アカシジミの北海道産の亜種として記載されたJaponica lutea onoi Murayama, 1953の完模式標本について♂交尾器の形態を含む分類形質の再記載を行い,本分類単位が現在,カシワアカシジミまたはキタアカシジミの和名を持つ分類群と同一であること,すなわち現行の同定が正しいこと,及び本分類単位のJaponica属内での分類学的位置について論じた. 1) Japonica lutea onoi Murayama, 1953の完模式標本の♂交尾器は,全般的な構造としては,アカシジミJ. luteaのそれに極めて類似するが, phallusのperiveiscal areaにある2個のcarinae penisの内, a)基部にあるものが, suprazonal portionの長さの約0.7の位置(その中央よりはるかに端にずれた位置)にあり,この形状が正三角形に近く,頂点が鋭く尖ること;b) 先方にあるものが, aedeagusの骨化部の縁からsuprazonal portion長の0.2に相当する距離にわたって膜質部によって分離されており,その形状は細長く,先端の遊離突起は針状であり,基部の非遊離部の長さよりやや短い,という2点で明確に異なる.なお,valvaの先端の細長い部分も長く,基部の幅広い部分の長さの約半分である点も,アカシジミの一般的な形状とは異なる.斑紋については,原記載で主要な形質はほとんど記述されているが,現在のJaponica属の種の形質評価に応じた記載を示した. 2) 前項で明らかにされた本種の完模式標本の♂交尾器及び外観の諸特徴は,数年前より北海道及び東北地方の北部で,カシワアカシジミまたはキタアカシジミの和名で呼ばれ,カシワと密接な生態的関連性を有するアカシジミの分類単位の形態的諸特徴と完全に一致する.この分類単位は,すでに猪又(1991)によって,その成虫の外観に基づいて,種群名onoiを適用され,アカシジミとは独立の種Japonica onoiとして扱われていた.しかし,♂交尾器に見られる前述の諸構造に,種の相違が明確に現れるために,完模式標本のこれらの構造の研究が,学名の安定的使用にとって不可欠であった.本研究の結果,彼によるこの学名のカシワアカシジミに対する適用が妥当であることが明らかになった.すなわち,カシワアカシジミ(キタアカシジミ)の学名の種群名として, onoiが有効名であることが確定した.なお, onoiが種luteaには含まれない独立の分類単位であることは,成虫の形態学的形質のほかに,卵殻の形態,幼虫の斑紋,蛹の色彩,発生期,生長速度,産卵習性,産卵植物選択性,成虫の生息環境などの諸点の相違から,ほとんど確証されており,本論文でもこの見解に従った. 3) 藤岡(1993)は, onoiを, Riley(1939)によって中国西部からluteaの亜種として記載され,青山(1993a)によって独立種とされた, Japonica adustaの亜種にした.その根拠は,先方にあるcarina penisがaedeagusの"先端近くにあって先端が長くのび,形状が細い"形質状態で, onoiとadustaが一致するという点であり,一方,これが,"側方にあって山型で"基方のcarina penisと"キチン化部が連続している"形質状態のものをアカシジミluteaとした.しかし,このような形態種の分類を妥当化するためには, a)先方のcarina penisの位置と形状がonoiを含めない狭義のadustaとluteaで明確に区別できること, b)同じ特徴が, adustaとonoiで変異幅を著しく共有すること, c)同じcarina penisでありながら,先端のcarina penisは形態種の識別形質として用いるが,基方のcarina penisの各集団間の相違を形態種の識別特徴として無視してもよいという根拠,の3点が明確に示される必要がある.これらが明確に示されていない現在,筆者等の判断によれば,アカシジミ亜属Yuhbaeの種分類の現時点でのもっとも妥当な体系は,青山(1993b)によって提示されたもの(議論の分かれるmizobeiとonoiの種レベルでの分割を除く)であり,アカシジミ亜属Yuhbaeには,生物学の諸側面から検証されつつある生物学的種の概念に近い種J. luteaとJ. onoi,及び形態種としてのJ. adusta及びJ. patungkoanuiの4種が含められることになる.
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