「日本の薬学の父」と呼ばれている長井長義は江戸時代後期に,長崎に遊学して,当時の日本にとって未知の分野である「化学」と出会った。生涯に化学教育をさまざまな場面で広めたが,その一つは製薬産業であった。製薬に初めて取り組んだ業者は化学の理論よりも実務・実用を必要としていた。長井は製薬の製造現場で直接指導を行い,医薬品産業の発展に功績を残したが,生まれ故郷の伝統産業の近代化にもつとめ,地域の経済発展に貢献した。本章では長井の産業への貢献に焦点を当てたい。
日本化学会の化学遺産認定制度が12年目を迎えた。昨年度までの54件の中に高峰譲吉関係が2件あった。化学遺産のホームページなどを参考にして,化学起業家 高峰譲吉のスケールの大きな夢の話をしたい。果たして夢は叶ったのか? 化学遺産は日本や日本人の化学史・化学産業史の教材としても有用なのでお薦めする。
新型コロナウイルスが席巻する現在,北里柴三郎の営為は益々再評価される機運にある。また,北里と言えば第1回ノーベル賞候補,ペスト菌真贋論争,脚気論争,伝染病研究所移管騒動などエピソードに事欠かない人物でもあるが,それらを精査する時期にも来ている。そこで最新の科学史研究の成果を基に北里の上記エピソードの現在の状況を確認すると共に北里研究所・北里柴三郎記念室や東京大学医科学研究所・近代医科学記念館など白金周辺の探索の成果も併せて紹介したい。
1910(明治43)年にビタミンを実質的に世界で初めて発見した鈴木梅太郎(1874~1943)は,私たち化学出身のものにとっては「化学者」と思えるが,根本には農学があり,そこを出発点として幅広く食糧の栄養問題を化学的に追求し,日本人の栄養・体格改善を目指し,合成化学的なアプローチもした「農芸化学者」であった。
セメントは自然災害などから生命・財産を守り,快適な生活を実現するための住宅や社会インフラを作る建設材料として使用されている。我が国のセメント産業は,製造プロセスの特徴を活かして産業廃棄物・副産物を再利用しながらセメントを製造しており,資源循環型社会の構築に貢献している。
国内で年間4,000万トン製造されるポルトランドセメントは,石灰岩を主原料として,ケイ石や粘土を混ぜて焼成し粉砕したもので,水との水和反応により発熱反応とともに硬化し強度発現する建設系結合材料である。一方,コンクリートは,セメントと水に加え,骨材や混和材,化学混和剤を混ぜ合わせた最も使用量の多い建設材料である。最近では,循環型社会,環境負荷低減社会といった社会要求の下,セメント原料にもコンクリート材料にもフライアッシュやスラグといった産業副産物が使用されるとともに,高層建築をはじめとする多様な建造物のニーズに合わせた高度な製造施工方法の確立など,セメントとコンクリートの技術は進化を続けている。
建設業からの産業廃棄物に占めるコンクリート塊(廃材)の割合は高く,リサイクルが望まれている。建設リサイクル法の制定により,今はリサイクル率99%となっている。これらは道路用路盤材やコンクリートの骨材などとして利用されているが,化学の目でみたコンクリート廃材から骨材およびセメントペーストをリサイクルするための方法について紹介する。