教育方法学研究
Online ISSN : 2189-907X
Print ISSN : 0385-9746
ISSN-L : 0385-9746
33 巻
選択された号の論文の31件中1~31を表示しています
  • 原稿種別: 表紙
    2008 年 33 巻 p. Cover1-
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 33 巻 p. App1-
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2008 年 33 巻 p. Toc1-
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 一柳 智紀
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 1-12
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は,一斉授業における他者の言葉を聴くという行為の特徴を,「聴くことが苦手」と教師から認識されている児童の発言から明らかにすることである。本研究では話すという行為と聴くという行為の分離を想定しないバフチンの「対話」に関する考察に基づき,発言が1)他者の言葉への返答であること,2)聴くという行為が,先行する他者の言葉と,聴き手の応答の言葉との「内的対話」であること,という視点に立ち,対象となる児童の発言形成過程に着目し,その児童が聴くという行為において抱える問題から,一斉授業における聴くという行為がどのように捉えられるか検討した。その結果対象児が1)発言を教師にのみ「宛て」ている,2)先行する対象における他者の言葉との「内的対話」を行っていない,3)自らの発言に対する聴き手の,応答の言葉を取り込んで(appropriation)いない,4)聴き手によって支えられた話し合いの流れに沿って発言をしていない,という特徴を持つことが明らかになった。ここから,「一対多の対話」が求められる一斉授業での聴くという行為が,先行する他者の発言を自らの発言のうちに取り入れるだけではなく,話し合いの流れを考慮し,教師以外の複数の児童をも聴き手とし,彼らが自らの発言に対してどのような返答を行うかを考慮に入れて,自己の言葉を形成する,という特徴を持つことが明らかになった。
  • 平田 知美
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 13-24
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究では,ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」の概念にもとづいた評価であるダイナミック・アセスメントを授業のなかで実施し,教室のなかで指導しながら子どもの「発達の最近接領域」を明らかにすることが可能かを考察した。ヴィゴツキーは発達状態の評価の際に「発達の最近接領域」を考慮する必要性を主張していたが,具体的な評価手順を開発していなかった。ダイナミック・アセスメント研究により,その開発が進められている。ダイナミック・アセスメントに固有な一つの手順は存在しないが,(1)評価者と学習者の相互作用,(2)メタ認知的な過程への着目,(3)学習者の可変性や介入に対する応答性に関する情報の提示,が特徴として挙げられる。本研究では,算数授業においてダイナミック・アセスメントを試みた。児童が当該単元の核となる考え方を理解できているのかを明らかにする問題を作成し解答させ,学級全体でダイナミック・アセスメントを行った。その結果,単元の本質を理解できず個別のダイナミック・アセスメントを必要とする児童がいることがわかり,個別でも実施した。本稿では各単元1人の児童を分析し,思考過程と「発達の最近接領域」を明らかにし,教師の介入をダイナミック・アセスメントの見地から分析した。これにより,ダイナミック・アセスメントによって,「発達の最近接領域」は,特定の,教師,指導,子ども集団に応じて顕わになる可能性を実証した。
  • 長谷川 順一
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 25-36
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    等周長であれば等積であると判断する誤概念の改訂を目的とし,小学校第4学年,第5学年の児童を対象として実施された3つの授業事例を検討した。これらの授業では主として等周長のポリオミノ(ジオボードで構成される各頂点での内角の大きさが90°あるいは270°の多角形)を構成しその面積を求める課題が取り上げられたが,授業の最後には「(ポリオミノの)周りの長さが同じでも面積が同じとは限らない」などの結論が得られた。しかし,辺長が明示されていない等周長の正方形と長方形の面積を比較する課題には,学習した事項は適用されなかった。一方,情意調査の結果から,児童はジオボードを用いた活動に興味関心をもって取り組んだことが推測された。また,ジオボードを用いずに同様の活動を行った学級でも関心の高さが示されたが,それは授業で扱われた課題が興味関心を引くものであり,さらに正答は唯一ではない,自分のペースで取り組める,図形構成の考え方が分かるなどの特徴を持つものであったことによると思われる。これらを通して,図形の周長と面積との分離を図る学習素材や算数・数学の授業で用いられる教材・教具のあり方などについて検討した。
  • 北田 佳子
