本稿は、予科練之碑設立の経緯と背景を探りながら、戦死をめぐる記憶と教育の関係を明らかにした。1950年代に記憶空間としての「軍都」が再構築され、それと連動しながら、1960年代にモニュメントが建立される過程から、戦死の表象不可能性をめぐる記憶の教育化について検討した。そしてそれが、思想統制政策としての「青少年の善導」と、自衛官に対する「精神教育」に利用されたことを指摘し、最後にその歴史的意味について考察した。
本稿は、カントの『実用的見地における人間学』から示唆を得て、道徳教育の教材を捉え直すこと狙いとしたひとつの教材論である。とりわけここでは、教師の「意」を重視する性格を有した「媒介」との対比を念頭に置いて、学習者がある価値について多面的・多角的に考えることをより促すような教材の新たな概念的枠組みを、同書の読解から導き出すことのできる「秩序ある未確定の場」として提出している。
本稿は、大学教育の質保証において「抵抗」とカテゴライズされてきた教員の行為が生じる要因を、医学部医学科のアセスメントテスト「臨床実習前OSCE」を事例として検討した。フィールドワークからは、臨床実習前OSCEが定義する能力の必然性を説明する論理として機能していた「段階的発達観」がこの制度の支持と「抵抗」をわける論点となっており、この発達観の非共有が多くの教員の「抵抗」につながっていることが示唆された。
本研究の目的は、澤柳政太郎『実際的教育学』の実証主義の歴史的意義を再考することである。20世紀以降、日本の教育学は実証主義の影響を受けてきた。1909年出版の『実際的教育学』は、実証主義の影響を受けた最初の重要著作の一つである。同時代の科学史・教育学史・教育研究史を踏まえて同著を研究し直し、日本の教育学においてなぜ実証主義が重視されるようになったか、それがどのような歴史的課題を残したかについて明らかにする。
近代日本の文部省留学制度が整備・確立され、大学・高等教育体制を基礎づけるようになったとき、アカデミック・エリートたることを嘱望された留学生は、その国家的な統制・管理をいかに経験したのか。文部省はさまざまな義務事項を課したが、かれらが留学に際して日記をつけたのは、各種の報告義務に対応するためとみられる。日記のエクリチュールは専門研究を遂行する日常と主体に及び、自己監視と自己統制が働く磁場となりうるものであった。
本稿では、1970年代の英国で提唱されたE. ホーキンズの教科「言語」の理論と実践を検討した。ホーキンズは、言語を認識する枠組みを発達させることを言語教育の目標に据えた上で、複数の言語を1つのテーマのもとで取り上げる教科「言語」を提唱した。氏の所論は、言語の分析的な学習をカリキュラムの中核におくことの可能性を示すと同時に、そこで子どもの言語を相対化する契機を生み出し、他言語への偏見を打破する可能性を示していた。
教育学では理論と実践という対立図式が長年用いられてきた。だが、ルーマンの議論を踏まえるならば、科学システムと教育システムとは異なる機能システムに属し、さらにそれぞれが独自の歴史を積み重ねてきていることから、前者が生み出した理論を後者が応用するという単純な関係を想定することは困難だとわかる。科学システムはあらゆる活動を、真/非真の二値コードに照らして判断するのに対し、教育システムはすべてを、より良い/より劣るというコードに基づいて判断するためである。
カナダにおいて広告分析学習は、メディア・リテラシー教育に先行して消費者教育で行われていた。商品情報を客観性の観点から評価することを促す消費者教育としての広告分析学習は、近年広まっている表現の文芸的価値を理解させようとするメディア・リテラシー教育のそれと比べて高度とは言えない。しかし、ソーシャルメディア空間を中心に事実が軽視されがちな今日、学校教育には、広告に対する原初的なアプローチに意義を見出す姿勢が求められよう。
本研究では1930年代に中小小売商の経営改善を目的として行われた商業組合などによる簿記教育を検討した。そこでは、会計技術を習得していない中小小売商を対象に店の会計と家計の分け方を指導するとともに、業種別の簿記の作成とその指導に取り組むことによって、小売商の実情から乖離していた簿記教育の改善をすすめていた。そうした活動の検討を通して職業的リテラシーが職場に応じて調整されていく様子を明らかにした。
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