イギリスでは20世紀末に至るまで公的保育の供給が著しく限定的であった。本稿は、その「保育の隘路」が生じた形成期に遡り、保育の発展を阻んだ社会的・文化的背景を明らかにする。従来の研究は、自由主義国家特有の家庭への介入忌避や幼児教育と保育の制度的分離にその要因を求めてきたが、これらはイギリス固有の現象とはいえない。
本稿では、主要史料として、工業化の進展に伴い必要とされた「乳幼児の預け先」をめぐり、乳母の登録・査察を進めようとした1872年乳幼児生命保護法(The Infant Life Protection Act)の審議過程を分析する。北部産業都市における労働者階級の自助意識と相互扶助的な託児慣行がミドルクラスの自由主義的価値観と結びつき、国家介入への抵抗を生じさせた。20世紀初頭、帝国の危機を背景に、「国民の子ども」としてその身体や健康がますます注視されたが、子どもを産み育てる母性の保護が強調される中で、保育への公的支援はいっそう周縁化されたのであった。
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