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 37-48
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は,校内授業研究会における新任教師の学習過程を「認知的徒弟制」の概念を手がかりに明らかにし,その初任者教育としての有効性を検討することにある。近年,校内授業研究会は多くの研究者や実践者の関心を集めているものの,そこにおける新任教師の学習過程を,長期縦断的に追跡した研究はほとんどない。そこで本研究では,2年間にわたる追跡調査を行い,校内授業研究会において,新任教師が熟練教師との相互作用を経て,どのように授業を省察する力量を形成していくのか,その過程を明らかにした。研究の結果は以下の3点に集約される。第一に,新任教師の語りのスタイルが,徐々に熟練教師のスタイルに類似するようになったこと,つまり同様の授業を省察する力量を形成しつつあることを確認した。第二に,熟練教師と新任教師の語りのスタイルが類似するということは常にポジティブに機能するわけではなく,場合によっては熟練教師のネガティブな特徴も一緒に学習される可能性のあることも明らかになった。そして第三に,校内授業研究会では,ある程度の経験を経ると,熟練と新任という固定した関係を超え,互恵的に学び合う関係が認められ,それが両者により深い授業の省察をもたらすことにつながっていた。
  • 高橋 早苗
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 49-60
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    教育実践記録は,近代日本教育の中で教師の教育実践として綴られてきた。その歴史をたどってみると,初期においては,生活綴方に始まる教師の「生活記録」として綴られ,次には教育実践を科学する一つの手段として用いられ,授業研究や教材研究の方向へと転換してきた。さらに,教育の場が複雑化し多様化した現代にあっては,臨床教育的アプローチの重要性が増している。現代の「教師-生徒関係」においては,その教育的事実や事象から教育的意味を読み取る新たな視点が必要である。そこで,本研究では,教育実践記録が歴史的に担ってきた役割をたどりながら,綴ること,読みあうことの意義を再吟味し,今日的な教育実践記録の意義や活用について考察する。特に,教育実践記録を読みあうことの意義として,ドナルド・ショーンが提唱する「反省的実践家(reflective practitioner)」という観点からY市において6年間継続している実践記録カンファレンスを事例として取り上げ,教師の専門性の向上に寄与するための教育実践記録の今日的意義づけを行う。
  • 渡辺 貴裕
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 61-72
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    ティーチャー・イン・ロールとは,演劇的活動を用いた学習を行う際に,教師が役になって架空の状況へと参入する手法である。本稿では,この手法の教育方法としての意義について,この手法の開拓者とされるドロシー・ヘスカットのドラマ教育実践を分析することを通して考察した。まず,ヘスカットの実践の特徴として,ドラマを通しての理解の深まりが重視されている点を指摘した。そして,理解が次のようにして導かれていることを明らかにした。子どもは,架空の状況を,あたかもそれを実際に生きているかのように経験する。そして,教師からの介入を助けとして,その経験の意味を深めていく。次に,ティーチャー・イン・ロールが,ドラマを通しての理解の深まりを導くためにいかに用いられているかについて,具体的な実践事例に則して明らかにした。まず,この手法の全般的機能として,教師自らが虚構世界を信じていることを示す,虚構世界を対象化できることを示す,教師-子ども関係を組み替える,架空の状況の内側からの直接的な働きかけを可能にするという4点を見出した。さらに,ヘスカットが,架空の状況に子どもたちを巻き込む,予期せぬ展開をもたらすという活用方法によって,架空の状況における生きた経験のためにこの手法を役立てていること,また,考えをめぐらせる機会を設ける,儀式を行うという活用方法によって,経験の意味の深めのためにこの手法を役立てていることを指摘した。
  • 山口 悦司
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 73-84
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究では,米国のデザイン研究においてdiSessa&Cobb(2004)が提案した「存在論的革新」という概念を取り上げてその内実を明らかにし,この概念がわが国の教育方法学における教育実践の理論化に対してもたらす示唆について考察した。まず初めに,米国のデザイン研究における教育実践の理論化の現状を概説した。そこでは,理論の基礎づけをめぐる議論,デザイン研究における理論のタイプ分けを取り上げた。続いて,diSessa&Cobbの議論に従って,存在論的革新の内実を検討した。さらに,存在論的革新の具体的事例「メタ表象能力」「社会数学的規範」についてやや詳しく論述した。そして最後に,存在論的革新がわが国の教育方法学研究における教育実践の理論化にもたらす示唆について考察した。
  • 徳永 俊太
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 85-96
