン作品を混同展示することでさらなる混乱を招いたというDIAの政策不備があった。ライプチヒ博覧会(1927年)での失敗からこれを学んだDIAは, 大衆のモダニズムに対する偏見の緩和政策, そして, 当時の社会のなかでデザイナーが産業界で占める地位の確立その他の問題にも目を向け, 海外の影響からモダニズムをより生活に密着した形で推進し始める。その成果は, 会員アンソニー・バートラムによる大衆のニーズに立脚したモダンデザインの解説書, 『デザイン』に確かな形となって現れた。
  • 安井 皓一
    原稿種別: 本文
    2000 年 46 巻 5 号 p. 45-50
    発行日: 2000/01/31
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    自動車デザインの現場において, CADプロセスが導入されて以来約20年となる。それ以来デザイン創作活動におけるデザイナーのあり方, モデラーのデザイン支援のあり方が大きく変化してきた。本論では, まず自動車デザインにおけるモデラーの歴史を振り返り, CAD導入以降のデザインプロセスから現在のCADデザインプロセスヘの移行を解説する。そして現在の自動車デザインが直面しているCADデザインプロセスにおけるモデラーにかかわる諸問題(時間と工数の問題, 品質の問題, コスト面の問題, マネージメント上の問題, CADモデラーの資質の問題)を論じ, それらの諸問題の対処法を考察し, さらに今後の提案として, CADデザインプロセス活用における自動車モデラーの課題と役割を論説する。
  • 安井 皓一
    原稿種別: 本文
    2000 年 46 巻 5 号 p. 51-58
    発行日: 2000/01/31
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    本報告は, 日本人工業デザイナーの立場から, 3年間の韓国生活を通じて見聞, 調査した韓国文化, 韓国現代デザインの現状を報告するものである。日本, 韓国, 両国の歴史的文化の関係や, 現代文化, デザイン面の相違について確認作業を行うことから, それらが風土の相違, 歴史の相違, 国民性の相違, 経済成長段階の相違に由来するものであることが分かった。これらの相違を前提に, 今後の日本, 韓国のデザイン活動が取り組むべき課題・方向について考察し, 二十一世紀の更なる国際化の中で, 日本, 韓国のおかれているアジアでの立場の認識と, 「個性を尊重し協調して築いてゆく時代」と言う相互文化理解をベースとした, デザインを中心とした両国間のパートナーシップ確立の必要性を主張した。
  • 黄 淑芬, 陳 其南, 翁 除得, 宮崎 清
    原稿種別: 本文
    2000 年 46 巻 5 号 p. 59-68
    発行日: 2000/01/31
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    本論文は, 台湾・大渓の清時代後期における木工芸の生成と展開に関し, 先行研究の分析, ならびに, 現存する木工芸品産業従事者からの聞き取り調査, オリジナル資料の採集・分析などに基づいて, 考察したものである。その結果, 次の知見を得た。(1)清時代後期に大渓で木工芸品産業が定立した背景には, 水利の利便性, 流木を中心とする木材の供給性, 寺廟・豪邸建設という社会的要請などの条件があった。(2)先行研究では明らかにされていないが, 今日の大渓における木工芸品産業の基礎を築いた主要人物は, 大陸から渡ってきた陳朝枝を核とする, 7名の木工芸技術者たちであった。その7名の仲間は, 社会的要請に応えつつ, 地元内外から新しい技術者を糾合しながら, 形成された。(3)大漢渓の水運を支えた船大工たちが, 水運の衰微につれて, 木工芸品産業従事者たちの仲間に糾合されていった。
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