教育学では国家や市場原理に還元されない教育の公共性の確立が課題となってきたが、分断化が進む現代社会においてそれはますます困難になっている。本稿では、ハンナ・アーレントが自己疎外と世界疎外という概念を用いつつマルクス解釈を通じて展開した、近代世界についての歴史的分析を手がかりに、この困難が近代以降の社会に固有の問題に由来することを示し、さらにその克服のためには、戦後教育学批判が戦後教育学と暗に共有する自己疎外論的な問題設定からではなく、世界疎外という観点からの議論が必要となることを明らかにする。
本稿の目的は、ロナルド・バーネットのリベラルな高等教育の構想の検討を通じて、リベラル・エデュケーションの伝統と結びついた高等教育の目的を哲学的に擁護することである。バーネットは、高等教育のリベラルな目的をより高次の認知的な発展としての「解放」とみなす。本稿では、高等教育をディシプリンに根ざしたものと捉えることによって、解放としての高等教育の構想をより整合的に擁護することができると主張する。
本稿は、ハーバード・プロジェクト・ゼロによる思考の性向に関する議論を検討することで、「思考する文化の創造」の意味内容と「文化化」からの転換点を明らかにした。リッチハートが提唱した「思考する文化の創造」は、絶えず創り変えられるものとして文化を捉え、文化の構成要素を明らかにすることで、思考が価値づけられ、可視化され、促進される環境を教師や生徒が創り出すことを促し、その創造的な営みを通じて優れた思考者を育てようとするアプローチであった。
今日、社会的排除/包摂を巡る教育学の議論では、「包摂『される』側の主体性」(倉石 2021)をどのように引き受けるかが一つの課題となっている。ミニコミ誌『労務者渡世』からは、社会的に排除され、周縁化された人々が自らの生活文化や歴史を叙述し、マジョリティ社会からの能力付与を前提としない当事者による相互承認や、排除への抵抗の基盤形成のあり様が見出された。そしてこの知見は、オルタナティヴな包摂の可能性を示唆する。
本論文は、ドイツの教授学者ヴォルフガング・クラフキ(Wolfgang Klafki)が提唱した「時代に典型的な鍵的問題(epochaltypische Schlüsselprobleme)」に対していかなる批判が投げかけられたのかという問いの究明を通し、鍵的問題が抱え込む論点の所在ならびにその多様性を明らかにした。具体的には、ドイツ語圏の議論を踏まえて鍵的問題批判をめぐる3つの象徴的な論点を取り出すことで、社会問題を学校教育において取り扱うことに関する課題と問題点を炙り出した。
本稿ではジョン・ロールズの公共的理性に焦点を当て、政治的構想と包括的教説の区別を公教育の議論に導入し、公共的理性がいかなる教育を正当化するか、正当化された教育はどのような教育効果を有するかを検討する。本稿は、一定の条件を満たせば政治的構想のみならず、包括的教説に基づく教育を公教育として正当化しうると主張する。そうした教育は公共的理性の涵養を伴うことで、公共的領域の形成および非公共的領域の個人のアイデンティティや社会の形成を促進する。
本稿は、教員採用選考試験の「早期化・複線化」政策の形成過程の分析を通じて、戦後日本の教員採用制度がいかなる変化を迎えつつあるのかを検討した。分析の結果、「早期化・複線化」政策は「負担軽減」のロジックのもとで試験問題の「共通」化と結びついていることがわかった。教員採用制度においては、従来の広域レベルから地域レベル及び国家レベルへという構造変容が進展しており、後者は国家アクターの影響力の高まりとして位置づけられる。