科学基礎論研究
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28 巻, 1 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • 石垣 壽郎
    2000 年 28 巻 1 号 p. 1-7
    発行日: 2000/12/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    量子力学における観測命題の全体は, プール束を構成しない。したがって, 量子力学的系にすべての物理量の値を確定的に付与し, そのことによって確定的世界の描像を与え, 量子的確率を古典的確率として解釈しなおすことはできない.しかし, 物理量それぞれに関する観測命題全体はプール束を構成する.よって, 何らかの理由 (たとえば観測, あるいはそれ以外の理由) によって物理量を1つ固定すると, この物理量に関する観測命題は真偽が確定し, これらの命題についての確率を古典的確率と見なすことができる, と考えられている.この観点から, Bub and Clifton (1996) と Bub (1997) は, 量子力学に対する, 波束の収縮を含まない様々な解釈を整理し, これらの解釈には特定物理量 (apreferred observable) が一意に対応していることを示した.その基礎になっているのが, 「一意性定理 (Uniqueness Theorem) 」である.しかし, 彼らは, この定理の証明および適用に際して, 有限次元ヒルベルト空間を扱い, 無限次元ヒルベルト空間の場合は, 有限次元からの類推にとどめている (Bub (1997).122).これに対して, 以下に示すように, 無限次元ヒルベルト空間の場合は, 有限次元からは類推のできない特有の状況が現われてくる.
    本稿では, 無限次元ヒルベルト空間における物理量 (オブザーバブル) について, 観測命題の真偽が確定するという意味での確定的世界 (「真偽確定世界」), 物理量の値が確定するという意味での確定的世界 (「値確定世界」), さらに観測命題についての量子的確率を古典的確率として表現するという考え (「古典的確率としての表現」), これら3者間の関係を検討する.
    Bub and Clifton (1996) と Bub (1997) が真理値確定と見なした命題がなす部分束は, そのときどきの量子力学的状態にも依存し, 特定物理量の観測命題全体の集合よりも大きくなる場合がある.しかし, 量子力学的状態が特定物理量に関する (0以外の) どの観測命題の確率をも0としないとき, この部分束は, 特定物理量の観測命題全体がなすプール束と一致する.よって, 本稿においては, この特殊な場合に注目することにして, 物理量の観測命題がなすプール束をとり上げる.
  • 須長 一幸
    2000 年 28 巻 1 号 p. 9-14
    発行日: 2000/12/25
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
  • 津留 竜馬
    2000 年 28 巻 1 号 p. 15-21
    発行日: 2000/12/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    クリスピン・ライトらが提唱する「フレーゲ的プラトニズム」の立場は, 数などの抽象的対象の存在を擁護する果敢な試みであるが, またそれゆえに, 多くの批判的議論を呼ぶものでもあった.様々な批判の中で特に重要なものとして, ダメットに拠る議論 (Dummett [1991]) を挙げることができるだろう.また, ライトとダメットとの間には, その後この問題を巡っての議論の応酬もあった (Wright [1998a], Dummett [1998], Wright [1998b]).この小論では, 「フレーゲ的プラトニズム」の是非を巡る彼らの間の論争を検討したい.
  • 出口 弘, 小澤 正直
    2000 年 28 巻 1 号 p. 23-29
    発行日: 2000/12/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 中根 美知代
    2000 年 28 巻 1 号 p. 31-36
    発行日: 2000/12/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 町田 一
    2000 年 28 巻 1 号 p. 37-42
    発行日: 2000/12/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    ライプニッツは証明可能性と可能性を等しい概念と考えている.つまり, 証明可能な命題と可能な命題は等しいと考えている.一方, ライプニッツは可能であるということを「矛盾を含まない」ことであると規定するので, 通常, ライプニッツの言う証明とは無矛盾性の証明であると言われている.しかし, ライプニッツは, 「矛盾を含まない」ということと無矛盾ということを区別しているように思われるため, この論文ではライプニッツの言う証明とは必ずしも無矛盾性の証明ということにはならないと主張したい.そこで, 「矛盾を含まない」とはどういうことかを検討し, 証明可能性と可能性が等しい概念であるということの意味を明らかにしたい.
  • 「もう一つの自然主義」へ向けて
    水本 正晴
    2000 年 28 巻 1 号 p. 43-49
    発行日: 2000/12/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
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