本稿では、公害教育と環境教育の過渡期にあたる1970年代後半~1980年代の水俣芦北公害研究サークルの教師らの水俣病教育実践を分析した。その結果、サークル教師らが70年代前半に広がった患者の被害とチッソの加害を科学的に対象化し、糾弾することを主眼とした公害教育から、自らと水俣病・加害企業・患者との関係において、自らの存在や生活の在り方を問い直す探究を行う新たな公害教育へと再編した過程が明らかになった。
本稿は、占領期の私学行政制度の構想において、私学関係者がいかなる課題認識の下で行政主体の所在の確定と行政組織の制度設計に関与したかを、私学の自主性確保をめぐる制度的保障のあり方に着目して分析したものである。文部省や私学団体等による構想の特徴を分析し、各構想で制度的に保障しようとした私学の自主性の意味を明らかにした。
本研究は、1930~40年代のヴァージニア州における中等コア・カリキュラム改革の地域・学校への受容の特質を明らかにする。本研究では、州教育委員会の史料、リッチモンド市、シャーロッツビル市などの史料の考察を行い、中等コア・カリキュラム政策が理念的・部分的にのみ受容されたことを明らかにした。中等コア・カリキュラム改革は、実質的には、教科を前提とした教科連携的なカリキュラムの試みとして、地域・学校に影響を与えていた。
本論文では、イマヌエル・カントの「啓蒙」概念を、「啓蒙とは何か」(1784)の後半部分と関連する諸論稿における「強制」の観点から検討し、カントの啓蒙における「成年性への歩み」が強制から解放されている状態を目指すものではなく、むしろ強制との「関係に入る」ことを目指していると解釈しうることを明らかにした。それにより「成年性への歩み」が、自由と強制の二項対立に当てはまらない人間形成のあり方を示していることが示唆された。