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,戦後イタリアにおける歴史教育理論の変遷を明らかにすることである。そのために,教育雑誌および理論書の文献研究を行い,その基礎作業をもとに主要な論文の分析・検討を行った。現在のイタリアにおいて歴史教育を革新したと位置づけられているマットッヂイ(Ivo Mattozzi)とランペルティ(Raffaella Lamberti)の論文では,従来の歴史教育の持つイデオロギー性が指摘され,歴史学者と同じような活動である「探究」(ricerca)を行う歴史教育が提起されている。その後両者の主張に対しては,「探究」の前提を探るという問題意識からグアラッチーノ(Scipione Guarracino)らによって批判が加えられ,「探究」の前提には歴史的な事象に関する知識も必要だということが認識された。「探究」に関する議論の蓄積は,歴史教育研究団体によるカリキュラム案として結実している。戦後イタリアにおける歴史教育理論の変遷においては,アナール学派を代表とする歴史学から大きな影響が見られる。歴史学は,知識の習得だけではなく,「探究」する能力を教育目標として取り出す役割を果たした。目標として取り出された「探究」する能力は,教育的な知見によってカリキュラムの中に位置付けられた。このように,「探究」を教育的な知見によって実現しようとしているのが,イタリアにおける歴史教育理論の特徴である。
  • 樋口 裕介
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 97-108
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,西ドイツにおいて特に1970年代に活発になった「カリキュラム」(Curriculum)研究と,伝統的な「レールプラン」(Lehrplan)研究とを比較し,両者のカリキュラム構成論としての違いを考察することにある。「レールプラン」研究のもとにある教授学と「カリキュラム」研究とは,カリキュラムの歴史において研究の二つの基本モデルとされ,今日においても両者の間には交流が図られている。本稿では,1960年代後半および1970年代を,両者の交流の西ドイツにおける端緒と見なして,両者を比較した。そのさい,両者の観点の違いだけでなく,この二つの観点にもとづいたカリキュラム構成論の違いに着目した。そこで,ヴェーニガーのレールプラン理論や,教材精選理論である「範例方式」,そして「範疇陶冶の理論」と,LOTプロジェクトグループのフレクシッヒのカリキュラム理論とを比較した。本稿からは次のようなことが明らかになった。それは,伝統的な「レールプラン」研究が,教授内容をいかにして子どもの世界を開く教育学的=要素的なものにするかを問い,どのような教授内容がどのように要素的・範例的であるかを考察するのに対して,LOTプロジェクトのような「カリキュラム」研究においては,カリキュラムの内容そのものよりもカリキュラムを構成する際の経験科学的な手続きが問われるということである。
  • 牛田 伸一
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 109-120
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    ヘルバルト(Herbart,J.F.)の「教育的教授」論は人間陶冶の一般(普遍)理論として構想されていた。しかし彼の死後すぐに,この教育学史上の卓見は近代学校システムを支える教授論に変貌を遂げる。彼自身は近代学校を擁護するどころか,「教育的教授」論を武器にして鋭い学校批判を展開していたにもかかわらず。本研究の目的は,ヘルバルトの「教育的教授」論が学校批判の論拠の中核であったばかりでなく,これが学校のオルターナティヴな機能付与の根拠となっていたことの究明を通して,教授学にいまなお指摘し得る,教授学的な問題設定の切り詰めと転倒を明らかにすることにある。このための検討課題は,第一にヘルバルトが当時の学校を批判した理由を確認することである。第二に「教育的教授」がどのように「学校における教育的教授」に歪曲されていたのかを考察して,そして第三に彼の学校構想の代替案を確認する。以上の考察から究明された彼の学校批判の教授学的意味は,本研究の帰結として次のように定式化され得る。教授学研究は,学校教授内部の微細な修正・改善だけに押し込まれるべきではなく,ヘルバルトが試みたように,学校構想そのものを規定する問題地平を持つべきである。なぜなら,こうした学校論の教授学的規定は,既存の学校のあり方に疑問を投げかける学校批判的な契機をともなうと同時に,新たな学校構想の機軸ともなり得るからである。
  • 杉本 憲子
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 121-131
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究は,子どもの主体的な学びとはいかなるものかという問題関心を出発点に,子どもと教師の主体性のぶつかり合いの場としての「ずれ」を重視している上田薫の理論に着目し,授業における「ずれ」のもつ意味とその具体的なあり方を考察したものである。第一に,「ずれ」に積極的意義をとらえた上田の教育理論の統一的な立場,すなわち動的相対主義の考え方とそこでの「ずれ」の位置づけを明らかにした。第二に,とりわけ授業における「ずれ」とはどのようなものとしてとらえられるか,その対象および特質を考察した。その考察を通して,「ずれ」は教師と子どもの主体性のぶつかり合いの場,すなわち対立の場であると同時に「ずれ」を介して相対するものがつながりを深めていく場であること,そこに「ずれ」と単なる「くいちがい」との相違点が見い出された。そしてこれらの考察を踏まえて,第三に,小学校の社会科の授業を分析し,「ずれ」が顕在化され追究される過程と「ずれ」の追究を通しての認識の深化についてより具体的な考察を行うとともに,「ずれ」を生かす授業の実践に向けての検討を行った。
