教育学研究
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66 巻 , 3 号
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  • 宮寺 晃夫
    1999 年 66 巻 3 号 p. 259-267,365
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    教育学研究は、それぞれの分野では領域固有性を深めているものの、初学者のための基礎過程を欠いたままできている。学校の中での教師-生徒間の実践に焦点を合わせたペダゴジーが、初学者を教育学的思考に導いていくための教養として、また、教育学研究の学問としての同一化をはかるための教養として、すでに力を失っていることは周知のことである。そこで本論文は、教育学における教養の拡充に対するリベラリズム哲学に関わりを検討する。そのさい、ペダゴギーとしての教育学の教養と、アンドラゴジーとしての教育学の教養とを対比しながら、「中立性の価値」に基礎を置くリベラリズム哲学が、価値多元的な社会における教育学的教養としては不充分であり、卓越主義的リベラリズムによって拡充される必要があることを示していく。 リベラリズム哲学は、教育に対して二つの異なる方針を要求している。すなわち、あらゆる利害に対して中立的であることと、どのような人をも自律的にすることである。中立性というリベラリズムの価値は、R.Dworkinによってリベラリズムの中心的価値の一つとして位置づけられており、教育学とそれの教師教育における実践に自律性を基礎づけてきた。しかし、中立性の価値が教育学にとっての価値になるのは、自分自身の善き生を自律的に選択することができる個人が存在する限りにおいてである。A.Maclyntreが論じているように、近代はそうした自律的な個人としての「教育された公衆」が存在する可能性を排除してきた。その結果、中立性の価値は、どのような善き生をも示すことができず、教育学的教養としては有効ではないものに止まっている。 個人の自律性もまた、それが「道徳的自律性」であることが明らかにされない限り、意味のある価値としては認められない。それゆえ、教育学的教養を拡充するために解明されなければならないのは、「道徳性の価値」である。リベラリズム哲学の中立性のスタンスと自立性のスタンスは、どちらも、道徳性をすべての価値の上位に置いているものの、教育における道徳性の価値を明確にすることができていない。それに大して、リベラリズムの諸価値に対するJ.Razの卓越主義の理論は、自律性と道徳性との親密な関係を、「幸福」(well-being)の名のもとで考察していっており、市民の自己形成活動に対する公的支援について重要な示唆を与えてくれる。Razは、自己決定と選択を擁護するが、それは、それらが公共善と切り離されていない限りにおいてである。本論文は、結論として、リベラリズムに依拠する哲学者の諸議論が、教育学の教養、とりわけてアンドラゴジーとしての教育学の教養を拡充していく上で、深い関わりがあることを述べた。アンドラゴジーにおける教養は、ペダゴジーのそれとは異なって、あらゆる教育的な支援に正当化を求めていくのである。本論文の目次は以下の通りである。 [1] 問題の所在 [2] リベラリズム哲学における二面性 (1) リベラリズムと教育学的教養 (2) リベラリズム哲学の教育理念 (3) 現代におけるリベラリズム哲学の二面性 [3] リベラリズム哲学から見た教育学的教養 (1) 現代教育の課題の二面性 (2) リベラリズムの価値としての中立性と自律性 (3)リベラリズム哲学のアポリアとしての道徳性 [4] 卓越主義的リベラリズムと支援としての教育 (1) リベラリズムと価値多元主義 (2) 卓越主義のリベラリズム (3) 卓越主義のリベラリズムと支援としての教育 [5] 結び
  • 北村 三子
    1999 年 66 巻 3 号 p. 268-277,366
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    教養主義とは、明治の末(ほぼ1910年代)に日本の知識人たちの間に成立した、人間性の発達に関する信条(あるいは「主義」)である。ドイツの教養(ビルドゥンク)概念の影響の下に、若いエリートたちは、人類の文化、ことに、西洋の哲学、芸術、科学などを継承することを通して人格者になりたいと思った。彼らはそれらの偉大な作品に触れることによって強められた理性と意志が人間の行動を制御すると期待した。彼らはある程度それに成功したが、同時に、大地や他者から切り離されてしまったと感じ、不安に悩まされるようになった。 