意味記憶の選択的障害例である意味性認知症(semantic dementia:SD)の意味記憶障害の特徴から,SDの責任病巣である側頭葉前方部(anterior temporal lobe:ATL)を多様式的な意味のハブとみなし,連合野に分散する感覚様式特異的な領域との情報交換(spoke)を通して概念が形成されるという仮説を紹介した.ATLの損傷により概念の多様性が失われたSDにおいて,言語や視覚性の意味記憶障害はもとより,固執的な常同行動を初めとするさまざまな行動を生み出す可能性について論じた.
記号,人物,風景,物品に関する意味記憶障害について解説した.意味記憶障害は,感覚の種類を超えた問題として起こる.記号の意味記憶障害では,記号とそれが指し示す事柄との対応ができなくなる.責任病巣としては左の側頭葉先端部が重視されている.人物の意味記憶障害では,人の顔,声,職業など種々の知識が失われる.風景の意味記憶障害では,ある場所の景観,聞こえる音,所在地など種々の知識が失われる.いずれも,右の側頭葉先端部が重視されている.物品の意味記憶障害では,物の形,出す音,用途など種々の知識が失われる.両側の側頭葉先端部病変が重視されている.
比較的初期から臨床上で明らかな意味記憶障害(知識の障害)を呈する意味性認知症とは異なり,アルツハイマー病では中期以降に意味記憶障害が臨床上で明らかになっていく.顕在発症から数年以上経過してから道具の意味的誤使用(概念失行)から始まり,徐々に物品や人物や食物の認知が困難となる流れが認められ,中には異食症や鏡現象にまで発展する場合がある.アルツハイマー病に伴う精神症状や行動障害の背景にはこれらの意味記憶障害を認めることが少なくない.一方で,神経心理検査課題による意味記憶の成績低下は発症初期から低下するが,その低下は意味性認知症とは異なり,意味記憶の喪失のみならず他の認知機能の低下を反映することに注意すべきである.アルツハイマー病の意味記憶障害の神経基盤は側頭葉であるが,エピソード記憶障害と関連する側頭葉内側ではなく,側頭極,下縦束,下側頭回,中側頭回であることが明らかになってきている.
神経系の発達および成熟に障害を持つ神経発達症の中には,意味記憶の形成不全と形容すべき病態や,意味記憶を十分に活用できていないと思われる病態が存在する.神経発達症の一つである自閉スペクトラム症(ASD)では,対象と音韻を正しく結びつけられない意味記憶の形成の問題と,言外の意味が取れず字義通りの解釈をしてしまう意味記憶の活用の問題が観察される.ASD研究にもsymbolや表象など意味記憶と類似した概念があり,ASDに特徴的な認知機能障害との関連が示されてきた.子どもの発達過程や神経発達症は意味記憶について多くの視点を提供し,また意味記憶という視点から心の発達や神経発達症を観察および研究することは有用と考えられる.
抽象的態度とは,脳損傷患者における失語症をはじめとする様々な症候を理解するために,Kurt Goldsteinによって提唱された概念である.現在では意味記憶に関する先駆的概念として認識されている.本論文では,Goldsteinの抽象的態度に関する知見を外観する.次に筆者がこれまで経験した症例を提示し,抽象的態度の障害を鍵概念として,症候の理解を試みる.
多発性脳梗塞により再帰性発話を呈した重度失語例の発話特徴について検討した.症例は81歳右利き女性.発症当初は全失語で,「ぱんぱんぱーん」という再帰性発話がみられたが,回復過程で「じんちゃ,ばんちゃ」が常同的に表出されるようになった.経過とともに「ぱんぱんぱーん」は自発話では徐々に減少したが,口形を意識させた復唱や指示による口腔運動のように口腔運動自体に意識が向きやすい課題では残存した.一方,「じんちゃ,ばんちゃ」は自発話や呼称のように喚語を要する場面を中心に出現し,経過とともに減少した.本例でみられた再帰性発話は回復過程で変化し,出現する場面が異なることが特徴と考えられた.
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