壮蚕期の幼虫の食桑中に口部から吐液する遺傅子突然変異が発現し, これを吐液蚕と名すけてその生理, 解剖及び遣傅学的研究を行つた。
1) 吐液蚕は稚蚕期には異常なく第4令4日目以後に給桑後30分を経て吐液するものが多く, その吐液は健蚕の胃液と何等異ならない。
2) 吐液蚕の吐液開始時期は個体的に変異があり, 第4令4日目-第5令末期である。
3) 吐液蚕は神経系, 中胃の構造には異常を認めないが, 賁門弁が開け放しの状態を呈し, さらに口器とくに大顋に異常が認められる。すなわち壯蚕期の大顋はその鋸歯数に異常はないが, 全体の形状並びに各鋸歯の状態が著しく正常蚕と異り, これを内面からみると非常に凹形をなし且つ両大顋の重なりも浅い。またこれに附着する内転板も小さく, 外側縁と一直線に附着し且つ内転筋も弱小となつている。
4) 吐液蚕の大顋は, 第3令までは正常蚕と異ならないが, 第4令になれば著しく異常となり, 第5令にはさらに甚しくなる。食桑による吐液蚕の大顋の鋸歯の磨滅は正常蚕にくらべて比較的少いが, 第5令末期になつて吐液を始めるものでは正常蚕と同じくらい磨滅している。しかし大顋全体の形はやはり半楕円形で, 左右の重なりも悪く正常蚕と著しく異つている。
5) 吐液蚕が食桑の際に大顋を動かす速度は正常蚕の約半分すなわち1分間93回くらいで, しかもその動かし方も異常である。また食下された食片は長さ4-5mmの長方形をなし, 1片の歯刻の数は16箇で, 1歯刻の大きさは大体正常蚕の1食片に相当する。
6) 大顋の異常により食下された葉片が非常に細長くなつているので, 賁門弁の閉塞を妨げる。したがつて給桑後30分たてば中胃に梢々多量の食片が溜まるので胃液の分泌も旺盛になり, 胃液は責門弁を通つて逆流して口部から吐出される。
7) 吐液開始時期の早晩及び給桑後吐液までの時間の長短には, 大顋の形態的異常の個体的差異の外に環境とくに漁気の多少, 給与桑葉の硬軟が関係する。
8) 吐液蚕は幼虫期の食桑中には斃死するものは少いが, 営繭の時期になつて多数殪れる。しかも早期に吐液を始めた体躯の矮小な蚕はこの時期にとくに多く斃死する。一般に繭質も正常蚕にくらべて悪く, とくに体躯の小さいものの成繭は一層貧弱である。
9) 吐液性遺傳子 (exとする) は正常性に対して劣性であり, かつ性染色体中にも, また今までに連関群の明かになつた4つの常染色体中にも座位を有しない。
10) 遺傳子exの主な発現作用は蚕の大願に異常を起させるのであつて, 吐液現象はこの異常に起因する第2次的作用に外ならない。このように一見生理作用に関係のあるようにみえる遺傳子でも, これをさらに精細に探究すると根本的には形態的に異常を起させる遺傳子の働きによることが明かにされ, さらにその遺傳子の発現時期が第4令から発現することを明かにしたので, ここに遺傳子の作用発現とそれによつて起る形質との間の機構を究明したわけである。
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