教育方法学研究
Online ISSN : 2189-907X
Print ISSN : 0385-9746
ISSN-L : 0385-9746
31 巻
選択された号の論文の21件中1~21を表示しています
  • 原稿種別: 表紙
    2006 年 31 巻 p. Cover1-
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2006 年 31 巻 p. App1-
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2006 年 31 巻 p. Toc1-
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 広石 英記
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 1-11
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    従来の学校教育の底流にある客観主義的知識観は,実在的真理(普遍的正答)を措定してその個人的獲得を学習と見立てていたといえよう。これに対して社会構成主義は「知識は人々の社会的な関係性の中で構成される」と考える。この考え方に立つと,学習とは知識を受動的に記憶する個人の内的プロセスではなく,学習者が他者との相互作用を通じて知識を構成していく社会的行為ということになる。社会構成主義の知識観を学校教育の文脈に翻訳すれば,教育内容の意味は,所与の知識として教科書の中や教師の頭の中に存在するものではなく,教師と子ども,あるいは子どもどうしのコミュニケーションによって生成されるものであり,相互主体的な実践があって初めて構成されることになる。このような社会構成主義の持つ知識観を理解することによって,われわれは,ワークショップという学びのスタイル(参加型学習)の持つ,豊かな教育的意義を理論的に検証できる地平に立つことができる。その意味で,本論文は,これまで両者の関係が意識されずに,それぞれが独自な展開を見せてきた二つの出自が異なる生産的思考(社会構成主義)と生産的手法(ワークショップ)のより豊かな結びつきを育み,新しい学びの世界を開いていくための最初の試みである。
  • 河野 麻沙美
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 13-24
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究は数学学習で使用される図的表現に注目して,授業における児童の理解過程を検討したものである。Thompsonは数学の説明には様々なイメージを使用することが有効であり,数学理解の発達を促すと指摘している。また,Pirie & Kierenは前の活動に立ち戻ることが理解を促進すると指摘し,その活動をfolding backと呼んでいる。Cobb & McClainは,Thompsonの取り上げた課題場面の具体的な状況を表すイメージが理解を促した事例と,Pirieらがfolding backと説明した活動に注目して,集団での学習において,課題場面を具体的に表象する「イメージ」を共有することと,そのイメージを再共有する活動が数学理解を支援するという「立ち戻り」の概念を理論的に構築した。本研究では,図的表現が課題場面の表象となり,概念理解と課題解決の道具になる性質に注目して,このような図的表現を「数学ツール」と総称する。この数学ツールをくり返し使用する授業における児童の理解発達を教室での談話と児童の記述から分析した。その結果,児童の数学ツールへの「立ち戻り」の活動が概念理解を促進しただけでなく,数学ツールそのものにも理解深化の過程があることがわかった。また,この数学ツールの理解深化が相乗的に概念理解の深化を促進していたことを明らかにした。
  • 菊池 里映
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 25-36
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    現在の幼児教育において子どもたちは"主体的な活動"を,"自発的な活動としての遊び"を通して達成することが目指されており,それを達成するにはインフォーマル集団としての遊び集団を子ども達が形成できるように保育者が援助を行うことが必要であると考えられる。そのためには遊びというものが,「遊ぶもの」としての個人が負っているものとして理解されるのではなく,遊びという文化を遊びの集団的事象全体の状況性が構築しているものとして理解されることが必要だが,そのような理解の方法はまだ保育研究の上でも,実践の上でも十分にはみられない。本稿では特に実践中の保育者が遊びを集団的事象として捉え,その状況性が構築する文化を理解することがなぜ困難なのかを明らかにすることを目的として調査を行った。結果,保育者は実践中に遊びの理解を行う際に,遊びの集団的事象全体に対してある固定的な見方での理解を行うために,その遊び全体への援助の糸口がみえづらくなり,援助を行う際の指標として見出されるのが「遊べない」として評価される個人であるという傾向があることが明らかになった。これは,集団的事象に対する「子どもが集団となって遊んでいるとはこういう状態」という固定的な見方,子ども個人に対するこの子どもは「遊べている」「遊べていない」という固定的な見方という,集団と子どもの関係性の見方の絶対化がみられる状態と考えられた。
  • 大塚 類
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 37-48
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    何らかの事情から親と共に生活できない子どもたちが暮らしている児童養護施設には,実の親に養育された経験をほとんどもたない子どももいる。こうした子どもは,他者関係や自己意識の発達に何らかの齟齬や障害を抱えざるをえない,とみなされている。しかし,教育実践に携わる者が彼らを支えるためには,こうしたとらえ方を脱し,言葉にされることのない彼らの想いや不安等を,できるだけ多様で豊かな観点から想定し,彼らの在り方をとらえ直すことが必要となる。本稿では,或る子どもに焦点を当て,他者関係における彼の意識の在り方を,フッサールの相互主観性理論に基づきながら考察する。本稿での考察から,感情移入によって擬似的な自己として他者を理解するために,他者に固有の想いを実感できず,他者の振る舞いから自らを護るために他者を傷つけてしまい,結果として他者関係に大きな翻齢や困難を覚えてしまう,という彼の意識の在り方が明らかとなった。このことから,暴力を振るう等の行為を,他者との共同可能性を求める強い想いに裏打ちされた,彼に固有な他者との関わり合い方ととらえることが可能となる。と同時に,こうしたとらえ方でもって,彼の意識の在り方や他者関係の在り方に添うことにより,自らも共に辛さを蒙りながらも,あえて厳しい言葉を発することで彼の意識を揺さぶり,彼を少しでも良い方向へと導こうとしている養育者の在り方も明らかとなる。