  • 杉浦 英樹
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 133-143
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    1951(昭和26)年,新潟県旧高田市において,市立大手町小学校長・高田幼稚園長の長谷川増吉を会長に,高田幼年教育研究会が発足した。同会は旧高田市内の幼稚園,小学校低学年の教員,保育所保母によって構成され,幼小の相互理解を目的に,幼小連絡協議会を年2回ずつ開催している。この協議会は公人のイニシアティヴで運営されたが,私立幼稚園や民営保育所の保育者の参加者も含めた自主的なものであった。就学前施設の普及が不十分な状況で,幼児教育への理解が必ずしも高くなかった当時にあって,こうした会の開催は全国的にみてもあまり例のない試みであったと推察される。しかし,同会で何かどのように論議されたのかについては,これまで明らかにされていない。幸いにも参会者による筆記録やメモが残されている。それらは断片的なものではあるが,そこからはこの地域における1950年代から1960年代にかけての,幼小それぞれの教員・保育者の関心の在処をうかがい知ることができる。本稿ではこの記録の内容を再構成して協議内容を明らかにするとともに,当時の幼小連携の実状とそれをめぐる問題について事例的に考察する。
  • 永江 由紀子
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 145-156
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本論文は,1930年代の奈良女子高等師範学校附属小学校における「訓練」領域の創出と展開が,戦時下教育の構築を支えた過程を描き出すことを目的としている。当校は大正期における「学習法」の実践で知られているが,1930年代に入ると時局の変化に伴い,校内にも「日本精神」が取り込まれるようになっていく。教育界でも新教育の衰退が次第に共通認識となっていく状況のなかで,当校の「訓練」研究が着手される。大正期には「学習法」の提唱によって教授・訓練・養護という三領域の統合を志向した木下竹次も,1930年前後になると「訓練」研究に取り組んでいく。「訓練」は「学習」への取り込みによって教育改善に最適な方法として位置付けられ,「自律訓練」の必要性が説かれた。また当校の訓導たちは修身の授業を通じて「訓練」に優位性を付与していった。彼らの授業実践からは,児童の生活との接近をはかりながら「訓練」領域を拡大し,児童の「実践的」活動に結びつけていった様子がうかがえる。本論文は,大正期における代表的な新教育実践校を事例とし,1930年代における「訓練」「訓育」の様相を読み解くことによって,大正新教育の変容に焦点をあてた。こうした分析を通じて,戦時下教育の構築へと至った新教育実践校の対応を明らかにした。
  • 川津 貴司
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 157-168
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本論文は,1930年代後半の学校放送に関連した城戸幡太郎の取り組みに着目し,城戸の「教具」概念を手がかりとしながら,学校教育の改造を目的とする放送教育がいかに構想され,また実践されていたのかを明らかにするものである。第一節では,城戸の理論的背景を明らかにした。城戸によれば,「教育技術」とは,教育者と被教育者の協同作業によって生活技術を修練することであり,その作業で使用する媒介が「教具」であった。城戸は,教具の発達が学校教育の発達を規定するという「教具史観」の観点から,教科書とは機能や役割を異にする新しい教具としてラジオに着目した。第二節では,城戸による放送教育の構想について明らかにした。それは第一に,社会のなかで話されている音声言語をラジオによって国語教育の対象とすることであった。第二に,子どもの側からニュースを発信し交流することを通じて子どもを組織化するという「教養交歓の機関」として学校放送を利用することであった。第三節では,城戸が理論的支柱の役割を果した「学校放送研究会」について,その「理数科部会」の活動を中心に明らかにした。そこでは研究者と教師・放送者の協同によって学校放送番組が製作された。それによって,生活のなかの問題解決を通じて科学的態度を育てるという教育技術を啓蒙することが試みられた。
  • 神 郁雄
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 169-180
