1980年代中頃から中国では国家が少数民族の生活や文化を資源とする民族観光をおこし, 辺境の少数民族地域における貧困救済と地域振興を図ろうとした。同時に, 国家は観光現象を通して国民形成の促進をもくろむようになった。観光事業が国家主導のもとで始まった中国では, 民族観光における事業発展のプランナーとして, また民族文化の審判者として国家が最も大きな役割を果たすことは否定できない。しかし, 民族観光の創出にあたっては, 地方の民族エリートが自民族への思いや郷土意識を観光プランニングに生かしていることにもっと注目する必要がある。観光を通して地方が中央に対して, いわば下からの民族主張を行う構図が浮かび上がってくる。一方, 辺境における民族観光の現場では, 地元民は伝統に忠実であるよりも観光客の興味を引くべく, 伝統にはない創意工夫を旺盛に行っており, 場合によっては文化の流用も見られる。観光客はこうしたことには頓着せず, むしろ知名度の高い演技であれば, それで十分に満足している。ミドルマンである旅游局や旅行社は観光文化の真正性を問題にし, 観光客と地元民との間に介入し, 観光の主導権を握ろうとする。観光の現場で表象される「民族文化」の所有権は担い手である地元民にあるのか, それとも文化的価値の審判者たるミドルマンにあるのだろうか。
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