19世紀のイギリスは医学的飛躍が目覚ましく、それに伴い医者と患者の関係も大きく変化した。そして、19世紀半ばの小説において、以前は脇役に据えられることの多かった医者が主役に変わって描かれるようになる。医者が主役となる代表的な小説にアントニー・トロロープ(Anthony Trollope, 1815-1882)の『ソーン医師』(
Doctor Thorne, 1858)とジョージ・エリオット(George Eliot, 1819-1880)の『ミドルマーチ』(
Middlemarch, 1871-72)が挙げられる。『ソーン医師』の主人公ソーン医師、『ミドルマーチ』の主人公リドゲイト(Lydgate)は共に田舎の開業医であるが、それぞれのコミュニティ内での二人の立場や評価、人間関係には違いがある。本稿では二人の医者の描写を通し、医者の役割がどのように変わったのかを考察し、さらに作家たちは医者をどのような存在として捉えていたのかを検証した。
二作品の検証を通し、作家たちが医者を
完全なる主役に据えられなかった葛藤があったことが分かる。また、ソーン医師とリドゲイトを比較すると、彼らの「人間性」において大きな違いを見ることができ、その一方で、両者にはそれぞれのコミュニティにおいてインフルエンサーとしての役割を果たしている共通点がある。小説に描出される医者像の変遷を辿ると、主人公の人間性と科学の進歩のはざまで、時代に即した医者像の造形に奮闘した作家たちの苦悩が顕在化する。医学、科学が進歩した時代の過渡期において、ソーン医師とリドゲイトは小説における医者の脇役から主役への移行の流れに大きな影響を及ぼしたのである。
抄録全体を表示