教養主義は主に旧制高校生や大学生の間に普及したが、かれら若きエリートたちは、深層意識では、自分を高等教育には手が届かない若者たちと区別したかったのだ。その意味で、教養主義はかなりスノビッシュなものである。 この教養主義の欠点は、第二次大戦後、日本の教育関係者たちによって批判された。批判者の一人で、新時代のリーダーの一人であった勝田守一は、新しい教養の概念を提案した。それは、高く評価された人類の労働を基盤にしたものであった。勝田によれば、労働は人間の諸感覚、思考能力、コミュニケーション能力を発達させてきた。その中でも、近代に著しく発達した科学的思考法は、私たちにとって最も大切なものなのである。そこで勝田は、教養のある人間は、人類が発達させてきた諸能力を偏ることなしに身に付けていなければならならず、そうすることによって、教養人は社会を進歩させるであろうと主張した。人類の能力は無限に発達すると勝田は信じた。なぜなら、近代科学技術の発展には限界がないように見えたからである。 私たちはもはやこのような楽観的な見解には同意できない。なぜなら、近代の科学技術が自然に対して攻撃的であり、地球の生態系に重大なダメージを与えうることを、私たちは知ってしまったからだ。勝田の教養概念や教養主義をこの観点からもう一度振り返るならば、それらには、思考方法において共通の欠陥があることに気が付く。それは、近代思想一般に見られる欠点と同じものである。 近代的知性は生産的である。それは物を作り出すだけではなく、表象や概念や推論を用いて事物のリアリティを生み出すのだ。その思考法は、利用という観点からだけ事物と関わるものであり、人間中心的で、事物に耳を傾け対話することはない。鮮明に意識に表象されない事物は、意味がないとみなされ、無視される。あの若き教養主義者たちの心の葛藤も、おそらく、この近代の知性の産物である。 教養が再構築されねばならないとしたら、それは、これまでとは異なる思考やコミュニケーションの方法を基盤とするものでなければならないだろう。また、近代的な労働や社会の中でおそらくは失われてきた諸感覚や能力を回復できるものでなければならない。
  • 渡辺 かよ子
    1999 年 66 巻 3 号 p. 278-286,367
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    1990年代の高等教育改革は多くの教養に関する議論を生み出した。教養とはPaideiaやBildungに相当する日本語である。それは1910年代から今日まで知識人の理想的資質を表現する言葉であり、今日の教養に関する議論は近代日本の歴史上、第4度目の興隆と位置付けられる。今日のポスト大衆化段階の高等教育における教養に関する議論の特徴としてはその主なる関心が、学問研究よりもカリキュラムや教育にあることである。このことは戦後の教育学が最大の課題の一つとしてきた一般高等教育(国民的教養)の創出に向けての妥当な回答といえるのであろうか。この問いへの思想史的前提を探求するため、本稿は人格形成の二つの様式である修養と教養の分離と連関を、両者の分離から教養という現代的意味が確定された1930年代の議論に遡って分析する。修養とは前近代的な人格形成思想であり、それは過度な瑣末な知識を持つことを戒め、勤勉と誠を説いた。 1930年代には年配の世代は、教養と修養とほとんど同じ意味でしようしていたが、両者の違いは明白であった。教養は全体的人間性を意味し、修養は知性や知識に優先して道徳の重要性を説いていた。教養は近代化過程における西洋文化の影響下で生み出され、一方修養は中世以来の自国文化に根源をもつものである。 教養と修養はまたその科学との関係においても区別され、教養は保守性と革新性との均衡を強調する点で、修養と科学の中間に位置づけられていた。教養と修養の決定的な違いはその主知主義にあった。そのため教養論者は当時の教育が知育偏重と見なされている状況を批判した。教養論者にとって知識に過多はなく、知識なしに適切な判断をなすことは不可能なことであった。1930年代には教養はその学問研究との連関において、人格形成の二つの局面から議論を展開していた。一つは学問の専門分化に対応するための学びの幅に関することであり、総合的で一貫した知識と関心を持つことが推奨された。もう一つは、専門分化した学問研究の過程において獲得される教養の深さに関することであり、専門的研究における無私の努力が人物を鍛錬し、尊敬に値する人格を形成すると考えられた。学問的鍛錬による人格形成という点では、教養は修養たる種の関連性をもっていた。 修養と教養の分離と連関の歴史的分析から、知識の幅のみならず、「真の」教養ないしは人格形成としてとらえらえてきた深さと学問的鍛錬のためにも高等教育機関における意味ある学びを考える必要があるといえよう。
  • 齋藤 孝
