この論文は、ネパールにおける最高位カーストたるウバディヤ・ブラーマンの家庭のなかでのけがれ(bitulo)をめぐる慣行,特に,食物授受規制,ドグネ(足への拝礼)といった慣行を通して,次のような点を明らかにしようとする試みである。(1)何がけがれであり,それをどうさけ,どう受容すべきかは,ある側面では,社会構造が決定している。つまり,けがれは,ある側面では、社会構造の反映なのである。(2)けがれによる社会関係の組織化には,第一に,社会的地位の同一化ないしは異化と,第二に,異化された社会的地位の上下序列化という二つの特徴が存在している。(3)けがれは,ある側面では社会構造の反映であるからこそ,けがれにこだわればこだわるほど,社会構造が個人の内面に刻印されて,疑うべからざる権威として再生産される。
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