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    本研究では,小砂丘忠義のすべての綴方教育論を考察の対象にして,彼の綴方教育論の構造を明らかにしながら,彼の綴方観すなわち文章表現の機能に関する彼の見解を主に明らかにする。そして,小砂丘の綴方教育論からの継承と発展の観点を簡潔に示す。小砂丘が示した文章表現の機能に関する見解は,次のとおりである。ひとつの文章表現には8つの機能がある。第一に,実生活の認識を主体的に形成することである。第二に,批評を形成することである。第三に,プロレタリアイデオロギーを形成することである。第四に,目的意識と実証的且つ論理的な主張を形成することである。第五に,自治意識を形成することである。第六に,すべての教養と能力を活用して認識を形成することである。第七に,調査の成果を活用して認識を形成することである。第八に,意欲を形成することである。小砂丘の綴方教育論の追究は人間性の追究として行われた。その人間性は,主体性,共同性,これらを志向する意欲である。これらが,彼の綴方教育論の継承と発展の根本的な観点となる。そして,これらの観点から,彼の綴方観から継承して発展すべき諸点について詳細に追究して,その成果を問題解決の筋道に沿って構造化していくという課題が生じる。
  • 遠藤 野ゆり, 中田 基昭
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 181-192
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
    しばしば指摘されるように,子どもたちは,学校生活を通して共同体や社会の一員としての感覚を培っていく。すなわち,彼らは共同化されていく。しかし,共同化には「私たちのクラス」や「私たちのグループ」といった多様な層が備わっているにもかかわらず,こうした層は,教育学において,ほとんど注目されてこなかった。本稿では,共同化に備わる重層性という観点から,学校生活における友人関係についてのインタビューで語られた,子どもたちの実在的で個別的な他者経験が解明される。我々は,非主題的に共に機能している他者と一体となって我々共同体へと共同化されているがゆえに,各人にとって近づきうるという意味での客観的世界を経験できるのであるが,こうした他者は,匿名的で理念的な他者でしかない。他方,具体的な他者経験において,我々は,実在的な我々共同体へと共同化されており,個別的な他者は,実在的な我々共同体から,あるいは他我性一般から際立って現われてくる。例えば同級生が他我性一般からのみ際立って現われてくるといった場合には,一見すると友好的な関係を築いているように思われても,子どもたちは,しばしば辛い思いを抱くことになる。それどころか,イジメのような深刻な事態においては,子どもたちは,他者の中の一人になるという仕方で自己を他者化できないため,非常に脆い基盤によって自己の経験を支えなければならなくなることもあるのである。
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 33 巻 p. App2-
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 梅本 裕
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 193-195
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 上野 ひろ美
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 195-197
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 豊田 ひさき
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 197-199
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 的場 正美
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 199-201
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 臼井 嘉一
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 201-203
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 子安 潤
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 203-205
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 33 巻 p. App3-
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 安彦 忠彦
    原稿種別: 本文
    2008 年 33 巻 p. 207-208
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2008 年 33 巻 p. App4-
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2008 年 33 巻 p. Cover2-
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2008 年 33 巻 p. Cover3-
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/04/22
    ジャーナル フリー
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