1. 昭和43年から昭和53年までの繭生産費調査報告を用い, 肥料の原単位量から掃立規模別に繭100kgの生産に要した窒素量の推移を求めた。指定年次を中点とする5か年移動平均値により傾向をみると, 掃立規模20箱以上の比較的大きな規模の養蚕農家においては, 繭100kg当りの窒素施用量は27kg前後で傾向的な変化はみられないが, 20箱以下, とくに10~20箱の養蚕農家では, 年々傾向的に増加した。この層の養蚕農家では, 繭化されなかった桑葉が年々増加したという見方もできるであろう。
2. 1. に述べた掃立規模による違いが生じてきたのは, 桑園10a当りの窒素施用量の推移にも着目すると, 投入量の決定にあたり, 養蚕の規模によって, 農民の意思による制御に強弱があるためと思われる。掃立規模10~20箱の中規模の養蚕農家では, 10a当りの投入量を比較的一定の水準に保ってきたのに, 10a当りの生産量が減少した。しかし, 比較的大きな規模の層においては, 農家1戸当りについ てみるならば窒素施用量は減少していないが, 桑園10a当りについては減少しており, それに応じて10a当りの繭生産量も減少した。したがって, 比較的大きな規模の養蚕農家については, 10a当りの収繭量を増加させるには10a当りの窒素施用量を増加させることが必要条件となる。
3. 本稿で対象とする昭和43年以降の時期については, 規模広大の動きに変化があったといわれる。比較的大きな規模の養蚕農家が, 施用した窒素に見合う繭を生産してはいるがしかしそれ以上に窒素を増投してまでも反収増を追求しなかったことも, その一つの例証であると考えられる。農家の作目が多角的な組合せから単純化へ進み, さらに農地の生産的利用率の低下も進んでいたこの時期には, 作目の整理等により桑園面積の拡大が他の時期に比して可能であった。比較的大きな規模の養蚕農家は, 相対的には内包的拡大よりも外延的拡大を指向したといえよう。
4. 同じ期間を対象にした生産関数の計測値にも変化が生じていた。昭和43年から昭和53年までの時系列データを用いて, コブ・ダグラス型生産関数により生産弾性値を計測したところ, 掃立規模20箱以上の層においては, 10~20箱の層と比べて, 土地と労働の生産弾性値の大きさに逆転がみられた。比較的大きな規模の養蚕農家同士の比較では, 繭生産にとって, 相対的に, 土地の貢献力が大きくなっていることが認められる。
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