潮岬沖合で,黒潮強涜帯の北側に西向きの洗れが観測されることがある。黒潮の小蛇行に伴って発生する渦に起因すると考えられる事例が少なくないが,黒潮の小蛇行とは関係なく潮岬に接近した黒潮と陸岸の聞に,狭い西向流が観測されることもある。狭い西向流の流速値は100 cm s-1に達する。この涜れは串本・浦神の聞に生じた数cmの水位差によって代表される潮岬東西の海面水位差で励起されたものと考えられ,この涜れの継続時間は数日程度である。三重大学練習船「勢水丸」と和歌山水試の漁業調査船「きのくに」によって,2005年8月に,この特異な洗れの典型的な例の発生から消滅までの経緯を観測することができたので、その結果を報告する。串本・浦神間の水位差の変動は,黒潮の大蛇行をモニターするのに用いられるが,ここで論じた短周期の現象の変動にも良く対応していることは注目される。また,黒潮小蛇行の潮岬沖通過にともなって発生した幅の広い西向流についても,1998年6月の事例を中心に解析した結果を報告する。
1975年4月から2005年3月までの30年間の浅海定線調査データをもとに,有明海における透明度の長期的上昇傾向を明らかにするとともに,透明度上昇と塩分変動や近年の赤潮発生状況との関連について解析した。透明度年平均値の有意な上昇は,湾奥西部の佐賀県沿岸から諌早湾湾口部に至る海域と、島原沿岸を除く湾中央部及び有明海湾口部で確認され,特に透明度上昇が顕著であった湾奥西部及び湾央東部海域では,近年赤潮が頻発している。季節別に見ると,湾央東部及び有明海湾口部の透明度上昇は周年にわたり認められたのに対し,湾奥西部の透明度上昇は,河川流量が少なく鉛直混合が進行する10~3月の平均値では顕著であったが,河川流量が多く成層が発達する4~9月の平均値では確認されなかった。10~3月の有明海湾奥西部海域における透明度の上昇は,潮流速の低下などに伴い,浮泥の巻き上がりが減少し,海域のss濃度が低下したことが主な原因であると推察された。4~9月の有明海湾奥部及び湾央東部の熊本県沿岸域における透明度変動は,河川水の影響が大きいことが推察された。また,10~3月の有明潟湾奥部では,透明度上昇に伴う植物プランクトンの光制限の緩和が,近年の赤潮頻発の一因となっていることが示唆された。
四万十川が土佐湾西部海域の基礎生産に及ぼす影響を明らかにするため,2005年の1-12月に四万十川からの栄養塩供給量と土佐湾及びその周辺海域表層の栄養塩,クロロフィルaの季節変化を調べた。四万十川下流部における栄養塩の年平均のN:P:Si比は160:1:1820となり,珪藻類の元素組成に比べてSi> N > Pの特徴を示した。沿岸海域の栄養塩とクロロフィルaの季節変動は概ね循環期(11-4月)に増大し,成層期(5-10月)に減少する傾向が見られた。成層期の海域のN:P:Si比は珪藻類の元素組成比に対して窒素が少なかったことから,それが制限因子と考えられた。その中で四万十川河口に近い観測点では成層期も栄養塩が相対的に豊富に存在し,クロロフィルaの低下は見られなかった。この観測点のケイ酸塩や硝酸塩+亜硝酸塩の変動は四万十川からのそれらの供給量の変動に対応してお り,成層期では四万十川からの栄養塩供給によって基礎生産が維持されると考えられた。
2006年夏季の有明海では過去最大規模の貧酸素水塊が形成された。貧酸素化(DO<3mg L-1)は7月初旬に始まり, 台風10号が通過した8月中旬まで継続した。もっとも発達した8月上旬には, 貧酸素水塊は大牟田一竹崎島以北の有明海奥部全域に広がった。1972年以来の浅海定線調査データと比較すると, 2006年夏の底層溶存酸素は大潮期としては過去最低レベルであった。これは, 7月の降水量が例年に比べて多く大規模な出水が繰り返し生じた結果, 強い塩分成層が長期間維持されたことが直接の原因である。しかし, 同程度の出水があり, やはり強い塩分成層が存在した1980年と比較すると, 2006年の方が貧酸素化が激しかった。これは底泥の有機物含有量の増加により有明海奥部が貧酸素化しやすい環境に変化してきたためと考えられる。