本稿は19世紀初頭の東アジアで活躍した英国商人Country Traderの帳簿のデータの検討を行う。前稿で1799年から1814年までの帳簿とそのデータの変化を検討した。本稿は 1815年から1825年までの間の変化の鍵となる1819-20年のLedger, Journal, Cash Bookの構造と, この間の帳簿の変化と盛り込まれたデータの変化さらに経営の変化を明らかにした。本商会では初期にはLedgerのみが残されている。1819年頃までにLedger, Journal, Cash Bookの3帳簿制となり役割が分割された。1799年から1825年にかけて総資本は4.5 倍に増加,出資額は18万ドルから50万4千ドルへ増加する。この期間の平均の出資金利益率は18%程,自己資本比率は2割程で, 総資本利益率は4%程である。収入は当初Interests,Commissions,Factoryが中心であった。すでに1812-13年期にはFactoryを売却し,Raw Silkの取引やOpium取引が主な収入となっていた。これは商会のビジネスが仲介あるいは取引相手に資金を貸出して金利を稼ぐビジネスを基本にしているが,自分でリスクをとって商品を購入販売するビジネスを取り入れたためである。ただ1825年まで棚卸資産の金額はそれほど大きくないので,手数料ビジネスや資金を貸付けるビジネスを基本にしていたと推察する。
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