  • 牛田 伸一
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 49-60
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    ヘルバルト(Herbart, J. F.)が理論的体系化を図った「教育的教授」の一般原理は,ドイツ教授学の中心問題として絶えず議論が交わされてきたが,近年では「教育的教授ルネッサンス」が標榜されるほど注目を集めている。1980年以降の学校改革構想が,この一般原理を理論的な拠り所に採用したからである。そのため,この「教育的教授」は現在では,広く学校論の視野から考察されている。しかし,本研究において批判的吟味の対象としたプランゲ(Prange, K.)は,こうした学校改革構想に批判的な見解を提示し,学校の教育的な役割の無視をアンチテーゼとして投げかけた。それでは,なぜプランゲは学校における教育的な役割の無視を結論するのだろうか。どのような論拠からその結論は導かれているのか。そしてどのような代替案を提示しているのか。本研究は,これらの問いを解明することを通して,「教育的教授」に内在する「教育学的楽観主義」の性格を浮き彫りにすること,そして彼の消極的な代替案そのものに前提とされる教育構想の積極的な可能性を明らかにすることを目的とする。検討の課題は以下の三つに整理され得る。一つは,80年代のドイツ学校教育政策の動向を確認することである。次に「教授学的差異」の意味内容を考察することが二つめの課題である。そして最後にプランゲの代替案を詳細に吟味することを課題とする。
  • 吉田 茂孝
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 61-72
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本論文は,第二次世界大戦後の西ドイツ及び統一後のドイツにおけるマイヤー(Ernst Meyer, 1920-)のグループ授業(Gruppenunterricht)の理論を明らかにすることを目的とする。最初に,E. マイヤーのグループ授業理論の背景を,歴史的起源とE. マイヤーの問題意識から考察した。次に,E. マイヤーのグループ授業の研究を,彼の主要文献をもとに概観した。その中では,「グループ」と「集団(Kollektiv)」の概念の問題が検討され,「自由における学習(Lernen in Freiheit)」が構想されていた。またE. マイヤーのグループ授業では,学級を,子どもたちの相互作用のあるグループに変えることが目指されていた。そこで,本論文では,第一に,「自由における学習」において,どのように相互作用が行われているかを事例にもとついて検討した。第二に,「グループ」と「集団」の概念の問題を考察した。結論として,以下のことが明らかになった。教師中心の権威主義的な授業に対して,教師による「アレンジ」,「即興」,「媒介的援助」にもとづく,子どもたちの相互作用のある授業が主張されていた。また,「グループ」と「集団」の概念については,全面的に「集団」を否定するのではなく,「集団」の全体主義的な価値観や規範の絶対化という点が批判されていた。
  • 竹川 慎哉
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 73-84
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本稿は,オーストラリア,クイーンズランド州における批判的リテラシー教育に注目し,何がその実践を可能にしているのかについて明らかにしようとするものである。特に,教師が批判的リテラシー教育の力量を発展させるための教師教育プログラムに焦点を当てる。オーストラリアにおいて,リテラシーは,社会規範の問題であり,特に80年代以降は,社会的正義の追求として議論されてきた。その過程で,心理学的モデルから社会文化的モデルへの移行が求められた。さらに,社会的に不利な立場の子どもの読み書きを問題にする中で,既存の社会編成において機能的なリテラシーは有効性を失い,マイノリティが自らの文化的背景を土台にして読み書きにアクセスできるリテラシー形成が目指されてきた。そのため,社会の支配的文化と従属的文化の関係を批判的に分析するリテラシー教育が必要とされるようになった。こうした背景の中で,Four Resource Modelは,批判的リテラシーを構想するためのバランスのとれた理論枠として登場した。クイーンズランド州は,批判的リテラシーを実践化していくための鍵として教師に焦点をあて,このモデルを基礎とした教師教育プログラム改革を実行している。こうした改革が原動力となり,クイーンズランド州の批判的リテラシー教育は行われている。
  • 森 久佳
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 85-96
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本論の目的は,デューイ・スクールにおける「読み」・「書き」のカリキュラム構成の実態を,1898〜99年の実践例に基づいて解明することである。デューイ・スクールでは,「読み」・「書き」は「関連的方法」で教えられるべきだとされ,「従属性・付随性」,「道具性」,「必要性」の3つの性質が,「読み」・「書き」の実践の特色とされた。また,デューイ・スクールの「読み」・「書き」のカリキュラムは,(1)計画性,(2)「歴史」部門との活動の密接な関連,(3)子どもの成長に伴う「読み」・「書き」の活動内容の充実化および高度化,を特徴としていた。そして,カリキュラム構成の形態は,子どもの成長段階と「諸教科の分化」に応じて変化していた。すなわち,子どもの成長の早期段階では「読む」・「書く」行為が中心であり,「読み」・「書き」のための時間が補足的に位置づけられていた。しかし,子どもの成長に伴い,「読み」・「書き」の独自の時間が「歴史」部門の活動時間でほぼ毎回確保された。そして,「歴史」以外の部門においては「読む」・「書く」行為が中心となったのだった。