    1999 年 66 巻 3 号 p. 287-294,368
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    この論文の目的は,「身体知としての教養(ドイツ語で言えば,ビルドゥング)」という概念の意義を明らかにすること,および,日本の伝統的な教養と教育を検討することによって,私たちによって生きられている身体の重要な役割を教育学の文脈に位置づけることである。 この概念には,二つの主な効果がある。一つの効果は,身体的な経験を通して獲得された知恵を一つの教養としてみなすようになることである。もう一つの効果は,たとえば音読や古典的な詩歌の暗誦のように,古典的な教養を学ぶ上での,私たちによって生きられている身体の重要性を評価するようになることである。生きられている身体というのは,メルロー=ポンティの『知覚の現象学』の中心概念である。「身体知としての教養」という概念は,私たちによって生きられている身体によって基礎づけられているものである。 教養というのは,通常は,多くのスタンダードな書物を読むによって得られた幅広い知識の問題とみなされている。しかし,19世紀までは,日本人にとって,五感を通して,言い換えれば,生きられた身体を通して学ぶことが非常に重要であった。日本の伝統的な学習法では,知の問題は,身体の問題と切り離すことのできないものであった。かつての日本人にとっては,教養をつけるということは,日々の生活の中で自分が生きている身体を耕すことを意味していた。それゆえに,教養ある人間には,何らかの身体的なアート(技芸)を経験していることが期待されていた。身体的な技を反復練習によって向上させる,まさにそのプロセスが,教養の概念の中心だったのである。 「身体知としての教養」という概念を代表する典型的な日本人は,卓越した小学校教師であった芦田恵之助(1873-1951)である。かれは,伝統的な呼吸法を応用したある特定の身体的実践を訓練した。そして,その身体的実践が自分自身の心身の健康にとってのみならず,教育にとって重要であると考えた。身体の基本的な技法が,自己のテクノロジーの中核であった。彼にとって,またかつての日本人の大部分にとって,教養は,心身を耕すことを意味していたのである。
  • 岩永 雅也
    1999 年 66 巻 3 号 p. 295-305,369
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    教養という概念の意味は非常に大きく、かつ捉え方によっては曖昧でもある。しかし、大まかに見るならば、専門的かつ高度な知的活動の結果として身に付く「深さの教養」と、意図的にアレンジされた方法によって身に付けられる広範囲にわたる基礎的知識の集合としての「広さの教養」とにわけることができる。わが国では、西欧文明の意図的な移入による社会の近代化という歴史的条件により、大学が長い期間にわたって教養の独占的な集積地、発信地として機能してきたが、大学に集積され、大学から発信されてきた教養は、まず深さの教養から、やがて意図的定型的に伝達される、完成した近代人の基礎としての教養へと姿を変えながら、体系化され、制度化されてきた。 そうした教養も、近年、大きな変動の真中にある。その最大の要因の一つがメディアをめぐる変化である。メディアは教養のあり方に大きな影響を与える。というのも、教養には不可避的に、他者の過去の精神活動の成果を伝達されることによって、あるいはそうした成果を再構成、結晶化することによって形作られるという要素が付与されているからである。その意味で、あらゆる教養は、外界とのコミュニケーションによって成立していると規定することができる。これまで人類が達成してきたコミュニケーションにおける技術革新が教養そのものの量と質のあり方に重要な影響を与えてきたことの背景には、そういった教養とメディアとの関係があったのである。 今日、われわれの周囲では、著しい技術革新の波が日々メディアそのものを変えつつある。それを伝達の手段とせざるをえない教養も、当然のことながらそこから強い影響を受けている。その影響は、さしあたり現下の教養の危機、という形で表出している。危機はけっして軽微ではなく、深刻である。しかし、われわれは、その中に、これまで大学の古い枠組みによって統制され、抑え込まれて、長い間更新すらされなかった教養が、新しい時代や社会の需要に応えて変わっていく契機も見出すことができるのである。独占的ではなくなったものの、やはり最大の教養集積、発信機関であり続ける大学にとって、新しい教養の形を模索することは、当面の最も重要な課題であるといってもけっして過言ではない。
  • 小野 雅章
    1999 年 66 巻 3 号 p. 306-314,370
