科学基礎論研究
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18 巻, 2 号
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  • 岡田 光弘
    1987 年 18 巻 2 号 p. 59-65
    発行日: 1987/03/25
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
    論理記号の意味を論理記号導入規則と呼ばれる推論規則に基づいて与えて論理的意味論を展開する研究が論理学者達によっていろいろな観点からなされてきた。例えばGentzen ([4] II.§5) による説明はその最初のものであろう。Dummett, PrawitzおよびMartin-Löf等による最近の一連の論理的意味論の運動もこのような流れの上にある。また, LorenzenおよびLorenzの学派によるoperational logicおよびdialogical logicもこのような意味論の変形と考えられる。Gentzenはまた, そのような意味論を彼の与えた数論の整合性証明の哲学的意義の説明に際して展開した。Dummettの意図はそのような意味論に基づいて直観主義推論の哲学的基礎付けを行うことにあった 。これらの哲学的立場の共通する特徴はFrege-Russellのパラドックスの出現以来生じてきた論理学, 数学基礎論における哲学論争を哲学的意味論の論争として捉え直すという前提に立っている点にある。伝統的な捉え方に従うと, QuineやPutnamらが指摘するように, 数学基礎論における論理主義, 直観主義, 形式主義の論争は中世の存在論哲学の普遍論争における実念論, 概念論, 唯名論の間の論争に対応すると考えられてきた。ここで普遍論争とは普遍観念 (または一般観念) の存在論的位置付けに関する論争のことであり, 実念論, 概念論, 唯名論は各々一般観念がプラトンのイデアのような形で実在するという立場, 我々の精神において構成されるという立場, 単に記号として使用しているだけでありその存在を前提する必要がないとする立場, に対応している。数学や論理学で使用される観念についての論争もこのような存在論的なレベルの論争と解釈されてきたわけである。これに対して先に挙げた人々の共通した前提の一つはこの論争を存在論的枠組の中でではなく, 意味論の問題として, つまり言語哲学的レベルの枠組みで捉えようとする傾向があることである。つまり, 論理主義, 直観主義, 形式主義等の立場の違いを同じ数学言語, 論理言語に対して採用される意味論の違いによって説明しようとするわけである。例えば古典論理の立場では正しいとされる「Aまたは非A」という形の排中律は直観主義論理の立場では一般には正しいと見なされないが, この立場の違いもそれぞれが別な意味論体系を採用していて, この別な意味論体系に従って, 「または」という論理結合詞に対して違った意味解釈を与える, ということによるとみなされる。
    以下において我々はこのような枠組みの中で「論理記号導入規則による意味論」と呼ばれる意味論の採用がいかに我々の論理的数学的言語行為に合ったものであるかをPrawitz-Dummettの議論を踏まえながら述べ (§1), 次にこの意味論の中核部分を最も基本的な形で展開する (§2) 。最後にこの意味論による直観主義論理推論の基礎付けの可能性およびそこに含まれる問題点について検討する (§3) 。
  • -Measurability(可測性)-
    山口 人生
    1987 年 18 巻 2 号 p. 67-72
    発行日: 1987/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 奥田 栄
    1987 年 18 巻 2 号 p. 73-78
    発行日: 1987/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 大橋 力, 中田 大介, 菊田 隆, 村上 和雄
    1987 年 18 巻 2 号 p. 79-87
    発行日: 1987/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 植村 恒一郎
    1987 年 18 巻 2 号 p. 89-95
    発行日: 1987/03/25
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
    伝統的な知覚表象説 (the representative theory of perception) は, バークリーによるロック批判にみられるように, しばしばその理論的難点を指摘されてきた。それにもかかわらず, その理論的難点は, バークリー等の知覚一元論の立場とは違った方向で解決されるべきものであるように思われる。その理由は, たしかに知覚の場面では対象=表象という二元的対置を維持することが難しく, 知覚一元論の主張に分があるように見えるにしても, しかし人間の認識一般を問題にするためには, 物質=意識という対置概念が不可欠であり, この対置概念を原理的に廃棄する知覚一元論では問題の究極の解決にはならないと考えられるからである。小論では, 知覚表象説の難点の一つである, 知覚表象の空間的時間的位置の問題を取りあげ, 知覚の物質的過程と知覚経験の関係を, 空間的時間的構造という観点から考察してみたい。それは, 知覚表象説の難点を知覚一元論によらないで解決するための重要な論点の一つと思われるからである。
  • 中島 義道
    1987 年 18 巻 2 号 p. 97-102
    発行日: 1987/03/25
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
  • 超心理学論争の意味するもの
    木原 英逸
    1987 年 18 巻 2 号 p. 103-107
    発行日: 1987/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 西脇 与作
    1987 年 18 巻 2 号 p. 109-110
    発行日: 1987/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
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