  • 深谷 圭助
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 97-108
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究では,明治末期,特に,1904(明治37)年から1910(明治43)年にかけて木下竹次が指導していた鹿児島県師範学校附属小学校の自習法の実践を取り上げ,その実際と方法原理について,明らかにすることで,明治末期における自学主義教育の意義を再検討することを目的とする。明治末期,自習法と呼ばれる教授方法が全国各地の小学校で実践された。自習法という学び方が,実際に授業の中で指導されたという事実は,児童を学習者としてとらえて指導していたということに他ならない。明治末期における自学主義教育(自習法)の教育実践が,後年の大正新教育運動における奈良女子高等師範学校附属小学校主事木下竹次が提唱した「学習法」の方法原理に大きな影響を与えたと考えられる。ところが,この時代の自習法指導の実態については,これまでの先行研究では十分に明らかにされていない。また,木下の「学習法」研究は,鹿児島県師範学校時代にすでに始まっていたとされているが,研究の実際は,十分明らかにされていない。そこで,本稿では,木下竹次が明治末期に所属し,教育方法改善に尽力した鹿児島附小の自習法カリキュラムを分析し,そのカリキュラムおよび教育方法の構成原理について解明することにしたい。木下が,鹿児島で構想し,実践した自習法が,どのようなものであったのか,そしてどのような方法原理により構築されていたのかを明らかにしたい。
  • 井上 兼一
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 109-120
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,1941年4月に発足した国民学校の低学年教科書の特質について明らかにすることである。1937年12月に設置された教育審議会は,わが国の教育制度を全面的に改革するために設置された。国民学校については,「幹事試案」の提出を契機として,綜合教授をめぐる問題とともに,「綜合教科書」を編纂することが審議された。そして,一冊の教科書の中に,複数の教材(例えば,修身,国語,歴史,地理など)を含んだ教科書が編纂されることになった。本稿では,以下の手順に従って,教科書の編纂について探求する。1つに,教育審議会における「綜合教科書」の構想をめぐる審議経過について整理する。2つに,「答申」可決後の文部省の動向として,文部省図書局や教科書調査会が決定した教科書編纂の方針とその活動について検討する。3つに,文部省図書局から教科書調査会に提出された低学年教科書の原案について分析する。結局のところ,図書局は綜合教科書を作成することは不可能であった。しかしながら,図書局は,教材を関連させることによって,教師が綜合的に取り扱うことができる教科書作りに力を尽くしたのであった。さらに,教科書の編纂趣旨によれば,教師は教科書を基準として,カリキュラム開発を行うことが勧められたのである。
  • 柴本 枝美
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 121-132
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    日本において性教育に関する議論がなされるようになったのは,明治末期のことである。以降,公娼制度や性病蔓延の問題など性に関する問題が社会問題として顕在化するに従って,性教育の必要性が論じられるようになった。本稿で検討する山本宣治(1889-1929)は,同志社大学予科において,「人生生物学」と名づけた性教育を実践していた人物である。本稿では,当講義で与えられていた評価課題を検討し,受講生が作成したレポートを分析することを通じて,実践としての「人生生物学」講義の意義と限界を明らかにする。山本が講義の目的としたのは,学生が自らの人生に対する理解を深めるための科学的な知識を提供することであり,人生に関係の深い分野の知識を選択し,排列して講義を進めていた。講義において山本は,レポートと筆記試験で評価を行っている。レポートでは,学生が文献に示されている理論を読み込むことで,まずは科学的な知識を習得することが期待されていた。実際に学生が書いたレポートの大半は,遺伝学や進化論,科学概論の文献を要約あるいは一部抜粋したものであり,山本がめざしていた「推理思索法」が必ずしも実現されていたとはいえない。しかし,文献を読み科学に対峙している点では,山本が「人生生物学」講義でめざした性教育における第一段階の目的,つまり性に関する科学的な知識を与えることは実現されていたと評価することができる。
  • 原稿種別: 付録等
    2006 年 31 巻 p. App2-
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 庄司 他人男
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 133-135
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 柴田 好章
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 135-138
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 小川 博久
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 138-140
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 水内 宏
    原稿種別: 本文
    2006 年 31 巻 p. 140-142
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2006 年 31 巻 p. App3-
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2006 年 31 巻 p. Toc2-
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
feedback
Top