新潟県佐渡市旧下横山村では1931(昭和6)年から1935(昭和10)年の耕地整理まで、同市旧上横山村では1969(昭和44)年から1971(昭和46)年の圃場整備まで番水株売買の慣行が存続した。ここでの番水株とは、渇水時の輪番灌漑における取水順位が権利化したもので、土地所有権から分離し属人的に取引されていた点に特徴がある(番水株の属人性)。本稿は、この「水」の権利の分離と取引が、どのような要因のもとに可能であったのかを、下横山における先行研究を踏まえた上で、上横山を事例に、新たに見つかった史料や古老の聞き取りなどから考察する。
本論では結論として七つの要因を挙げたが、その中でも特に地理的条件による要水量の格差、番水株の内容としての自由支配性、散居村制からくる緩やかな水利共同制と属人的支配の傾向、ほどほどの水の稀少性大地主の不存在や独立平等の気風などが指摘される。
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