何らかの事情から親と共に生活できない子どもたちが暮らしている児童養護施設には,実の親に養育された経験をほとんどもたない子どももいる。こうした子どもは,他者関係や自己意識の発達に何らかの齟齬や障害を抱えざるをえない,とみなされている。しかし,教育実践に携わる者が彼らを支えるためには,こうしたとらえ方を脱し,言葉にされることのない彼らの想いや不安等を,できるだけ多様で豊かな観点から想定し,彼らの在り方をとらえ直すことが必要となる。本稿では,或る子どもに焦点を当て,他者関係における彼の意識の在り方を,フッサールの相互主観性理論に基づきながら考察する。本稿での考察から,感情移入によって擬似的な自己として他者を理解するために,他者に固有の想いを実感できず,他者の振る舞いから自らを護るために他者を傷つけてしまい,結果として他者関係に大きな翻齢や困難を覚えてしまう,という彼の意識の在り方が明らかとなった。このことから,暴力を振るう等の行為を,他者との共同可能性を求める強い想いに裏打ちされた,彼に固有な他者との関わり合い方ととらえることが可能となる。と同時に,こうしたとらえ方でもって,彼の意識の在り方や他者関係の在り方に添うことにより,自らも共に辛さを蒙りながらも,あえて厳しい言葉を発することで彼の意識を揺さぶり,彼を少しでも良い方向へと導こうとしている養育者の在り方も明らかとなる。
抄録全体を表示