これは大東亜戦争の一つの犠牲の記録である結核感染源は未発見のまま軍隊という大集団の中に投入されて広大な区域に絶好な感染の機会を与へ又人権を無視した動員や訓練は戦慓すべき発病の場を作つた.昭和13~15年の頃大陸野戦病院から又は海陸軍病院から送られて来る結核患者の数は毎日引きも切らず喧噪と陰惨の情景は今も生々しく我々の記憶に残るところである.本論文の要旨は第19回日本結核病学会に於て著者等が国立療養所村松晴嵐荘所員として発表したものであるが, その後論文の内容が多少とも軍の内部に触れるため雑誌発表が遠慮されたまま今日に到つた.今回北関東医学編輯員諸氏の御好意により発表の機を得たことは著者等感謝に堪えない.終戦後10年平和憲法の変更や再軍備が一部で叫ばれている時この些やかな記録が多少でも反省の材料となれば幸である.
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