今井(後に笹川)和子は,1930年代にヨーロッパへ留学した後,自由学園工芸研究所で中心的な役割を果たし,海外の国際展覧会に作品を出品した。本稿では,ヨーロッパのモダニズム的デザイン教育を体験した今井の工芸活動を,両大戦間期の日本における工芸産業,ジェンダー,そしてナショナリズムという三方向と関連させて論じる。フェミニズム思想に端を発した自由学園での工芸活動の基幹となった工芸研究所の設立過程,今井の留学先(プラハ国立工芸学校,イッテンシューレ,ライマンシューレ)での知見の広がり,帰国後の工芸研究所における指導者的役割を検証し,こうした今井の活動が当時の社会情勢のなかで徐々に日本の国家主義的な輸出工芸振興の思惑と絡んでいく過程を明らかにする。国策としてのモダンな工芸産業の奨励は,西洋で再びジャポニスムを興そうとすることでもあり,いわば「モダン・ジャポニスム」の戦略であった。今井の工芸のモダニティは,こうした国家の表象に寄与するものであった。
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