科学基礎論研究
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22 巻, 2 号
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  • 中野 伸二
    1995 年 22 巻 2 号 p. 57-62
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    ライプニッツの「可能性」概念には少なくとも2つの意味(1)を見出すことができる。そして, この2つの意味の差異は, とりわけ形而上学的著作と論理学的著作の間で顕在化してくるように思われる。それら2つの意味については, ライプニッツが, 混乱して使用したのだという解釈も見られるが, ライプニッツ自身は次のように述べている。「個体的なもの, もしくは偶然的真理の可能性は, それらの概念の中に, それらの原因の可能性, 即ち神の自由決定の可能性を含んでいるからである。この点で, それらのものの可能性は, 種や永久真理のような『神の意志を仮定しないで, 専ら神の悟性に依存しているもの』の可能性とは異なっている」(G. II. 51. アルノー宛書簡)。ここからも明らかなように, 彼は, その2つの可能性概念の差異について, 十分に意識していた。そして, このことは論理学的著作の中でも次のように言及されている。「現実に存在するものは, 存在するもの即ち可能なものであって, その上に何ものかである。しかし, すべてを考慮しても, 現実存在するものにおいて, 存在のある度合以外の何が考えられるか私には分からない。…しかし私は, 『あるものが現実に存在すること』が可能であるということ, 即ち, 可能的現実存在をいおうとは思わない。これは本質自体にほかならないからである。…従って私は, 現実存在するものは, 最も多くのものと両立する存在, 即ち最大に可能な存在であると考える」(C. 376. “Generales Inquisitiones de Analysi Notionum et Veritatum”.以下『一般的研究』と略す.§73).
    従って, これらの可能性概念は, それぞれの分野で異なった意味で用いられているばかりでなく, 後により詳細に検討するように, 非常に重要な哲学的役割を担わされていると考えられる。そこで, ここでは, こうした可能性概念の二重性の背後に彼がどのような問題意識を抱いていたのか, あるいはまた, このような二重性を認めることにどのような哲学的な意図が込められていたのかについて考えてみたいと思う。そのためにまず, 可能性という概念がそれぞれの分野でどの様な意味で用いられていたのかを見てみよう。
  • 大川 修司
    1995 年 22 巻 2 号 p. 63-69
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    ダーウィンの進化論が生物学で確固たる地位を築いた後, 進化論は生物学以外の分野においてもその思想は多大な影響を及ぼしており, 同時に進化論という言葉が多義的に用いられるようになってきている。特に優生学に代表されるような進化思想と社会をめぐる研究は数多く報告されている。その一方で, 生物学以外の自然科学分野における進化論の影響についてはあまり語られていない。
    本稿は, 進化生物学者であるエルンスト・メイヤーと, 物理学的な背景をもち進化論からの影響を受け独自の科学思想を発展させたカール・ポパーの進化論解釈を比較することにより, その多義性を明らかにしようとするものである。特に, ダーウィンの進化論が問題提起したとされる人間中心主義思想に対して両者は全く異なる立場をとっている点を議論の中心的なテーマとする。
  • 中島 敏幸
    1995 年 22 巻 2 号 p. 71-77
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 古田 智久
    1995 年 22 巻 2 号 p. 79-85
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2010/05/26
    ジャーナル フリー
    ホーリズムというタームにより直ちに連想されるのは, いわゆるデュエム=クワインテーゼであろう。このテーゼが科学理論 (物理理論) の構成というダイナミックな認識論的プロセスを射程としていることは明らかである。ところが, クワインは, このテーゼを言語理解という心理的なプロセスにも適用しようとする。それに対して, デイヴィドスンは, 言語理解のプロセスを考察する際にまったく異なるタイプのホーリズムが当の考察に対する制約となることを指摘している(1)。
    本論文のねらいは, それぞれのホーリズムの特性記述を行うことを通して, 科学理論の構成と言語理解とが方法論的に異なる営みであることを確認することである。デイヴィドスンの見解が正しいとすると, 根源的翻訳という思考実験を想定するに際してクワインが定位した見通しが適切であったとは言えないことになる(2)が, 一方では, 〈翻訳の不確定性と理論の決定不全性とは質的に異なる〉という, いくぶん旗色の悪い(3)クワインの主張が方法論的な観点から見た場合擁護されうるものであることが示唆される。
  • 人格の同一性の基準について
    弓削 隆一
    1995 年 22 巻 2 号 p. 87-92
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 中川 維子
    1995 年 22 巻 2 号 p. 93-98
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    本稿は, 人の行為を説明するものとしてしばしば使用される「心的表示」 (mental representation) という概念をめぐる考察である。この概念, およびそれを使用した理論は, 企図に反して従来の「信念」や「欲求」による常識的な説明法-所謂「民間心理学」-を擁護し得ないものの, 常識的な説明法はそのような仕方で救済される必要はないというのが結論となる。
  • 「超越論的論理学」の観点から
    飯野 由美子
    1995 年 22 巻 2 号 p. 99-104
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 心の科学の論理地図, '94
    西川 泰夫
    1995 年 22 巻 2 号 p. 105-110
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 中才 敏郎, 野家 啓一, 藤村 龍雄
    1995 年 22 巻 2 号 p. 111-114
    発行日: 1995/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
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