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    この論文の目的は、宮崎県祖国振興隊の活動と集団勤労作業とが密接な関係にあることを明らかにすることにある。 この論文は三つの観点から考察を加えている。まず、第一点は宮崎県における国民精神総動員と祖国振興隊設置との影響関係である。県知事の強い主導で設置されたこの組織は、宮崎県における国民精神総動員を具体化するものであった。そしてそれは、中等学校を中心に組織されたものであり、宮崎県下のほとんどの中等学校がこれを組織していた。この組織の活動の中心は作業であり、その中にある教育的価値が重要であることが、当局において認識されていた。 第二点は祖国振興隊運動が各府県・国の政策に与えた影響についてである。この運動は、広く全国に知れ渡った。そのため、政府や多くの府県から祖国振興隊の活動についての視察があった。そればかりでなく、1938年3月24日には衆議院が政府に対して、宮崎県のこの運動を国家の政策として採用するように建議を行った。そのため、これに類するような運動がいくつかの府県で採用されるようになったのである。 第三点は、府県のレベルで現れたこの運動に類したものの検討である。ここでは、神奈川県、石川県、三重県などの例を紹介した。こうしたことから、1938年6月9日の集団勤労作業運動に関する文部次官通牒は、宮崎県やその他の府県で実践していた様々な集団勤労作業の運動の大綱を示したものであることを明らかにした。
  • 和田 惠美子
    1999 年 66 巻 3 号 p. 315-323,371
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    「規律」はW.C.バグリーの理論における鍵概念であった。彼にとって、「学校規律」は「自己統治」を意味していた。そしてその「自己統治」とは社会科された「自己」における「精神的態度」としての統治の技法であった。当時に「学校規律」は、「民主主義的な統治」という観点から「自己統治」を「個人の自由の行使」と両立させるものとした。彼は「規律化された意志」が「国家の備え」であると主張した。そしてそのような国家秩序は基本的には学校秩序に由来していた。彼の「ナショナリズム」の理論もまた「学校規律」と同様に「社会的」で「精神的」な性質を持っていた。 バグリーにとって、「規律」は「知性」とともに獲得されなければならなかった。彼はアメリカ人に「知性の義務」の下での「知性的な献身」を持つべきであると要求した。「知性」を伴う「規律」を通じて、人々は「民主主義」のための知的な国民主体とならなければならなかった。アメリカは「文化の共同体」になるべきであると彼は考えらのである。 1938年までに、「規律」と「民主主義」とを関連づけたバグリーの理論は、二つの段階を経ていた。一つが「規律」と「自由」の統合、すなわち「規律化された自由」の概念である。「規律」に基づく「自由」を通じてのみ、アメリカにおける「民主主義」は国家社会主義と共産主義と戦い、「世界的支配」を達成しうるのであった。 もう一つの段階が、「規律の機能」によってもたらされる「教育可能性」と「人間性」に対する、バグリーの深い信頼の表明であった。彼は当時高名であった二人の心理学者、C.C.ブリガム及びL.M.ターマンと論争した。「反決定論」の立場から、彼は「規律の機能の完全なる否定」という彼らの考えを批判した。「教育可能性」と「人間性」を通じて、「普通人の集合的卓越性」と「文化的統合」を伴う「民主主義」を実現することを絲したのである。しかしながら彼はブリガムとターマンの優生学的見地を否定しなかった。彼は「文化的統合」を主張したが、それによって彼は、教育を通じた「血の混合」を避けようとしたのである。言い換えれば、彼は「血」の純潔性を協力に支持していたのである。彼の「民主主義」、「自由」そして「人間性」は彼の優生学的思想と矛盾していなかったのである。 結論づけるなら、バグリーの「規律」の概念は以下の四点に要約できる。第一は、彼が日常的な子どもの統治の方法を分析するために「規律」の概念を使っていたこと。第二は、彼が「自己統治」あるいは「自己統制」という考えを内的統治の方法として採用していたこと。第三は、彼が、「民主主義」を通じて近代国家を形成する巨視的な権力を「自己統治」を通じた微視的で内的な権力と関連づけていたこと。第四は、「規律」を通じて彼が、権力の問題と同時に共有された知識あるいは知性の問題を示していたこと、である。
  • 1999 年 66 巻 3 号 p. 365-371
    発行日: 1999年
    公開日: 2011/06/02
    ジャーナル フリー
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