高分子ゲルは、架橋された高分子鎖からなる三次元網目が大量の溶媒を保持して膨潤した固形のソフトマターであり、ゼリー・豆腐などの食品や、ソフトコンタクトレンズ・止血剤などの医用材料が代表例である。溶媒をほとんど含まない高分子ゲルが、いわゆるゴムである。高分子ゲルは、固体と液体(弾性体と溶液)の要素を併せ持ち、その自由エネルギーは、弾性自由エネルギーと浸透圧の起源である高分子と溶媒の混合自由エネルギーの和で決まる。従って、高分子ゲルの熱力学を理解するには、弾性と浸透圧の研究が最重要である。
高分子ゲルの研究の歴史は長く、弾性と浸透圧について、それぞれ標準的な理論モデルが知られている。しかし、通常のゲル(またはゴム)は、制御および評価が困難な不均一な高分子網目構造を持つために、実験と理論の定量的な比較はほとんどなされていない。我々の研究グループは、近年開発された、極めて均一で制御可能な網目構造を持つ高分子ゲルを用いて、弾性・浸透圧・膨潤ダイナミクス・破壊など、高分子ゲルの基礎物理の全貌の解明に取り組んでいる。一連の研究から、標準的な理論モデルでは実験結果が説明できないことが明らかになりつつある。
弾性に関しては、高分子ゲルにおいて「負のエネルギー弾性」が発見された。ゴムやゲルに外力を加えて変形すると、高分子鎖が引き延ばされて復元力(エントロピー弾性)が生じるが、ゲルにおいては溶媒の存在により内部エネルギー変化由来の反対向きの力(負のエネルギー弾性)も生じて大幅に柔らかくなる。この発見は「ゴムとゲルの弾性率は、熱力学第二法則に由来するエントロピー弾性でおおむね説明できる」という長年の定説をくつがえす。
浸透圧に関しては、ゲルの浸透圧は「準希薄原理」で決まることが実験的に明らかとなった。これは、十分な溶媒を含む高分子ゲルは、十分に長く枝分かれのない高分子鎖(直鎖高分子)の溶液でよく知られる「準希薄状態」になっているという主張である。準希薄原理は、従来の標準的な理論(Flory-Huggins 理論)よりもシンプルな上に、ゲルの実験結果を正確に再現できる。また、準希薄原理を認めれば、磁性体(スピン系)や気液相転移などの臨界現象でよく知られる臨界指数が、ゲルの膨潤実験から実験的に決定できる。
第 67 回物性若手夏の学校の講義では、上記の弾性と浸透圧について、教科書レベルの基礎事項から始めて、最近明らかになった最先端のゲルの研究成果について解説した。本稿では、弾性についてゲルとゴムに共通の基礎事項である、古典的なゴム弾性理論について解説する。ゲルの弾性と浸透圧については、最近の解説記事 (弾性 [1, 2]、浸透圧 [3]) と重複するために省略した。 本稿のタイトル「高分子ゲルの熱力学」は、講義のタイトルであって、本稿の内容は「ゲル弾性を理解するためのゴム弾性入門」である。ゲルの弾性と浸透圧に関心のある方は、上記の解説記事に加えて、原論文 (弾性 [4]、浸透圧 [5, 6]) を参照していただきたい。
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